第132.5話 幕間 大司教バルツィヘルム①

「ふむ。眠れなくなってしまいました」


 正体を隠したアレクと大司教が邂逅したその夜。

 突然の真夜中の訪問者に、目が覚めてしまった彼。ゴルディック教会大司教、バルツィヘルム。


「……」

 隣では安らかな寝息をたてて美しい女性、ヨミが眠っていた。


 そんな彼女を見て昔のことを思い出す。

 遥か遠い……彼がまだ魔族であった頃を――。




 ◆◇◆◇




「これが……光! 光の世界! 力が……力が漲るぞぉっ!!!」


 影界と現界との間に稀に開いてしまう次元門。

 幸か不幸か、彼はその発生に巻き込まれてしまった。


「くっはっはっは! 憎き現界の者どもよ! 俺の力を思いしれ!」

 そして彼も、かつての他の魔族と同様、溢れる力に身を委ね破壊の限りを尽くしていた。


「にっ、逃げろー!」

「くっはっはっは!」


 何日も、何日も。


「助けてーっ!」

「くっはっはっは!」


 何人もの人間を殺害し。


「せ、せめて俺だけはっ! ぐぎゃっ!」

「くっはっはっは!」


 いくつもの村々を滅ぼした。


「やめなさいっ!」

「くっはっは――は?」


 彼女に逢うまでは。


「何の罪もない人々を襲わないで!」

 か細い両手を広げ、幼い子どもを庇う修道服に身を包んだ女性。


「――邪魔だ、どけ」

「どきません!」

 触れれば容易く折れてしまいそうな腕をいっぱいに広げる女性。


「――邪魔だと言っている! どかぬなら貴様ごと殺してやるぞ!」

「嫌です! さぁっ、今のうちに逃げてっ!」

 その目には涙を溜め、恐怖に必死に堪えている女性。


「――っ!」

 しかし、彼にはその女性を害することができなかった。


「(何故だっ! 何故この俺がこんな貧弱な女如きにっ!?)」

 幼い子どもを、必死に守る姿。




 ――それは彼が今まで見て来た何よりも美しかった。


「……あなた、人間ではないのですか?」

「……そうだ、と言ったら何だっ!? だからどうしたっ!」

「そう、ですか。きっとお辛いことがあったのでしょう。良ければ、私にお話ししてくれませんか?」


 なぜ人間の小娘にそんなことを言われなければいけない。

 お前なんかに話したところで何だと言うのだ。

 そう思いながらも……気付けば、彼はその女性に全てをぶちまけていた。


 影界で生まれたこと。そこでは魔法が使えなかったこと。強力な魔物が闊歩し、限られた場所や乏しい資源を奪い合うように生きてきたこと。生きるために必死だったこと。

 そして突然、影界からこちらの世界にやってきたこと。彼が感じて来た憎しみ、恨み、辛い体験、そして現界への羨望、全てを女性にぶつけていた。


「そうですか……お辛かったですね。だけど、だからと言って罪のない人たちを襲ってはいけませんよ」

「……ならば……俺はどう、生きればいいというのだ……」

 抑圧された生活からの解放、溢れる全能感。そしてその否定。


「……でしたら――」

 途方に暮れる魔族、この信心深い女性は彼を見捨てることはできなかった。




 そうして、魔族と女性はともに生活を始めた。

 彼が何を目的にして生きていくのか、それはまだわかっていない。


「さぁ、今日も償いの善行を重ねましょう!」

「……うむ」


 しかし、彼が殺めてしまった人々や破壊してしまった村々。

 その罪を、この女性と一緒になって償う日々を送るのは悪くないと彼は感じていた。


「いいですか! 命は大切なのです! 決して快楽や憎しみでそれを奪ってはいけません!」

 ここのところ毎日聞かされている言葉。影界での生活では考えられない程ぬるい。


「わかってるよ」

 しかし、そのぬるさのなんと心地よいこと。


「では行きましょう! 今日は村の復興を手伝いに行きますよ!」




 そんな生活が続く。

 やがて、生命が息吹き、緑が茂り、木々に色が付き、その色が落ちる。そしてまた生命が咲き誇り……。




 ――それは起こってしまった。


「ここが、魔族とその犬の住処か」

「だ、誰ですかあなた達は!?」


 いつしか彼の償いの日々に、村の人々も少しずつ彼を受け入れた始めた頃。

 しかし彼を受け入れられない人間が、その恨みを日増しに大きくし、遂に牙を剥く。


「何だ、当の本人はいないのか。ならば――くっく、いいことを考えたぞ」

「な、なに……いやっバルツィさん……助けて……」




 償いの日々に慣れ、この日1人で村に行っていた魔族。

 彼が戻った時には、既に女性どころか、誰もいなかった。


「ヨミ!? ヨミーっ! どこに行ったぁーっ!? 返事をしてくれーっ!」

 残された抵抗の痕。それらが、彼女が攫われたことを示している。


「……必ず! 必ず見つけ出すぞ! 待っていてくれ!」

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