23.この国を敵に回すわよ
ヴェール同様、カードのケースは咄嗟に手にした。考えるより前に掴んで胸元に押し込む。ぺたんこのリンネアがイーリスに化けると、胸に詰め物をする。柔らかな布製の偽乳は隙間があった。走りながらケースから取り出したカードを中へ詰める。
正面を見ている騎士は気付かない様子だ。後ろで空のケースを預かったハンナは呆れ顔だった。後でお説教を食らいそうだわ。でも自分の身に着けておくのが一番安全だと思うの。
騎士が案内する方へ一緒に逃げたけれど、他に誰もいない。まさか、皆は火事を消そうとしている? そこで違和感を覚えた。こちらは風下になる。火の粉が散る方向へ誘導するなんて、避難経路としておかしい。腕を掴む騎士の腕を振りほどいた。
ただの無礼なら後で謝る。でも私は自分の感覚を信じた。今までこの直感に何度も命を救われてきたから、疑うことはない。じりじりと離れる私の様子に、ハンナも警戒を露わにした。私達を見る騎士は、乱暴に髪をかき上げる。
「どこで気づかれた? わざわざ着替えたってのに」
この国の騎士服を手に入れた、平然と口にするのは私達を殺す気だから? 舌打ちしながらの言葉より、彼の手が剣の柄を握ったことに震える。どうしよう、逃げて間に合うか。幸い、室内で寛いでいたので踵の高い靴ではない。走れるが、騎士が女の足に遅れを取るとは思えなかった。
盾にする物もない裏庭で、逃げ込む場所を探す。少し持ち堪えれば、私達がいないと気づいた警護の兵が動くはず。騎士の抜いた剣が月光を弾いた。いや、炎が反射して赤く禍々しい光を宿す。ふと……脳裏に『星』のカードが浮かんだ。
直感を信じろと読んだけれど、もしかして緋色の乙女の方がヒントだった、とか? もっと分かりやすく出てよ。そうしたら火事に注意したのに。いや、火事を暗示するなら『塔』の方が近い。別の意味があったんだ。
愛、希望、感謝、対価のない好意……全部違う気がする。考え事をしながらも、体はゆっくり後ろへ下がった。ハンナの手首をしっかり握っているのは、彼女が飛び出さないように。戦うためではなく、犠牲になって私を逃がそうとする人だから。手を離してはいけない。
こんな時、颯爽と白馬の王子様が助けるんだよね。先ほどまで読んでいた物語のようにいかないのは、承知していた。それでも部屋に助けに来てくれたルーカス様を思い浮かべる。婚約者のまま亡くなったら、ずっと覚えていてもらえるかしら。
「宮廷占い師イーリス・ヴェナライネンと知っての襲撃なの? この国を敵に回すわよ」
距離を詰める騎士を睨みながら、私は堂々と胸を張った。声は少し震えてしまう。でも、情けない死にざまを語られるなんて御免だわ。最期まで負けない! 気合を込めて睨む私は、いきなり後ろから抱き込まれた。
「立派です、イーリス」
耳に吹き込まれたのは、ルーカス様の声だ。ばっと人が駆け寄り、騎士を取り囲んだ。一瞬の出来事で、状況がよく呑み込めない。ただ、助かったんだなと実感した。足が震えて力が抜け、へたりこみそうになった体をルーカス様が支える。
「アベニウス王国は、今回の件をすべてステーン公爵家の暴走として切り捨てた。諦めて投降せよ」
堂々と騎士に言い放つルーカス様を見上げた。赤い炎に照らされて、銀髪が鮮やかに輝く。白馬じゃなくて、銀髪の王子様だ。死を覚悟して麻痺した私は、緊迫した場に似合わぬ感想を抱いた。
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