2
賽の石塔 正面出入口
孤独で不安な旅路は僅か五分程度で終わる。
俺は塔の正面に辿り着いた。
「ここか……」
分かってはいたが、やはり大きい。しかし、灰色の空に同化したこの塔は、存在自体がまるで景色に溶け込んでしまっているようで、河原の近くに建てられていることに違和感を持たせない。
「……入るか」
早速巨大な扉を開く。ギィと音を立ててゆっくり開くが、俺が力を入れたのは最初だけ。
誰かが中から開けているのではないかと思えるほど、不自然にこの扉は開いた。
俺は中から差し込まれる光に一瞬目が眩む。
そして次の瞬間、心が安堵で包まれた。
「旦那!?」
俺に対してそんな呼び方をする奴はこの世で一人しかいない。
「来菜!」
気掛かりだったことがすぐに眼前に現れる。
塔の中で二度目の再会だ。川瀬来菜は確かに変わらぬ姿でそこにいて、俺はもうその意味を理解している。
「お前……もしかして、お前もあのお姉さんに言われてここに?」
俺は彼女と触れるか触れないかという距離で先に質問を投げかけてしまった。
若干抱きしめなかったことに後悔している。
「旦那さんも同じかい? あたしもそう。それと……ここにいる他のみんなもね」
言われて俺は周囲を見渡した。気付けば塔の扉は独りでに閉まっているが、そんなことを気にする余裕は無い。
この塔の一階は明るく、広いロビーはまるで洋風のホテルだ。そうだとすれば、『彼ら』はよもやこのホテルの客……ではないだろうな。
「また来た」「あら?」「どうなってんだよ……」「ふーん」「…………」
このロビーには人が何人かいる。何故だろう、俺はこの人々に見覚えがある。
人数は十二人。俺を含めて十三人か。十三人が今この塔の中にいる。
「あたし覚えてるよ。ここにいる人みんな……あのバスに乗ってた人」
「何?」
「嘘じゃないよ。あたしの
忘れていた。
そう、来菜にはそんな能力があった。思えば俺と来菜が出会ったきっかけだってそこにあるじゃないか。
彼女は一度見た景色などを瞬間に記憶し、忘れない。もちろん良いことばかりじゃない能力だし、彼女がそれを疎ましく思っていた時期があるのも知っている。
ただ、その彼女が『覚えている』というのなら、それは間違いなく事実なのだ。
「そうか……じゃあ、バスの事故に遭った俺達は、みんな揃って臨死体験ツアー中ってところなのかな?」
「そゆことだね。フフフ、死に目で旦那と会うことになるとはねぇ」
「うーん……笑い事ではないかもな」
周囲の人間たちは皆自分達の会話を聞いて訝しんでいる。静かな所で声を上げ過ぎたかな。
俺が少し気恥ずかしさを覚えた直後、全員の視線は俺達ではない別の者に向けられることになる。
「これで全員かなぁぁぁ!?」「全員かなぁぁぁぁ!?」
二人の子ども声が合わさって聞こえてくる。まるで遊園地にでも来たかのような歓喜の声だ。
「……何だ……?」
声のした方向は天井だった。巨大なシャンデリアの上からその声は聞こえていた。
そちらの方に目を向けると、俺達は思わず唖然としてしまった。
「こんにちは人間ども!」「こんばんは人間ども!」
……鬼がいた。
小さな二体の鬼だ。だが、先の女性とは明らかに違う。何が一番違うと言えば、まずこの二体には…………目が一つしかなかった。
「初めまして! 僕は牛頭!」「僕は馬頭!」
「閻魔様の一番のしもべさ!」「二番のしもべさ!」
自らを『牛頭』と名乗った方は左側頭部に、『馬頭』と名乗った方は右側頭部に角が一本だけ生えている。二頭身で髪は縮れ、爪は異常に伸び、衣服を着ておらず肌の色は赤い。こいつらは間違いなく鬼としか言い表せない。
正直鬼がこの塔の中にいることは想像していた。していたが……冷静さを保てない。
「あれ? 挨拶出来ない? 人間どもはこれだから!」「これだから!」
さっきの女性はまだ人間と似通っていたが、こいつらは完全に化け物じゃないか。
……そうだよな。やっぱりここは現世じゃないんだよな。
俺は改めて自分の身が置かれている状況を把握した。
「初めまして」
すると、あの化け物二体相手にまともに挨拶する奴が出てきた。
なんと豪胆な精神の持ち主だろう。妙な金髪の男だが、彼は多分俺と同じくらいの年に違いない。
何故なら彼は俺と同じ学校の制服を着ているのだから。
「偉いね!」「偉いね!」
「挨拶できる人間もいるんだね!」「出来ない人間もいるけどね!」
「それじゃあ早速ここの説明してあげるね!」「『賽の石塔』の説明だね!」
捲し立てるように話すが、きっと彼らも先の女性のように味方してくれるのだろう。
ここの説明をするということは、俺達に『生き返る方法』を教えてくれるということのはずだ。
地獄に仏というが、彼ら鬼だって優しいじゃないか。良かった。このまま死なずに済みそうだ。
他のバスに乗っていた人たちも、運転手さんは残念だがほぼ助かるみたいで良かった。
「あ、あの……ここに来れば生き返る方法を教えてもらえるって聞いたんですけど……」
一人のオドオドした少女が尋ねる。
彼女もきっと死ななくて済んで安堵しているに違いない。いやぁ、良かった。
「教えないよ!」「まだ教えないよ!」
…………あれ?
やはりそう上手くはいかないか。しかし『まだ』ということは何かしら条件を提示するつもりだろう。
鬼は俺達人間に何を望むのだろう。うーん、一発ネタとかかな。
「この塔はね、衣食住何でも揃ってるんだよ!」「娯楽もあるよ!」
「君達十三人にはここで一ヶ月間一緒に暮らしてもらうよ!」「共同生活だよ!」
…………何?
なるほどそう来たか。しかしその間に俺達現世で死んじゃうんじゃないか?
俺以外のみんなも驚いている。流石に無理難題を押し付けられたと考えているのだろう。
でもきっと何か意味があるはずだ。心優しい鬼の子たち、どうか説明を続けてくれ。
「安心して! ここでの時間の流れは現世と無関係だから!」「何ならいつまでもいられるよ!」
「ここで一ヶ月、みんなで仲良く暮らせたら!」「仲良く暮らせたら!」
「その時には生き返る方法を教えてあげるよ!」「あげちゃうよ!」
そら来た、そういうわけだった。
だが、納得して安堵しているのは俺だけらしい。他の面々は皆まだ不安の中にいる。
何故だろう。鬼の子たちが巨大なシャンデリアを揺らすものだから、もしかするとあれが落ちてくることを不安がっているのか?
いや、もしかすると違うかもしれない。彼らはまだこの状況に適応できていないのだ。
彼らはまだ鬼の子たちの言葉を信じられないのだろう。
「ふざけんな! そう言って俺達を取って食うつもりだろ! 化け物め!」
一人の男がそう叫ぶ。彼も見るからに俺と同じ学校の生徒だ。
しかしそのニット帽は何だ? 校則で許されているのか? まあ、うちは自由な校風だからな。
「……貴方達は何を企んでいるのかしら? どうして親切にわたくしたちを助けようとしてくださるの?」
別の女性が尋ねる。背をこちらに向けていて顔は見えないが、どこかで聞いたような声だ。
でも知り合いではないだろう。なにせ彼女は喪服のような真っ黒なドレスを身に纏っている。
うちの学生以外の知り合いがたまたまバスに乗り合わせていることなどそうはない。
……いや、来菜がいたか。
「閻魔様は退屈しているのです!」「僕らも退屈なのです!」
「だから君達人間を観察して楽しみたいのさ!」「それだけなのさ!」
「…………そう。よく覚えておくわ」
その女性は何故かフフフと静かに笑ってみせた。
きっとあの鬼の子たちの挙動が面白いのだろう。彼らはシャンデリアを揺らしながら身振り手振りを示しているが、一体何が楽しいのか皆目見当つかない。
「人間観察……ネ」
一人の長身の男も、傍にいる小さな子どもの肩に触れながら、どうやら納得したようだ。
彼は学生ではなく成人男性だろう。子ども連れだし。スポーツサングラスをしたモデル体型の人物だが、もしかして有名人か? いや、よく見るとどこかで……。
「それじゃあみんな! また今度!」「また一ヶ月後!」
鬼の子たちがトォッと言いながらシャンデリアからジャンプする。
地面に降り立った彼らはそのままどこかへと立ち去ろうとしたが、、また一人の女性がそれを止めようとする。
「待ってよ! 何で一ヶ月後なの!? 今教えてくれればいいじゃん! 私達を生き返らせてよ!」
これまた俺と同じ学校の女生徒だ。
何だ? この子も綺麗なモデル体型じゃないか。もしかしてそういう人間を集めたのか?
いや、それは偶然のはずだ。だって俺達は皆たまたま一緒のバスに乗り合わせただけなのだから。
「それは駄目! だってみんなが仲良くなってくれなきゃ意味ないもん!」「そうだもん!」
「でも、折角だしヒント上げようかな?」「どうしようかな?」
「何でもいいから言えよ。バケモンが」
この男の人はちょっと雰囲気怖いな。成人……だと思うけど、態度が見るからに悪い。
それでも鬼の子たちはまったく臆していない様子だ。
「仕方ないなぁ、特別だよ!」「格別だよ!」
「生き返る方法のヒントは……」「ヒントは……」
「「魂を満たすことさ!」」
「……………………」
ハッキリ言って意味がわからない。
しかし彼らが言うからには意味があるのだろう。きっとそうだ。
うむ、『魂を満たす』……つまり、心が満たされたら良いのかな?
悩みなどを解決したり、とにかくポジティブになることを言うのだろうか。
だとしたら『みんなで仲良く』の意味も理解できる。
人と人の繋がりは心を豊かにする。少なくとも俺はそう考えている。
そうだ。きっとそうに違いない。みんなと仲良くなることで俺達は生き返ることが出来るんだ!
「それじゃあバイバイ!」「バイバイバーイ!」
そう言って鬼の子たちはどこかへと消えてしまった。
そう、『消えた』のだ。霧散するかのようにして。やはり俺達はもう常識の通用しない世界に来てしまっているらしい。
しんと静まり返ったロビーには、俺達十三人の人間だけが残ってしまう。
来菜は不安など抱いているように見えないが、昔から彼女は自分の本心を悟られないようにするのが上手かった。
他のみんなだって、不安をたくさん抱いているのは間違いない。
でも、きっと大丈夫だ。
俺達は一人じゃない。一緒に上手くやっていこうじゃないか。大丈夫。俺達はみんなで生き返ることが出来るはずだ。そうに決まっている。
――……その時の俺は、そんな甘いことを考えていた。
――俺達は『選択』をしなければいけなかったんだ。
――何故なら俺達人間は、常に『選択』を委ねられる存在なのだから……。
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