90.妖精の結婚って知っている?
結婚式の五日前、エルヴィ様からお茶会の誘いを受けた。ようやく寝室から出られたハンナを伴い、庭の扉からお邪魔する。この扉、本当に便利よね。一度外に出なくて済むんだもの。
「お招きありがとうございます」
笑顔でご挨拶をする私は、見知らぬ女性に驚いた。鮮やかな赤毛の元王女様の隣に、これまた艶やかな黒髪美女がいる。初めて会う方なので、丁寧にご挨拶した。
「エヴェリーナ殿下を助けてくださっているようで、本当にありがとうございます」
ものすごく丁寧にお返しされた。なんというか、私には足りない品格のようなものがある。お名前はトゥーラ様、元伯爵令嬢でエルヴィ様の親友だという。国を逃げ出す際にアドバイスをくれた人よね。それにヘンリの元雇い主!
「あなたが運命の人を紹介した方ね」
恋愛小説の読み過ぎで、ちょっと表現がロマンチックになったかも。くすくすと笑ったトゥーラ様は、昨夜到着したばかりらしい。午前中は街を一緒に散策し、午後のお茶に私達が呼ばれた。特別なお友達扱いのようで、嬉しい。
「ふふっ、そうなるのでしょうか。どちらかといえば、私よりあなた様の方が有名です」
よく狙われるから? 小首を傾げる私に、彼女は巷の噂を教えてくれた。なんでも結婚を招く幸運の奥様扱いだとか。知らなかったわ。様々な障害を超えて結ばれ、周囲にも恩恵を振り撒く。そんなイメージが広がったようだ。
確かに結婚ラッシュだけど。まだ首を傾げていると、トゥーラ様は上品に笑って一冊の本を勧めてくれた。この国で出版され、ムストネン公爵家御用達の商会が出版したとか。タイトルは『妖精の結婚』で、サブタイトルも付いていた。『愛し愛される喜びをあなたにも』だ。
初めて見るタイトルなので、興味を惹かれて開いてみた。さっと斜めに読んで、数枚で閉じる。顔が赤くなった。これ、登場人物の名前を少し捻っただけで、ほぼ実話じゃない!
「小説の
ほほほと上品に語るトゥーラ様に悪気はない。首や手も真っ赤になった私は、お茶会で何を口にして何を話したのか。まったく覚えていなかった。ハンナが何やら話しかけていた気もするけれど。
屋敷に戻って、自室で悶絶する。長椅子から落ちて、そのまま絨毯を転げ回った。呆れ顔で見守るハンナは、子爵夫人の肩書に合わせたドレスを着替え始める。私も着替えないといけないのだけれど、さっきの衝撃がまだ消えなかった。
つい先日本屋に行ったけれど、新刊の列になかったわよ? いつ発行したの。
「……奥様、ほら……着替えましょう」
「ハンナ、あれ……絶対に私達がモデルよ」
「正確には奥様が、ですね。私は端役ですから」
言い切らないで頂戴。ついでに一緒に悶絶して! 無理なお願いを口にして跳ね除けられ、夕食まで立ち直れずに絨毯に懐いて過ごした。迎えに来たルーカス様が驚いた顔で、具合が悪いのかと確認する。
もそもそと身を起こし、崩れた髪を手櫛で直した。ぼそぼそとお茶会で披露された小説の話をすれば、彼は何でもないことのように頷いた。
「ああ、その本なら知っている。購入希望者が多くて手に入らないらしい」
本屋の店頭になかった理由が判明したけれど、何も解決しなかった。
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