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一週間後 一階 ロビー
きららと海江田さんの一件があった日から一週間が経過した。
幸い俺達は今まで通り平穏な日々を送っていた。
レックスの提案した『ゲーム』を始める必要なんてなかった。
「コホッ……」
「? 旦那さん、もしかして風邪?」
俺は口元を抑えて目を逸らした。
「かも……しれないけど、でも多分だい……ゴホッ! ゴホッ!」
「大丈夫じゃねぇじゃん」
来菜は呆れ果てている。ただ、咳をしているのはどうやら俺だけじゃなさそうだ。
ロビーにいた緋色と唯香、それに芽衣も同じように先程から具合が悪そうで――。
「愛野……!?」
レックスが突然倒れかけた芽衣を受け止めた。
俺と来菜は驚いて駆け寄る。
「どうしたんだ!?」
「急に愛野が倒れて……」
レックスは動揺しているようで汗一つ掻かずに、しゃがみながら彼女を抱えている。
「う……ご、ごめんなさいレックスさん……」
「おいおい、体調悪いのか? 部屋まで運ぼうか?」
「え? そ、それは……でも……」
芽衣は顔が赤くなっていた。もしかしたら熱もあるのかもしれない。
レックスは軽々と彼女を持ち上げた。
「え、ちょ、え、あ、え? え?」
「愛野は軽いし俺一人で運べそうだな」
「レックス君さぁ……」
来菜はまた何かに呆れているようだ。まあ確かに、いくら彼女が軽いとはいえ一人で二階に運ぶつもりか?
「大丈夫なのか? レックス……コホッ」
「ああ。二階までなら余裕だよ。というかお前も大丈夫か?」
「ああ大丈夫。ゴホッ! ゴホッ!」
「無駄な強がりだな……」
レックスは全身赤くなっている芽衣を抱えたまま方向転換した。ホントに彼女は軽いらしいな。
「お待ちくださいませ」
そう声を掛けてきたのは雪代先輩だ。わざとらしい薄気味笑いを見せているが、何か妙なことを考えているんじゃないだろうな。
「わたくしも同行いたしますわ。レックス君は……ちょっと積極的すぎますもの」
積極的? うん? どういうことだ?
「ホントねぇ。ま、芽衣ちゃんが嫌じゃないなら良いけどさ」
「?」
レックスも俺も、まるで意味が分かっていない。それより芽衣の熱が明らかにさっきよりも上がっている。早いとこ自室で眠らせた方が良いんじゃないだろうか。
……というか俺もなんか熱っぽいかもしれん。何故か頭がよく回らないし。
俺も寝た方が良いのか? いや、でもなぁ……。
*
二階 愛野ルーム
俺も一緒に付いてきてしまった。心配だったので。
ベッドに運ばれた芽衣は、真っ赤な顔でレックスに視線をぶつけていた。
「ご、ごめんなさい……レックスさん……私……」
「気にするな。大事にしろよ」
珍しい。レックスが朗らかな笑みを向けている。
いや、そもそも彼は穏やかな性格だったな。極限状況でも表情を変えずにいられるという長所のおかげで、普段から無表情だったかのような錯覚に陥っているようだ。
「うぅ……レックスさん……」
芽衣は布団を被って口元まで隠しにかかる。もしかして恥ずかしがっているのか?
…………うん? あ。
今気付いた。よく考えたらレックスは、ここまで彼女をお姫様抱っこで運んで来ていたな。
そうか、緊急事態だと思って考えなかったが、確かにあの運び方は積極的と言わざるを得ない。
まったく……レックスは案外鈍感なんだな。
そうして彼はそのまま部屋を去ってしまった。俺もそのまま帰ろうかとしたが――。
「……もしかして、次は『彼』を追いかけるのかしら?」
「……!?」
雪代先輩が訳の分からないことを言い始める。
どういうことなのか、芽衣は鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を見せている。
「ど、ど、どうし……て……」
「フフフ……わたくしが気付かないとでも思って? 貴方がずっとわたくしの跡をつけていたことくらい、初めから気付いていましてよ」
「……ッ!」
何の話だ? というか俺が聞いていい話なのか? これ。
雪代先輩は芽衣の不安な表情を見て、優しげな笑みを作り出した。
「ああもう、気にしなくて大丈夫ですわよ? わたくしは全然嫌じゃありませんでしたもの。貴方がわたくしの―――――――――――ストーカーだったとしても」
………………は?
「気付いて……」
「あのバスの中でも情熱的な熱視線を感じていましたわ。でも、貴方のことに気付いたのはもっと前……」
「え?」
「わたくしの前はこちらの快太君でしたものね?」
「そ、それは……!?」
何? おいおい……どういうことだ?
「でも快太君も良い人ですから、許してくれると思いますわ。ねぇ?」
そう言われても……俺は話をよく理解できていないんだが……。
「……すみません、どういうことですか?」
俺がそう言うと、観念したかのように芽衣は口を開いた。
上体も起こして、先程まで真っ赤だったはずの表情も元に戻っている。
ひょっとして熱ではなく照れていただけか?
「……ごめんなさい。私は本当に駄目な人間で……最低で……酷い女で……クズでゴミで生きる価値の無い無駄で無意味な……」
前に似た感じの状態の人間を見たな。きっとみんな、ここに長くいすぎて精神がすり減っているのだろう。
「ストーキングが趣味だったのか?」
「!? ……はい。その……お二人とも顔が良いので……」
「えぇ……」
「レックスさんも……良いですよね……」
「お、おう……」
「……ハッ! ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……私は本当に実はただの犯罪者でそのことがバレるのが怖くて怖くて……」
だからいつも謝罪を続けていたのか。毎日誰かしらストーキングしてたら、そりゃ罪悪感で胸がいっぱいになるだろうな。
うん、毎日誰かしらストーキングを…………いや、じゃあしなきゃよくないか?
「どうしてそんなことを? というか、雪代先輩をストーキングって、彼女は大学生だけど……」
「あらあら違いますわよ? この子は高校の頃からわたくしのことストーキングしていらっしゃたのですわ」
「……え? マジ?」
芽衣は小さく頷いた。
「その……見つけた顔の良い人は一通り……。あ、あとこの制服は手作りで、私ホントは別の学校の生徒で……ごめんなさい。あのバスに乗っていたのも偶然ではなくて、私が追っていた人が揃っていたからというだけなんです……ごめんなさい……」
今になって衝撃的すぎる真実を知ってしまった。
そういえば初めて会話した時も謝罪からだったな。この子が怯えていたのはもしかして初めからこのことを隠したかったからなのか?
「ま、まあ今更もういいよ。しかし驚いた……」
「そうなんです……私の所為なんです……」
「え? 何が?」
「全部私が悪いんです。私の所為で……私の所為で私の所為で私の所為で」
うむ、どうやら謝罪癖は生来の性格によるものらしい。いや、もうどっちが先なのか分からないな。
「ですから気にしていませんわよ? フフフ……ではお大事に。行きましょう快太君」
「あ、ああ……はい」
部屋から出ると、俺はまた咳を少ししてしまった。
「……風邪が流行るのは良くないですわね。こんな狭い空間では、すぐに広まってしまいますわ」
「え、ええそうですね……。何か対策を考えないと……」
「フフフ」
「? 何ですか先輩」
「いえ。ただ……次はレックス君が芽衣さんのストーキング対象になると思うとおかしくて」
「お、面白いですか?」
「あの子はどうも惚れやすい性格のようですわね。男女問わず」
「なるほどなぁ……」
「もしかしたら……本当は『生き返るべき一人』を選んでいるのかも」
「……先輩……」
その話はもうしたくない。結局原田兄妹もミシェルもシスターも、それに俺自身も、自分が生き返ってほしい人のための殺人なんて犯さずにいるんだ。
この塔の中でみんな適応するべきなんだ。それしかない……そうだろ? 先輩。
「わたくしは自分が生き返りたいですわ」
突然のその言葉に、俺の時間は一瞬止まる。
「え……!?」
「……快太君。わたくしがどうして貴方を……貴方のその『力』を世間に公表したか分かるかしら?」
「それは……お、面白いと思ったから?」
「フフ、それもありますわ。でも……一番は、貴方に勝ちたかったからですわ」
「『勝つ』……?」
「わたくしは自他ともに認める優秀な人間。もちろんミシェルさんのように完璧超人とまでは言えませんけれど、それでも……人外には負けたくなかったのですわ」
「……それって……俺のことですか?」
雪代先輩は小さく微笑んで目を閉じた。
「フフ、最初に貴方に出会った頃の話ですわ。常識の枷から外れた超能力者の存在は、わたくしの固定観念をズタズタに引き裂き破壊した……。その時わたくしは貴方をわたくしの手で屈服させたいと考えたのですわ。だから貴方をわたくしの超能力研究会に勧誘し、貴方への嫌がらせとして世間に貴方のことを明かした。けれど今はまあ……とにかく貴方にぎゃふんと言わせたいとしか思っていませんわね」
「それでもぎゃふんと言わせたいんですか……」
「そう。ですから、わたくしはまだ死ねないのですわ」
再び開いた彼女の瞳は、不思議と違和感を覚える程の輝きを見せていた。
彼女はそんなことを本気で自分の生きる理由の全てであるかのように口にしている。
俺は、彼女ともう目を合わせずに一階に戻ろうと考えた。
この人は少し……いや、かなり変な人だが、それでも目を合わせ続けていると彼女に飲み込まれそうになる気がしてならない。
俺はとにかく来菜のことを考えて、来菜で自分の頭を埋め尽くそうと考えた。
なるべく彼女のことを理解しようとしないため。
「――貴方はどこまで分かるのかしらね?」
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