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 午後九時二分 三階 医務室


 俺を迎えに来てくれたのは来菜だった。


「旦那さん、お疲れれ」

「『れれ』……? ああ、どうも」


 来菜は白手袋を付けたまま俺の身体をまさぐってくる。

 軽い身体検査なのだが、何というか……やましい気分になる。

 というかコイツ、楽しんでないか? まあ別に俺はそれでも良いんだけど……逆の立場ならもっと良かったかなぁ……。


「あだ」


 何か叩かれた。まあ痛くはないけど。


「はい終わり。さて……それじゃ降りよっか」

「ああ」


 ……あれ?

 就寝の時刻は九時だが、これはあくまで各々が個人部屋のある二階に戻り始める時間のこと。

 単独行動は許されないはずなんだが……来菜は何で一人なんだ?


「……あれ? スフィカ?」


 来菜はキョロキョロと見渡し始める。

 すると、スフィカは一人でバルコニーに佇んでいた。

 一瞬だがこういった単独行動を見逃してしまうのは、決まりがまだ徹底されていないためだろう。

 まあ、正直予想出来ていたことではあるが。


「一人で何してんのスフィカちゃん」

「……ニャー……」


 俺は気軽に彼女に話しかけた。


「なんか少し青くなってないか? 風邪ひいたとかじゃないよな?」

「誰かさんと一緒にしないでほしいニャー。ただずっとここにいただけだニャ」

「ずっと? 来菜と一緒に?」


 俺は来菜の方を向いた。


「うん。晩御飯食べてからずっと。あたしは外の陰気な風に当たらないようにしてたけど」

「何がそうさせるんだ……」


「……誰かが飛び降りに来ないように」

「!?」


 スフィカの静かな声を聞くとともに、俺はバルコニーの柵の上に置いてある缶コーヒーを見つけた。

 それは、海江田さんが最期に置いていった空き缶だ。

 いや……もしかしたらまだ中に残っているのかもしれない。

 持ち主はもういないというのに……。


「……まあでも、今日は誰も来なかったニャ。良かったのか悪かったのかは……分からないけどニャ」

「どうしてそんなことを?」

「どうして? どうしてって……」


 スフィカは、少しずつ涙を浮かべ始めた。

 レックスを生き返らせたいと望む彼女でも、目の前で誰かに死なれるのは嫌なのだ。

 それが普通だ。でも……彼女は自分が矛盾した行動をしていることに気付いていなかったようだ。


「分からない……分からない……。お兄ちゃんは生き返ってほしい。でもみんなには死んでほしくない。私一人が死ぬだけで全部解決するならそれで良いのに……。もう……芽衣みたいなのは見たくない……」

「……お前は芽衣が目の前で自殺するところを見るまで、自分が死ぬことでレックスを救えるってことしか頭に無くて、みんなが死ぬって部分が抜けてたんだろ? 仕方ないさ、お前はまだ中学生なんだから」

「違う! うちはみんなを犠牲にする気だった! お兄ちゃんのために! お兄ちゃんのためだけに……!」

「スフィカ……」


 バルコニーの入口付近にいた来菜は、少し気まずそうに頬を掻いている。

 正直俺も何というべきか分からない。


「……お前ら兄妹はホントに……ホントにお互いのことが大切なんだな」

「……お兄ちゃんの方は、多分兄としての責任感だけだと思う」

「そんなことはないだろ……」

「うちは……小学生の頃、お兄ちゃんに助けてもらったから」

「助けてもらった?」


 だんだんスフィカも落ち着いてきたらしい。

 彼女は涙を拭いて、顔を上げた。


「うち、何でか分からないけど前までいじめられてたのニャ」

「何でだろうな……」

「でもお兄ちゃんが助けてくれて……いや、助けるっていうか、ただ代わりにサンドバッグになってただけっていうか……」

「無茶な奴だな……」

「お兄ちゃんは基本頼りにならないけど、誰よりも冷静で、最初に動けるタイプの人間なのニャ。だから……お兄ちゃんは生き返ってほしい……のニャ」


「何してんだ」


 その時、バルコニーの入口にレックスが現れた。

 彼の背後には緋色もいる。どうやら二人で行動していたらしい。


「ああレックス。お前の話をしてたんだよ」

「違うニャ!」

「え? 違くないだろ」

「早く戻るのニャ!」

「……はいはい」


 今更恥ずかしくなってきたのか、スフィカはそそくさとバルコニーを抜け出す。

緋色と来菜もその後にすぐ付いて行った。

 レックスは唖然としているのか、入り口前で立ち止まってしまっている。


「行くぞレックス。部屋に帰ろう」

「え? あ……ああ」


 そうして俺達は二階へと降りていった。


     *


 俺達が二階に降りると、同時にミシェルとシスターも一階から二階に上がってきた。


「おや? 良いのかイ、快太。医務室をもう空けテ」

「三階にはもう誰もいなかったので」


 来菜がそう言うということは、唯香と正司は今個人部屋の中にいるということだろうか。

 もしくはまだ一階か?


「ふむ、一階にも誰もいないよ。二人は部屋の中かナ?」

「そうだろうな」


 レックスはもう自分の部屋の扉に手を掛けている。

 俺ももう部屋に戻ろうかな……。


「じゃ、お休み」


 ミシェルを皮切りに、皆自分の部屋に入っていく。

 ただ、スフィカだけが何故かまだドアノブを握ったまま動かない。


「どうしたんだ? まさか医務室に行く気じゃ……」

「……そんなことしても意味ないニャ。包丁とか持ち出しても、どうせ明日の朝になったらすぐバレるし」


 スフィカは意志の強い少女の様だ。もしかするとまだレックスのルールを利用するつもりなのかもしれない。


「……生き返らせたい相手はいても、殺せる相手はいるのか?」

「……それがいたら苦労しないニャー」

「……それを聞けて良かった」


 俺は笑みを見せてドアノブを捻った。

 大丈夫、彼女はきっと……誰かを殺せたりはしない。

 だから何の心配も――。


「……ッ」


 その時、スフィカが廊下の端の方に視線を向けた。


「どうした?」

「……変だニャ」

「何が?」


 スフィカは廊下の電気を消しに行く。

 別に電気代などを俺達が払っているわけでもないので、いつも付けっ放しにしていた電気だ。

 彼女が電気を消すと、廊下は一気に暗闇に包まれる。

 窓の外は朝も夜も関係なく暗いので、電気を消すメリットはこの塔ではまるで無い。

 スフィカは一体何のつもりだ? これでは個人部屋から漏れ出す光しか頼りが…………ん?


「やっぱりおかしいニャ」

「あ、ああ……」


 俺達は同じ方向に目を向けていた。

 あり得ない部屋から光が漏れ出している。

 『そこ』は、誰が言い出したかは忘れたが、全員の立ち入りを禁止させられていた部屋。

 確かその理由は――………………ッ!?


「快太!?」


 俺はすぐに向かっていった。

 そこは『予備部屋』だ。

 そうだ、禁止にしていた人物のことも、その時の言葉も薄っすらと思い出してきた。



――「予備の部屋が一つ用意されていましたの。中は覗いてみましたけれど、物置きなのか雑多な物で散らかって埃だらけでしたわ。床板も所々剥がれていて、足元も危険な様子……。フフ……あそこにはみんな入らない方が良さそうですわね」



 ……『危険』というのはどういう意味だ?

 いずれにしろ、もしそんなことを覚えていたら、『アイツ』が放っておくはずがない。

 だって、あの決まりを提案をしたのは彼女なんだから。

 ……俺は、予備部屋のドアを開けた――。


「な……!?」


 そんなわけがない。

 そんなわけがないだろ?

 だってそれは……それだけはないだろ?

 どうして……。


「快太ッ! 何が…………ッ!」


 スフィカの目にも入ってしまったようだ。

 いや、そんなはず……ないよな? 

 頼むよスフィカ、何も見えないって言ってくれ。


「……どうして……だよ……」



 目の前にあるのは――――――――――――――唯香と正司の倒れた姿だった。



「……ッ!」


 俺はすぐに二人に駆け寄った。

 そしてすぐに意識を確認する。声には反応しない。ピクリとも動かない。

 つまり意識はない。次に呼吸だ。息はしてない、二人共だ。胸も腹も動きを見せない。

 唯香に至っては腹に何かが刺さっている。正司は分からない、いや、でも背中から血を流している。

 何かで刺した後ってことか? それは何だ? 唯香に刺さっている物と同じか?

 ……痛いッ! 何かが刺さった。二人じゃない。俺だ。俺の膝に刺さった。

 これは……。


「ガラス……?」


 砕け散ったガラス片がそこら中に散らばっている。

 どういうことだよ雪代先輩……そんな話はしてなかったじゃないか……!

 いや違う、芽衣の部屋と同じだ。嘘を吐いたわけではなく、あの人は至る所で言葉を省いて、後に俺達を驚かせるための布石をいくつも用意していたんだ……ふざけやがって……!


 ガラス片は大小様々で、人を刺すには容易な道具だろう。

 唯香はこんな物がいくつも転がっているって知ってたのか? 

 だからここに来て……それで……こう……なったのか?


「……スフィカ、みんなを呼んできてくれ」

「え? で、でも……」

「……そうだな。俺を一人にしたら証拠を隠すかもしれない、俺だって容疑者だもんな」

「そ、そう思ったわけじゃなくて……」

「一緒にみんなを呼びに行こう。そして……また調べないといけない」

「快太……」

「二人を殺した人物が……一体誰なのか……!」

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