4
二階 雪代ルーム
「………………」
俺は言葉を失っていた。
目の前の光景が、どうしても信じられなかった。
信じられるわけがなかった。
「……雪代……先輩……?」
部屋の真ん中で、椅子に座ったままの先輩は項垂れていた。
彼女の首筋からは血が流れていて、既に地面に血溜まりが出来ていた。
血溜まりの中には何か足跡のようなものも残されていて、彼女の首を切ったとみられる包丁が落ちている。
そうだ。
雪代野乃は―――――――――――――――――――――――死んでいたのだ。
……俺は、自分でも違和感を覚える程冷静になっていた。
一回きららの死体を見ていたからか? いや、こんなの何回見ても慣れるものじゃないはずだ。
この違和感は何だ? 何かがおかしい。確かに雪代先輩は死んでいる。
なのに俺は……彼女がまだそこで生きているかのような感覚を味わっていた。
「……君口、頼む」
そう口を開いたのはレックスだ。
「え……?」
レックスは部屋の前にいた正司に目を向けた。
先輩の遺体に気を取られて気付かなかったが、正司はどうやら現場を見張っていたらしい。
「最初に発見したのは棚崎で、それからまだ誰も中に入れてない。だから……お前に任せたいんだ」
「任せたい?」
「……部屋の扉は初めから開いていたらしい。分かるだろ?」
「分かるって……何が……」
「……」
「あ、ああ……分かったよ。先輩を運ぶよ……俺の力で。そういうことだよな?」
「……」
レックスは何故か首を横に振った。
「……違うよ君口。お前には……お前らには『アリバイ』がある。だから任せたいんだ。ここの捜査を」
「……!?」
俺は一瞬で彼の言いたいことを理解した。
彼はこう言いたいのだ。
雪代野乃は――――――――――――何者かによって殺された、と。
「お前……本気で……」
「俺の提案したゲームに乗ってくれた奴がいるんだ。それを裏切るわけにはいかない。これは、そいつと俺達の『意志』の勝負なんだ」
「何言ってんだよ……そんなの……」
「約束通り犯人は一人だけを殺したんだ。だったら俺達も約束を守るべきだろう? 違うかよ……君口……!」
レックスは強い瞳で俺を見つめてきた。
「……ッ」
どちらにしろ犯人捜しはしなくてはならない。
そうでないと約束を破った俺達はその犯人に無差別に殺されるかもしれない。
これ以上の被害者を出さないためのレックスの『提案』だったんだ。
そんなことは俺だって分かってる。分かってるけど……。
「……分かった。それじゃ少し静かにしてくれ」
「ああ……」
俺がそう言うと、レックスと正司は部屋の前から離れていった。
ただ、来菜はまだそこに残っている。
「旦那さん……大丈夫?」
「……不思議と、きららの時よりは冷静なんだ。実感が湧いてないだけなのか、それとも俺がおかしくなっちまったのか……分かんねぇけど」
俺はそう言いながら先輩の前に手をかざした。
俺は超能力のおかげで触れなくても彼女を動かすことが出来る。それは彼女の内臓もそうだ。
動かすことが出来るということは、俺が動かす前までの物体の状態を把握できるということ。
少なくとも、『止まっていたかどうか』は瞬時に分かる。
「……やっぱり死んでる……か」
「分かるの?」
「まあ超能力でな。動いている物を動かそうとする時は相当な力が必要になるけど、動いてない物を動かそうとする時は……驚くほど軽く感じるんだ」
「そう……」
「……先輩……」
やはり変だ。
俺はまだ彼女が死んだという実感を得られていない。ここまで現実を直視できない性格だったのか?
「……ねぇ旦那さん。雪代さん……どんな人だったの?」
「ん? ああ……そうだな……」
俺は先輩の遺体と部屋の様子を詳しく調べるために部屋の中に入った。
部屋の中は意外にも綺麗で、争った形跡すら無い。
そして、調べながら来菜の問いに答える。
「前にも言ったかもしれないけど、この人家柄も凄い人なんだ。まあ葬儀式を教会で大々的に行って、それにシスターも同行してるってだけで察しは付くだろうけど……あ、あとあの丁寧な喋り方もだな」
「旦那さん?」
「困るくらい頭が良くて、厄介な人だった。俺の超能力を世間にばらしたこともそうだし、高校の頃は『女王』って呼ばれてたし……慕ってる人も多かったけど、何というか唯我独尊って感じの人だったんだ」
「……大丈夫?」
「え?」
どうやら来菜も今の俺に違和感を覚えたらしい。
確かに先輩は俺の知人であり結構世話になった人物だ。
だというのに、俺は何故かこんなに落ち着いて彼女の死体周辺を見て回っている。
俺は一旦目線を逸らして自身の心情を整理した。
「……ただで死んだとは思えないんだよ」
「え?」
「この人は超能力者なんかよりもよっぽど怖い人だ。俺に勝ちたいなんて言ってたけど、俺は一度だってこの人と勝負して勝ったことないしな。でも、ずっと俺にぎゃふんと言わせたかったみたいだから……最期に一回くらい言ってやれば良かったな……」
「……」
よりにもよって来菜の前で、俺は柄にもなく別の女性のことで頭を一杯にしてしまった。
別に好意などは無いし、高校の一年しか彼女とは一緒じゃなかったが…………分からない。複雑な気分だ。
「……さっきの『アリバイ』について聞いていいかな?」
俺は話を変えて捜査に戻った。多分、冷静でいられるのは雪代先輩を信じているからだろう。
彼女がただで死ぬわけがない。
もしかしたら、犯人を特定させる何かを彼女自身が残しているかもしれない。
俺はそう考えていたのだ。
「……うん。さっきレックス君が言ってたのは、あたしと雪代さんが風邪ひいた人のこと閉じ込めてたって話だよ」
「ああ……そういうことか……」
「つまり五人にはアリバイがあるの。旦那と緋色君、シスター、芽衣ちゃん、それに唯香ちゃんの五人にはね」
「そういえば芽衣と唯香は?」
俺がそう言うと、タイミング良くその声が聞こえてきた。
「キャァァァァァァァァ!」
驚いて俺達が振り返ると、そこには腰を抜かした唯香の姿があった。
傍には芽衣もいて、彼女に至っては口元を抑えて吐きそうになっている。
おまけに――。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい私の所為で私の所為で私の所為で私の所為で…………うっ」
いつもの謝罪を繰り返し、その場で意識を失った。
無理もない。彼女はきららの時も一度今のような反応を見せていて、その時も一瞬気を失ってしまったのだ。
だからこの場に連れてくるべきではなかったはずだ。
「スフィカ……お前何で二人を連れてきたんだ……」
倒れかけた芽衣を抱えたのはスフィカだった。彼女はそうなることを予見していたのかあらかじめ芽衣の肩に手を置いていたのだ。
「そんなの二人にアリバイがあるからに決まってるニャー。捜査はアリバイのある人でやるべきニャ」
「お前な……」
どうやらスフィカが閉じ込められていた二人を解放したらしい。
……うん? 閉じ込められていた二人を? どうやって?
「良かった。鍵ちゃんと使えたんだねぇ」
「鍵?」
俺がそう言うと、スフィカが疑問を察して答えてくれた。
「そこの壁に鍵が二つ掛かってたのニャ。お兄ちゃんたちが快太たちを呼びに言ってる間に、うちは二人を呼んできたのニャー」
「ああ、なるほどね。二人の部屋は内鍵が無いにしても、外からは鍵の開け閉めできるらしいし……。というか雪代先輩が管理してたんだな……」
「笑顔で言ってたニャ。『お二人の面倒はわたくしが見ますわ』って。有無を言わせない感じだったニャー」
「でも閉じ込めることないよな……」
「あたしに言ってる?」
来菜が若干睨みつけてきた。もしかすると彼女の提案なのかもしれない。
「そんな……何で……」
唯香はまだ立てずに震えている。
流石にそろそろ放ってはおけないか。
俺は部屋の中の捜査を適当に済ませてこの場から皆を離れさせようと考えた。
もちろん先輩の遺体を倉庫に運ぶためだ。ここに置き続けるわけにはいかない。
俺はまた先輩に向けて手をかざし、力を使う。
フワァ
「ありゃ? 快太? もう運んじゃうのかニャ?」
「? 駄目か?」
「遺体を調べなくって良いのかニャ?」
「死んでるのはもう分かってるよ……」
「そうじゃないニャ。遺体に付いた指紋とか色々調べないと、犯人は見つけられないニャー」
「……で? 指紋とやらはどうやって採るんだ?」
「……参りましたニャ」
彼女はどうも推理小説の見過ぎなのかもしれない。
死ぬ覚悟が出来ているからとはいえ、、この状況を間違いなく楽しんでいて、犯人捜しを本気でやるつもりなのだろう。
しかし俺達みたいな一般人には、指紋採取とかそんな難しいことは出来ないよ。
「しかし指紋以外にも分かることはあるヨ」
スフィカたちを押しのけ、ミシェルもまた楽しそうな顔で部屋に入ってきた。
「ミシェル……どこ行ってたんだ?」
「もちろん緋色の安否確認をネ。最早誰が誰を殺すか分からないシ」
「……お前……」
「怒るなヨ。それより、キミは野乃の遺体に直接触れたのかイ?」
「いや……触れてないけど……」
「触れて御覧」
そう言われて、俺は仕方なく彼女の額に触れた。
「冷たい……」
「硬さは?」
「え?」
「死後硬直だヨ。知ってるだロ?」
「あ」
俺はハッとしてもう一度確かめる。
こういうのは間接の辺りが一番分かりやすいだろうか。なら指を……。
「……わ、分からない……」
「どうしてだい? 関節は曲がったのかナ?」
「ああ。いや……でもそれが、なんか薬指と中指とかは硬い気がするし……いやどうだ? 他の指も硬くなってきている気が……うーん……」
「顎は?」
「あ、顎?」
俺は言われた通り顎に触れる。もちろん先程から先輩の身体は浮かせたままだ。
「……硬い」
「首と肩は?」
「……硬い。肩から肘に掛けて硬直が広がっていているのかな……」
「けど指の硬直はまだ途中……カ」
「ミシェル、分かるのか?」
「まあちょっとネ。全身の筋肉の硬直は、普通死後六時間から八時間の間で完了する。遅くとも半日ほどダ。全身の中でも指の硬直は順番的に最後の方だから、死後硬直はもうほとんど完了していると言っていいい。詰まるところ彼女は……昨晩の間に殺されたってことだネ」
「……いや! そんなの分かり切ってることなのニャ!」
スフィカは苦笑いをしながらツッコんだ。
「まあ一応ネ」
どうやら確かに俺や芽衣たち五人にはれっきとしたアリバイがあるらしい。
なにせ俺達は、この一晩中医務室や自室から出られなかったのだから。
俺は昨日の昼時点で閉じ込められていた所為でそれ以降の外の出来事を知らないので、昨晩の間に先輩が亡くなったという事実はかなり有益な情報だ。
じゃあ犯人は残る五人の誰かってことになるのか……?
俺は改めて先輩の遺体を運び出すことに集中する。
唯香やスフィカと芽衣には避けてもらって、後ろから付いてくる来菜とミシェルの視線を感じながら冷凍室へ向かった。
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