第五章

1

 ついに残った人間はたったの六人になってしまった。

 レックスの呼びかけに応じて、茫然とする俺達はまたダイニングルームに集合していた。

 シスターが芽衣のように自殺してしまったこともそうだが、それ以上に明らかになってしまった事実が多すぎた。

 最早この塔の中で一度も殺人に関わっていないのは俺と来菜だけになってしまった。

 疑心暗鬼という状態すらもう通り過ぎて、ただただ気まずい空間が作られていたのだ。


「……何を話し合うんだイ? レックス……」


 ミシェルは酷く憔悴している。

 彼からはもう以前までのような明るさが見えなかった。


「……これからのこと……と言いたいが、まず、俺はまだみんなに話していないことがある」

「……何だよ」


「――俺が棚崎を狙った理由だ」


 ……確かに気にならないと言えば嘘になる。

 でも、『狙いやすかったから』と言われたら正直納得してしまうようなことでもある。

 正司は間違いなく良い奴だったが、飲みかけのグラスを放置していたりと、隙の多い奴だった。


「……理由があるのか?」

「……まあ、人を殺そうとする理由なんてお前からしたらあっていいはずもないか。言い換えるのなら……原因だな。ミシェルたちが棚崎を狙ったのは、棚崎たちの方からシスターにあのメモが渡されたからだろう? でも俺は違う。俺は……七人もいた候補からわざわざ棚崎を選んだ。そこには原因がある」

「別にいいよ……興味も無いし……」


 来菜は項垂れながらそう言った。

 彼女もそうだが、もうみんなこれ以上自分の知らない事実を耳に入れたくなくなっていたのだ。

 思考することを恐れているのだ。

 ……俺が……そうだったように……。


「いや……俺の身勝手だけど話させてくれ。頼む」

「……」


 誰も反応しないが、レックスはひとりでに話し始めた。

 正司と……それと唯香との最後の会話を――。



 ――「……何してんすか? レクパイ」

 ――「別に……寝てるだけだが」

 ――「ここロビーですよ? 原田先輩……危機感なさすぎでは……?」

 ――「あれ? スフィカは?」

 ――「トイレじゃないすか? 全然みんな二人以上の行動守ってくんないっすね……」

 ――「まあ多少はな。でも……危険な物は全部医務室だ。だから大丈夫だろう」


「俺はあの時点で毒を医務室から持ち出す手段を思い付いていた。でも……誰を殺すかだけがどうしても決められなかった」


 ――「いいっすかレクパイ、ちゃんと二人以上で行動してくださいっす!」

 ――「……意外だな。お前は……そんなにみんなのことを信じられないのか?」

 ――「……逆っすよ」

 ――「何?」

 ――「芽衣はアンタを生き返らせようとしていた。正直……そのことは納得いってたんす。ここにいるみんなの行動は大体もう理解できるから。そしてだからこそ、俺の知ってるみんななら……アンタの提案したゲームに則った芽衣の遺志を、無駄にはしないと思うんす。今更ここで一生過ごすなんてのは……綺麗事とかですらなくて、芽衣への裏切りな気がするんすよ。だから……きっと誰かがユイパイの決まりの裏をかこうとする」

 ――「正司君!」

 ――「あ……ご、ごめんなさいっす」


「飯原と棚崎は多分決まりを作った時点で組んでいたんだろう。誘ったのは多分飯原だろうが、君口を生き返らせるうえで川瀬を仲間に入れなかったのは……君口の愛する人間に泥を被せたくなかったからかもしれない」


 ――「……飯原、俺は……あの決まりには不十分な点があると思うんだが」

 ――「……ッ!? そ、そんなはずはないです……! きっと……大丈夫……です」

 ――「? そうか……? お前がそう言うならそれでもいいが……」

 ――「レクパイは何か企んでるんすか?」

 ――「え?」

 ――「……殺す相手を考えてる最中とか?」

 ――「……何だよ棚崎。俺を疑うのか?」

 ――「……」

 ――「どうして俺に突っかかる? まあ……俺も自分でスフィカを生き返らせたいって公言してはいるが……」

 ――「それだけじゃないっすよ」

 ――「何?」

 ――「……アンタは俺みたいな『何の力も無い一般人』じゃない。アンタなら人を殺す覚悟も出来るはずだって思ったんすよ」

 ――「……買い被るなよ。俺だって……『何の力も無い一般人』だ」



 二人との最後の会話を思い返し、レックスは目を伏せた。


「……正司に疑われたから正司を殺そうとしたのか? その場に唯香もいたなら、もし唯香が生きていた時にむしろ怪しい犯行になるだけだ」

「……違う」

「何だと?」

「俺はただ……証明したかっただけだ。俺が『何の力も無い一般人』じゃないって」


 ドン


 スフィカが勢いよく立ち上がった。


「お兄ちゃん……!」

「スフィカ、お前にも言いたいことがあった。俺は……お前を助けたことなんて一度もない。昔お前をいじめていたのは、元々俺をいじめていた連中だった。アイツらはただ俺の妹だからって理由でお前を標的にしただけなんだ。あの時は……ただカッコつけたかっただけで、そもそも俺がいなければお前もいじめられたりしなかったんだ」

「何言って……」

「棚崎はずっと自分を『何の力も無い一般人』だと言っていた。でも本当に無力なのは俺の方なんだ。アイツを殺すことで俺の方が上だって……マシだって……そう思いたかっただけなんだ……」


 震える声を出しながら、レックスの表情は今までになく崩れかけていた。


「……レックス、お前はただ自分のしようとしたことが今になって許せなくなっただけだ。正司だって唯香を殺したんだ。ミシェルたちだって正司を殺す計画を立てていた。お前だけじゃない。俺だってもしかしたら同じことを……」

「違う……俺は……」

「お兄ちゃん……」

「俺は……自分の所為で正司が死んだわけじゃないと話し合いの途中で気付いて……安心したんだ。それまでずっと心臓の動悸が止まらなかった。上手く話し合いを進められなかった。俺は……『何の力も無い一般人』以下だったんだ……!」


 レックスはシスターが死んでもう耐えきれなくなっていたのだろう。

 一人で全ての罪を背負って死んだシスターも……きっと彼と同じ心持ちだったのかもしれない。

 ……お前らだってそうだろ? ミシェル。緋色。


「……この塔に集まった人間の中に、『何の力も無い』人間は一人だっていなかったとボクは記憶しているヨ。キミも正司も……『一般人』の枠から充分外れた存在ダ……」

「ミシェル……」


 ミシェルは俺達のことをよく『一般人』と呼んでいた。

 その彼がこのようなことを言う意味を……俺はもう分かっていた。

 たった六人のこの空間はなおも重たい空気が流れ続けている。

 でも、この空気は変えられるはずだ。変えなくちゃいけない。


「…………もう止めよう。俺達はみんな分かってるはずだ。これからどうするべきか……。でもなレックス、俺は……こういう時に誰よりも最初にそれを口に出せる人間を知っている。だから……頼む。お前はそんな力を持っているんだから」

「……………………ああ、そう……だな」


 そうしてレックスは顔を上げた。


「これからどうするべきかは決まっている。今更もう……ここで一生を終える気なんてみんなないだろ? 俺は、今までに死んでいった奴らの命を踏み台にしてまで生き続けられる人間がここにはいないことを理解している。だから……最後の投票をしよう。……生き返るべき一人を選ぶ……最期の……投票だ」


 全員項垂れていたが、それ以外の選択肢はない。

 沈黙はそのまま肯定を意味する。


「……投票の必要あるのかナ? もうみんなその投票先を知っているはずダ」

「それでも一人に決めなくちゃいけない。死んでいったみんなのために、この塔での生活は……終わらせるべきなんだ」

「……そうかイ」

「一人ずつ改めて投票先を言っていこう。俺は……スフィカに生き返ってほしい」


 そのままレックスはスフィカに視線を送った。

 スフィカは一瞬戸惑ったが、すぐに覚悟を決めた。


「うちは……もちろんお兄ちゃんだよ」


 そして来菜。


「あたしは快太君だよ」


 名前で呼ぶということは、彼女もそれを二度と訂正する気はないということだ。


「……僕はミシェルだよ」

「緋色……」


 ミシェルは虚しさを覚えたような目で彼の名を呟くだけだが、それが答えだった。


「……俺は……」



 ――それで良いのか?

 ――本当に……。

 ――それで良いのか?

 ――誰かに俺達十二人分の十字架を背負わせることが……俺の選択で良いのか?

 ――……いや、それでいいはずが……ない……はずだ……!




「……俺は―――――――――――――――――――――――――俺自身を選ぶ」




「……何……!?」


 レックスは目を見開いていた。

 いや……みんな驚いて俺を見つめている。


「……快太……?」


 ミシェルは眉間に皺を寄せながら俺の名を呼ぶ。


「……この塔で一緒に過ごしてきたみんなは、あまりにも……あまりにも優しい奴ばかりだった。だからみんな自分ではなく誰かを生き返らせようとしてきた。そう……思っていた」


 俺は立ち上がった。


「でも違うんだ……最も困難な選択は、自分自身を生き返るべき人間に選ぶという選択だったんだ……! みんなそれが出来ないから誰かに『この立場』を請け負ってほしかったんだ。生き返らせる人間を選ぶことより、切り捨てる人間を選ぶことの方がずっと難しい。そしてそれよりもずっと、ずっと、死んでいった人間の想いを背負って生きていくことの方が難しい。そして……みんな覚悟をしきれなかったんだ。自分自身が生き返る覚悟を……!」

「お前はその覚悟が出来たのか……?」

「出来るわけないだろ! みんなの想いを俺一人で背負いきるなんて! このまま一人で生き返っても、後悔しかない人生を送り続けるだけだ! それでも俺は……誰かに背負わせるよりは俺が背負いたくなったんだ……! 後悔なんて今から考えられるわけがない……この先俺じゃ耐えられないような後悔で視界が真っ暗に覆われる! そんなこと分かってんだ! でも……だからこそ俺は選ぶ! 生き返るのは……俺だ!」


 レックスの瞳は少しだけ照明を浴びた所為か光を反射していた。

 そして……彼は小さく微笑み立ち上がる。


「なら……俺も立候補させてもらう」

「お兄ちゃん……!?」

「俺も自分を生き返るべき人間に選ぶ。お前のその言葉を聞いて……何の力も無いし何も出来なかった俺でも、みんなの想いを背負って生き永らえてみせたいと思った。君口……十字架は俺の物だ」


 そうか……お前もそう思ってくれたか。

 でも、俺は負けるつもりはないぜ。


 ――「わたくしは自分が生き返りたいですわ」


 ああ、先輩……アンタがどうしてあんな真似をしたのか今ようやく分かった。

 芽衣とスフィカを共犯にして、生き返る人間に俺じゃなくレックスを選んだ理由も、今分かった。

 アンタは初めから、俺がこの選択をするはずだとそう信じていてくれたんだな?

 アンタは本当に死にたくなかったんだ。そして俺にも生きてほしかったんだ。自分のように……生きようとしてほしかったんだ。

 だからこの塔の中で死ぬつもりの俺に苛ついていたんだな? 

 俺の……『生きる意志』を奮い立たせるために……最期の勝負を仕掛けたんだな?

 そうだ……あの時スフィカの自白を受け入れなかったのは、他の誰かのためじゃない、後悔をする覚悟が出来たからでもない、ただ俺が……生きたかったからなんだ……!


「……今更傲慢な選択だとは思わないかイ?」

「思うさ! だからこそみんな選べなかったんだろ!」

「ああ君口の言う通りだ。俺はただ……スフィカに困難な立場を押し付けようとしていただけなんだ。スフィカのいない世界で生きていく自信は俺には無いってのに、その逆の場合を俺は考えもしてこなかった。俺は……『生きる覚悟』を持っていなかった」


 レックス……お前が俺と同じ選択をしてくれて嬉しいよ。

 そうさ、俺達は『生きる覚悟』が足りていなかった。

 そういえば……どこかで誰かが言っていたな。



 ――「人間というのは『選択』をする生物です。貴方は既に『生き返りを望む』という選択をした。忘れないでください。貴方は……自分の『選択』に最後まで責任を持たなければならない」



 ああ……俺は責任を持たないといけなかったんだ。

 そうだろ? みんな。


「さあ! これで俺とレックスが二票だ!」

「生き返るのは俺と君口のどちらかで決まりだな」

「レックス! お前も俺に入れろよ!」

「いいや君口、お前が俺に入れるべきだ」


 俺達はそうやって互いの投票先を変えるように要求するが、多分無理だろう。

 ミシェルと緋色が投票先を変える可能性はあるが……どうだろうか。


「……そうカ。人の命を踏み台にしてでも生きる……それは、現世でも皆知らぬうちに行っていることだが、その覚悟自体はなかなかどうして得難いものなのかもしれなイ。ボクは……その覚悟を持っていなかったのカ……」

「良いことじゃないか。それがアンタの優しさだ!」

「快太……キミは……本当に憎たらしいほど特別な存在だネ」

「……ああ。だからこそ俺は生き返る! きららも海江田さんも雪代先輩も芽衣も正司も唯香もシスターも、そして今ここにいる五人の想いも全部俺が背負って生きてやる! 沈みそうで吐きそうなくらい重くてしょうがないけどな!」


 俺はニッコリと笑顔を見せた。ハッキリ言って強がりだ。

 人の命を蹴落として生きようとすることが、こんなにもつらく苦しいことだとは思わなかった。

 それでも俺は……最後まで自分の責任を全うする……!


「……そっか。ありがとう……快太君」

「来菜……」

「お兄ちゃん! 撤回は無しだからニャ!?」

「当たり前だ」


 俺達はミシェルと緋色の方を改めて向いた。

 彼らが投票先を変えるかどうか確かめるためだ。


「……そっか。二人は……そうしたんだ。僕の見た未来と……一緒だ」

「え? そうなのか? 緋色……」

「うん。だから僕は大丈夫。二人のどっちが生き返ることになっても……大丈夫だよ」

「緋色……」


 すると、ミシェルは小さく息を吐きながら立ち上がった。

 そして席を離れようとする。


「ミシェル?」

「……一晩考えさせてくれ。ボクと緋色はまだ誰に入れるか決めかねている。それを……明日までに決める。緋色もそれで良いかイ?」

「うん!」


 疲労を露わにしながらミシェルは小さく頷いた。

 ありがとう……二人とも。本当に……。


「……気晴らしに掃除でもしないカ? みんなが利用した個人部屋に……お礼も兼ねてさ。鍵開けといてくれればボクがみんなの部屋の分を手伝うヨ」

「ミシェル……本当に何から何までありがとう」

「フフ……昨晩殺人計画をした男に言う台詞じゃないネ」

「言いっこなしだろ、ミシェル」


 そう言いながらレックスも席を立った。

 彼らに続いて全員がダイニングを出ようとする。

 そうして俺達は、個人部屋の大掃除を始めるのだった――。

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