第4話 内部留保

 高校2年生の頃から、その彼とは付き合うようになった。

 だが男女の仲として付き合っていたのは、どれくらいだっただろうか?

「数か月くらいだったのかな?」

 という曖昧な気持ちになったのは、実は、

「恋愛感情の垢にいる」

 と思ったのが、最初の一か月くらいだったのを意識していたからだった。

「あっ、何かおかしい」

 と感じたのが、告白から付き合い始めてから、一か月ちょいくらいだっただろうか、違和感があったのだ。

 その違和感を抱きながらも、付き合っている時期は続いた。

 しかし、それまでは会えなくても寂しくはなかった。

「付き合っているんだから、いつだって会える」

 という思いがあったからなのだが、違和感を感じてから少しして、

「会えないのが、こんなにもどかしいとは」

 と、また悶々とした気分になっていたのだが、実際に考えてみると、

「会えないということが、どういうことなのか、わからなくなったんだ」

 と感じた。

 そうなると、今度は、

「会うのが怖い」

 と思い始めた。

 自分の中の心境に変化が表れてきたということなのだろうが、

「会ったら何を話していいのか分からない」

 と思うと、会うのが怖いという感覚に結びついてきたのだった。

 変化というものが、自分にとって、どういうことなのかを考えてみると、それが、

「本当にあの人のことを好きだったのだろうか?」

 と感じることだった。

 性欲が強いはずなのに、彼と遭っている時、

「抱かれたい」

 という気持ちにならないのだ。

 まるで、中学生のデートのようなものに満足し、

「何が楽しいというのだろう?」

 という思いを抱き、

「抱かれる」

 ということをどのように意識すればいいのかと思うと、

「目の前にいる人だからこそ、感じることができない」

 と思うのだ。

 それは恥ずかしいということではないものだったが、それが、中学時代からの知り合いだったということが影響していると思った。

「中学の頃から付き合っていたかった」

 という思いを、今、後悔の念が襲っていて、

「中学時代からやり直したい」

 という思いが、強くなり、

「それが性欲を抑えていたのかも知れない」

 と感じたのだ。

 中学時代の自分が、まだウブだったのだということを思わせるようで、それだけ、高校生になった時、大きな変化が自分にあったということだろう。

 中学生になった時は、明らかに思春期への突入だったが、高校生になった時、それは、

「思春期から抜けた時期だったということなのでは?」

 と感じたのだが、それは逆に、

「思春期だからといって、性欲の強さとは、直接関係のないことなのかも知れない」

 つまりは、

「思春期を抜けてからの方が、性欲は強まり、実際の肉体的な欲求が強まってきたのではないか?」

 と感じたのだった。

 高校生になって、彼とつき合い出したはよかったが、急に冷めてしまったように思うのは、

「それだけ、肉体的なことが、自分を襲ったから、彼では満足できないということを本能的に感じたのではないだろうか?」

 ということを感じたが、どうも、都合のいい解釈に思えて仕方がなかった。

 それだけ、別に何か思うことがあったに違いないと感じるのだった。

 高校生になって男子と初めてつき合ってみたが、その興奮は、思ったよりもなかった。

「中学生からやり直そう」

 と、彼が思っていたと感じたから、佐和子は次第に彼から気持ちが離れていった。

 しかし、後から思うと、やり直したいと思っていたのは、彼よりもむしろ自分の方ではないかと感じるようになると、自分で驚愕したのだ。

 実際に、それが本当だとすると、

「彼はどうして、こんなにアッサリと私から身を引いたのかしら?」

 と感じたが、

「それはきっと、私に対して、最初の気持ちが間違いだったことに気づいたからなのかも知れない」

 と感じたが、さらに考えると、

「最初から、私のことを好きでもなんでもないのかもしれない」

 と思った。

 だから、彼がいったではないか。

「君の視線に気が付いた」

 とである。

 佐和子の視線に気づいたことで、彼は、

「好かれたから好きになろうとしただけのことだ」

 と言えるだろう。

 だから、好きになれなくても、それは当然のことであろう。

 確かに、好かれたから好きになって、愛し合うようになるカップルも多いだろう。

 しかし、それは、好きになろうとして好きになったわけではなく、最初から好きだった気持ちを自分の中で今一度奮い立たせただけのことではないだろうか?

 それを思うと、佐和子のことを、彼は好きではなかったというだけのことだと思えば、この別れは必然だったといってもいいだろう。

 なぜなら、佐和子だって、彼のことを好きだったのかどうか、別れてしまってから考えても、その答えは見つかることはないのだった。

「私が相手を好きになる」

 ということは、普通にあると思っていたが、それは、段階がいるもので、

「好きになるという土台がしっかりしていることが前提だ」

 ということであったのだ。

 だから、彼に対して、

「好きになる前提がなかった」

 ということであり、人を好きになるという感情は、

「年齢によるものではないか?」

 と考えるようになった。

「人間というのは、いかに生きるかということは、最初から遺伝子のようなものの働きで、ある程度までは、決まっていて、その遺伝子が本能と呼ばれるようになると、次第に、意識を持つようになり、本能と意識で、生きていくということになるのだろう」

 と考えるようになったのだ。

 だから、

「デジャブというものがある」

 と考えることができるのではないだろうか?

 つまり、

「デジャブというものが、見たり行ったりしたことがないにも関わらず、以前どこかで見た、あるいは、どこかで聞いたというものを感じる」

 ということになるのだろう。

 デジャブが、説明のつかないことであり、その解釈として、

「前世で見た」

 というのも理由としてあった。

 昔は、

「信憑性のない笑い事」

 のように感じていたが、遺伝子や本能というものが最初から決まっていると考えると、シナリオの青写真が透けて見えることで、

「それが、デジャブだ」

 ということになるのであれば、信憑性はあるといえるのではないだろうか?

 佐和子は、もう30歳になっていた。大学を卒業し、普通に就職したのだが、別に大学時代も一生懸命に勉強したというわけでもなく、

「可もなく不可もなく」

 という成績で卒業し、入った会社でも、事務職に毛が生えたような仕事を、適当にこなしていた。

 まわりの女性は、もっとやる気があるので、中にはすでに、何度もプロジェクトに参加し、エリートコースを歩んでいる人もいれば、結構早いうちに辞めた人もいた。

 結婚するという人はまわりで聞くこともなく、誰も、

「結婚したいとは思わないな」

 という人が多かったのだ。

 だから、そんな仲間が集まったといってもいいだろう。

 仕事というのが実に楽しいというわけではなく、他に何か趣味を持っているわけではない。

 趣味をする中で、何を楽しむかということを考えると、

「兄が一体楽しいというのか?」

 と、まったく浮かんでこないのだ。

 イメージが浮かばないものを、無理にすることはないと思っているので、実際に何もする気にならない。

 かといって、酒を呑むとか、友達を作るとかいうこともない。

 彼氏というのも、実際にはいたことがない。

「付き合ってくれませんか?」

 と告白してくる人は、大学時代には数名いたが、

「私は、誰ともお付き合いをする気がない」

 というと、

「ああ、そうですか」

 と言わんばかりにショックを受けるわけでもなく、最初から分かっていたかのように思われるだけで、何も楽しいとは思わない。

 その日も、会社が終わってから、家までのいつもの道を歩いていたのだが、会社から駅までのいつもの道は、

「歩道は広いのだが、それだけに、自転車が我が者顔で走っているのが、鬱陶しい」

 ということをいつものように考えていたのだった。

 駅までの道を歩いていて、その先にあるものを考えたこともない。普通、毎日同じ道を歩いていたりすると、同じルーティンを過ごしていることで、

「何かを考えていないと、身が持たない」

 というような気持ちになり、気が付けば、

「絶えず何かを考えていた」

 と思うのは、昔の方が余計にあった。

 むしろ、

「何かを考えない方が難しい」

 と思っていたのに、最近は、自分で何を考えているのか、まったく分かっていないのだった。

 しかし、最近は、

「まったく何も考えていない」

 と思えることが多い。

 きっと、何かを考えていて、我に返ると忘れてしまうからではないかと思うのだが、それは今に始まったことではないはずなのに、思い出した時、残っているのは、後悔の念だけであった。

 それは、思い出せなかったことへの後悔であり、その後悔は、本当は感じる必要のないものだった。

 思い出したことで、何かが始まるというわけではない。だが、思い出さないと、気持ち悪くて、苛立ちが募るのだ。

 その日も、会社で何か、苛立つことがあったのだが、

「私は一体、何に苛立っているんだろう?」

 というほど、考えていることが、ハッキリとしないのだった。

 そんな時は、何かを考えているのだが、時間だけが先に進んでしまったようで、

「気が付けば、同じ場所にいて、時計が5分進んでいる」

 などということが結構あったりするのだ。

 かと思えば、

「時間が経っていないのに、数十メートル先にいた」

 と感じる時があり、その時、なぜか背後に視線を感じ、後ろを振り向くのだが、誰もいないのだった。

 そんなことを時々思っているのだが、その日も類に漏れず、同じ感覚だったのだ。

 夕方の帰宅途中にそんなことを感じる時というのは、えてして、朝から頭痛がする日が多かった。

 昼仕事をしていると、次第に痛みが緩和してきて、夕方くらいには、痛みが消えているのだが、そのおかげか、痛みが消えると、結構スッキリしてきて、そのかわり、まるで薬でも効いているかのように、ボーっとなることが多い。

 だから、このような意識が曖昧な状態に陥るのではないだろうか。

 それを感じながら、会社から駅まで歩いていた。

「今日はいつもよりも人が多いな」

 と思ったのだが、よく考えてみると、金曜日だった。

 金曜日の夕方というと、人通りが多いのは当たり前のはずだったのだ。

 だが、よく考えてみると、

「金曜日がお得とかいっていた時期があったが、あれはどうなったのだろうか?」

 と思った。

 金曜日の仕事を半ドンにして、昼から自由にすることで、飲み屋であったり、食事処などが、金曜日は、昼から賑わうというものだった。

 確か、4、5年前くらいにそんなものがあった気がしたが、当時とすれば、結構商店街などの活性化に一役買いそうなイメージだったのだ。

 映画館などと一緒の駅直結型の、商業施設などであれば、

「映画の半券で、ビール割引」

 であったり、

「串カツ一本サービス」

 などという企画があったが、金曜日の昼からであれば、同じようなサービスをしているところも少なくなかった。

 だから、金曜日は、自家用車で通勤している人も、電車で来たり、飲んでから、

「運転代行」

 を雇うという人も多かったのだ。

 だが、最近では、それも言わなくなった。

 一番の理由は、

「世界的なパンデミック」

 の流行からであろう。

 これが、ちょうど3年くらい前からだったので、せっかくの金曜日の企画だったが、

「行動制限」

 を敷かれるほどになったので、繁華街で飲み歩くという、金曜日の企画は、当然のごとく、尻すぼみになってしまうことだろう。

 そもそも、

「金曜アフタヌーン企画」

 というのは、政府が、

「国民にまとまった休みを与えて、そこで金を使わせよう」

 という作戦だったのだ。

 金を使わせることで、経済を活性化させ、不況を乗り切ろうとするものであったが、そもそも、根本が間違っているのだ。

 というのは、国民にお金を使わせるためには、

「割引や、まとまった休み」

 などで、

「さぁ、お金を使おう」

 などということにはならないのだ。

 決定的に基本的なこととして、

「給料のベースアップ」

 がなければ、お金を使わない。

 バブルを経験した人にとっては、

「いつ何が起こるか分からない」

 と思うことだろう。

 何しろ、

「銀行は絶対に潰れない」

 と言われた、

「銀行不敗神話」

 が、バブルがはじけたことで、あっという間に崩れたのだった。

 あの時のショックは結構なものだっただろう。

「何を信じていいのか分からない」

 ということになる。

 何とかバブルを乗り切った。

 というか、リストラであったり吸収合併などという、

「荒療治」

 で、会社だけが何とか生き残ったというところであろうが、それからの日本は、迷走を重ね、

「失われた30年」

 などという言葉でいわれるようになり、その途中で、

「非正規雇用問題」

「男女雇用機会均等」

 などという問題が上がってきて。紆余曲折の中、今がある。

 大きな波も中にはあった。

「ボーガンショック」

 などというのもあり、こちらも、世界的な不況をもたらしたが、何とか乗り切った。

 だが、非正規雇用などでは、大きな社会問題を引き起こした。

「雇用単価が安く、いつでも首を切ることができるという派遣社員などの制度は、雇う方にもメリットがあるが、今までの終身雇用などということで、会社に尽くす、忠誠を誓うなどという古臭い考え方から、新しく、契約社員などという形のものにあると、雇われる方も気は楽だった」

 と言えるだろう。

 しかも、不況で

「少しでも経費節減ということで、単価の安い社員を雇う方が会社も楽だ」

 と言えるだろう。

 しかし、そんな時、一番バチをかぶるのが、今までいた正社員だろう。

 正社員は、それまでにリストラなどで、かなり人員を切ってきたが、経済が少し余裕を見せてくると、今度は、会社としての体力がなくなっていたのだ。

「ゼロ戦だって、熟練のパイロットがいたから、全戦全勝で、無敵と言われたのではないか」

 ということであった。

 つまり、バブルがはじけたせいで、会社は、経費節減に走り、

「一番手っ取り早いのが、人件費だ」

 ということで、リストラが行われたせいで、今度は、体力がまったくなくなり、会社を支える人がいなくなってしまったのだった。

 まさに、

「国破れて山河在り」

 とはこのことだろう。

 だから、会社が何とかちょっとした不況を乗り切ったとしても、それは、

「肉を切らせて」

 のことであっただろう。

 それが、社会問題となった、いわゆる、

「派遣切り」

 だったのだ。

 契約を切られた派遣社員が街にあふれた。ホームレスが一気に増えたことで、ボランティアの人たちが、

「派遣村」

 というもの作り、そこで、炊き出しを行ったりして、

「会社から弾き出されていくところもない人が、頼った場所だった」

 のである。

 それでも、会社は、容赦なく、派遣切りを行う。

「会社さえよければそれでいい」

 ということなのか、どう考えても、理不尽であり、理屈に合わないことであるにも関わらず、ボランティア以外に助ける人はいないのだった。

 政府は、ずさんな管理で、

「年金を消してしまった」

 などという事件もあった。

 完全に、経済を復興するどころか、会社や国がそんな状態では、もう、どうすることもできないのであった。

 外国では、不況というものが起こっても、経済が復活していた。しかし、日本の場合は、そうもいかなかった。

 その理由としては、経済が停滞する時の問題として、

「物価の上昇」

 というものがある。

 しかし、物価が上昇するのだが、上昇しても、それにともなって、

「給料も上がる」

 ということで、

「給料が上がれば、その分、お金を使う」

 ということで、経済が停滞するということはないのだ。

 給料が上がるということが分かっていれば、お金を使う。なぜなら、お金を使って経済が潤滑することになるから給料も上がるという仕掛けを知っているからであった。

 しかし、日本の場合はそうもいかない。企業が、絶対に給料を上げないからだ。

 もし、給料が上がったり、一時金などが出たとしても、国民は金を使わない。それが、

「一時金である」

 ということが分かるからで、

「調子こいて使ってしまうと、自分で自分の首を絞めることになる」

 と思うからだった。

 ここには、日本企業の、

「内部留保」

 という考えがある。

 これこそ、

「国破れて山河あり」

 ということなのであろう。

 内部留保というのは、各企業が、黒字になったとして、普通黒字になれば、社員に分配するものなのだろうが、日本の場合はバブルがはじけた時の教訓で、

「会社が、いつどうなるか分からない」

 という恐怖を覚えたのだ。

 それが、

「銀行不敗神話」

 であり、絶対に潰れないと言われた銀行が潰れたことで危機感を持った企業が、儲けを少しでも会社の貯蓄にしようと、社員に還元しないのだ。

 そうなると、お金が流通するわけはない、会社も分かっているのだろうが、内部留保によって助かったという時代もあったことから、国も、

「内部留保をやめてくれ」

 と大きくは言えないのだ。

 その内部留保のおかげで助かったというのは、言わずと知れた。ここ数年前に起こった、

「世界的なパンデミック」

 であった。

 その時に、経済の停滞どころか、

「人流抑制」

 ということで、国からの、

「緊急事態宣言」

 ということで、

「休業宣言」

 が行われたのだった。

 政府とすれば、どうしようもなく、しかも、休業宣言というのも、強くは言えなかったのだ。

 そんな内部留保が、経済の停滞を招き。日本は、ベースアップがないまま、物価だけがどんどん上がっていくという、

「インフレと不況が一緒に来た」

 という、

「スタグフレーション」

 という、ジレンマのような状態に経済が追い込まれ、何をやっても、うまくいかないというような状態になってしまったのだ。

 さらに今は、

「伝染病の流行抑制と、経済を回す」

  ということのジレンマの中、政府も難しいかじ取りを迫られているというのが、現状であるが、正直、

「今の政府に、何ができるというのか?」

 ということであった。

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