3
翌日 三階 医務室
俺は完全に体調を崩した。風邪だろうが、熱で意識が薄れつつある。
ただ、俺だけではなく緋色と唯香もそうだった。
医務室のベッドは二つしかなくて、俺と緋色が先にそこで横たわってしまったので、唯香は自室で寝ているようだ。
もちろん芽衣も昨日に引き続き寝込んでいる。十一人中四人が熱を出してしまったのだ。
「じゃ! ここ閉めちゃうから! 良いね旦那!」
「え……? 何……で?」
俺は熱で苦しみながらなんとか来菜の声を聴いていた。
確か……みんなにうつして回ると良くないからって……閉じ込めておくとかアイツ言ってたな……。
……うん? 『閉じ込める』?
「ご飯は運んだげるから! 絶対外出てこれ以上みんなにうつさないように! 外からつっかえ棒しとくから!」
「え……ひ……酷くね……?」
「また後で!」
そう言って医務室に閉じ込められた。
どうやら来菜は、俺が周囲に風邪を振り撒いたのだと認識しているらしい。
いや、多分それは正解だ。最初に咳をし始めたのは俺だったし。
緋色までこうなってしまったらそりゃ怒られるわけだ。でも緋色まで閉じ込めちまってるぞ?
「……あれ? 私も?」
なんてこった。緋色を看病しているシスターまで閉じ込められちまったじゃないか。
でも彼女はそこまで動揺していない。
まあ、飯は持ってきてくれるみたいだし、正直つっかえ棒くらいで閉じ込めても、俺達がその気になれば力業で出られるだろうしな。
まあ、勝手に外に出たらすぐに気付かれちまうわけだが……。
「……まあ芽衣ちゃんと唯香ちゃんよりはマシね」
何がですか? シスター。
俺は返事すら出来ないほどつらい状況だが、視線を送ったら答えてくれた。
「二人に至ってはあの自室に閉じ込められちゃったから。ほら、内鍵の無いあの部屋」
「あ……ああ……」
来菜の奴酷いな。風邪がこれ以上蔓延しないようにするためとはいえ……。
「野乃ちゃんたら笑顔で二人の部屋の鍵持っていってたわ。正直あの子は苦手……。快太君はそういう人いなさそう」
「ま、まあ……苦手なものは……特に無い……です……かね……」
「私は苦手なものだらけよ。例えば…………そう。神様とか」
……何?
何て言った? 神様? いや、その前に……『野乃』? それって雪代先輩?
……まあ、あの人もそういうことしそうだ。来菜も雪代先輩も、俺達病人を何だと思ってんだか……まったく……。
俺は薄れゆく意識の中で、二人のよく知った女性のことを恨めしく思う。
次第に俺の瞼は、まるで自動ドアのように勝手に閉まっていき、俺は真っ暗な暗闇しか見つめることも出来ずに、深い眠りに就くことに……なって……いった……。
*
翌朝 午前八時
俺の目が覚めた時、同時に緋色とシスターも目を覚ました様子だった。
シスターは緋色が寝ているベッドの隣で座ったまま寝ていたらしい。
「ん……快太君。おはよう」
「あ……おはようございます」
「もしかしてもう大丈夫なのかしら?」
「そう……ですね。熱は無さそうです。喉も痛くない……」
一日寝続けるだけで治るとは、俺は何と頑丈なのだろう。知らなかった。
シスターは立ち上がり、医務室の棚の方を見にいった。
「……この薬、よく効くのね」
「風邪薬、そこに置いてあったんですか?」
「ええ。他にも色々……睡眠薬とかもあるわ」
「……まさか毒薬もあったり?」
「髑髏マークのビンはあるわね」
「分かりやすすぎでしょ」
鬼たちの仕業だろう。飛び降りで命を断ちたくない者は、睡眠薬と毒薬を飲んで死ぬことも出来る。自然死以外の自殺手段を予め用意していたのだ。
生き返られるのは一人だけだから――。
「緋色君はどう? 大丈夫?」
「あ、う、うん。大丈夫……です」
「良かった……」
そう言って微笑むシスターはまさしく素晴らしい聖職者だった。
「ミシェル様もお喜びになるに違いないわ……! そしてずっと看病していた私を褒め称えて下さるはず……フフ……フフ……」
そう言って微笑む霜浦加奈さんはまさしくただのファンだった。
「シスターはどうしてそんなにミシェルのことを……?」
ちなみにミシェルは基本的に全員を名前で呼んでいて、みんなの方にも自分を
『ミシェル』と呼ぶように頼んでいる。『さん』なども要らないと彼は言っているの だが、それでもシスターは『様』付けをしていた。
「……貴方は神を信じる?」
「え?」
シスターの声は虚しさを孕んでいた。
「私は信じていない。でも……私は生まれた時点で、『それ』を信じるように両親に強制されたわ」
「……」
「私は『自由』を謳歌できる人が羨ましくて、心を奪われるの。ミシェル様を見ていると、私は自分の役職を忘れられる。だからこうして、天国や地獄とは違うこんな場所で、誰よりも何よりもあの人に会えて、私はもう……十分なのよ」
俺は彼女の家の事情に踏み込む気にはなれない。でも、どんな人だって何か難しい悩みや問題を抱えて生きているってことは、俺でも理解できているつもりだ。
彼女は少しミシェルに熱を入れすぎな気もしていたが、別に何もおかしくない、彼女はどこにでもいる普通の人だ。
シスターだからといって穿った見方をしてしまっていた気がして、俺は気恥ずかしくなった。
ドン ガッ ドン ドン
「何だ?」
ドアの方から音がした。
昨晩来菜が夜ご飯を持ってきてくれたが、今度は朝ご飯を持ってきてくれたのだろうか。
というかこの感じだとまだつっかえ棒を仕掛けたままだったんだな。
「旦那さん!」
入ってきたのはやはり来菜だ。
だが、彼女の後ろからレックスも付いてきている。
そして――見るからに飯を持ってはいない。
「来菜?」
「大変なの……大変……で……」
彼女は白手袋の上からつっかえ棒を握っていたが、何故かレックスはそのつっかえ棒に目を向けている。
……そういえば、来菜はここに来てからというもの毎日手袋を付けているな。
彼女はそれを『オシャレのつもり』と言っていたが、本当は俺が手袋フェチだということを知っているからではないだろうか?
だとしたら目が飛び出る程嬉しいが、果たして――。
「雪代さんが!」
……………………何?
何だよ。
雪代先輩が…………何だよ?
俺は改めて目が覚めたような気がして、気が付けばベッドから立ち上がっていた。
向かうべき場所は分からないが、来菜が先々にどこかへと走っていくので、俺はただ彼女の後ろを追いかけた。
俺の思考は完全に、もう嫌な未来を思い描き始めていた。
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