もしも聖夜に、この運命の糸が編めたなら

和泉公也

もしも聖夜に、この運命の糸が編めたなら

 かじかんだ手で鞄を漁りながら、日羽ひわ優也ゆうやは何度も深呼吸を繰り返していた。

「プレゼントはよし。それと、一番大事な……」

 焦っていて戸惑ったが、鞄の奥底にひとつの小さな箱があることを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。

 十二月二十四日。暖冬が予報されたが、今日は気温が低い。優也はすっかり冷え切った公園のベンチに座りながら、今日のプランをもう一度練り直していた。

 ――まずは、レストランか。

 優也の心臓がドクン、ドクンと高鳴っていく。「落ち着け、俺」と自身に何度も言い聞かせ続けていく。

 ――絶対、成功させるぞ。

 まだ約束の時間まで二時間もある。さっきから何度もイメージトレーニングを行なっている優也だが、あと一度だけやったらどこか暖かい場所に移動しようと考えていた。

「お兄さん、何やっているの?」

 どこからともなく、高い声が聞こえてきた。

 優也の目の前に、小さな女の子がこちらの顔を覗き込んでくる。目がクリっとしていて、髪も長いブロンドの可愛らしい少女。真っ白なケープとワンピースの、ゆるふわな感じだ。見たところ、大体七歳かそこらぐらいだろう、と優也は予測した。

「君は? 俺に何の用?」

「ん? 何にも。ただ、すごーく緊張した顔していたからさ、気になっちゃって」

 何なんだ、この子は、と優也は呆れかえりながら額を掻いた。

「何でもない。ちょっとこれから大事な用事があるから、一息ついていただけだ」

「ふぅん。もしかしてそれって、プロポーズとか?」

 ――ギクリ。

 思わず優也の顔が硬直してしまう。

「な、君には関係ないでしょ」

「あっ、図星なんだ」女の子は不敵な笑みを浮かべて、「多分お相手は年上の人かな。二つぐらい上の。んで、モデルさんみたいにスラっと背が高くて、姉御肌な感じ。付き合って大体二年ぐらいになるのかな?」

 ペラペラと喋る女の子の姿に、優也の顔が更にこわばっていった。


 ――気持ち悪いぐらいに当たっている。


 確かに、優也がこれからプロポーズしようとしている女性――月原つきはら汐音しおねは二歳年上の会社の先輩だ。新入社員当時から教育してもらい、頼りない彼のことをサポートしてもらっていた。次第に彼女に惹かれていった優也は、ある日の飲み会の帰り道で、酔った勢いで告白してしまう。まさか、本当に付き合えるとは、と彼自身が一番驚いていた。

「な、なんでそんなことを……」

「ん? だって、私は天使だから」


 ――天使?


 おかしなことを言う子どもだな、と優也は眉を潜めた。

「はいはい。天使さんね、うんうん」

 一度思考を仕切りなおすことにした。多分、偶然だろう。それか、鞄の中に仕舞った指輪の箱を見られたか。彼女の特徴を当てたのも、恐らくただの当てずっぽうだろう。

「あー、その顔だとまだ疑っているね」

「そんなことはないよ。凄い凄い」

 これ以上相手にするのも面倒だ、と優也は適当にあしらった。

「だったらついでに教えてあげる」女の子はため息混じりに、「このままだとお兄ちゃんのプロポーズは失敗するよ」

 ――えっ?

 なんでそんなことを言われなきゃならないんだ、と優也は怒りそうになったが、子どもの言うことだと自身に言い聞かせて思い留まった。

「ど、どういう意味、かな?」

「まず駅前にあるオシャレなレストランにでも行くつもりなんでしょ?」

「そうだけど……」

「予約は?」

「……取れていない」

 うぐっ、と言葉を詰まらせ気味に答える。

「はぁ、呆れた」

「仕方ないだろ、クリスマスで予約があっという間に一杯になったんだよ。一応、一般枠があるっていう話だったからそれに賭けようと……」

「そんなんじゃ天使じゃなくてもフラれるのは目に見えるよ」

 小さな女の子にキッパリと正論を言われてしまい、優也は落胆して頭を抱えた。

「そんなことを言ったって、今からじゃ他のレストランなんか……」

「別にオシャレなお店じゃなくてもいいんじゃない? 例えば、お兄ちゃんがいつも行っている焼き肉屋さん、とか」

 ――なんだって?

 優也は目を丸くして驚いた。

「いや、焼き肉屋って、汐音さんとよく行くあの二千円食べ放題の?」

「そっ。彼女さん、あのお店好きでしょ?」

「まぁ、好きだけどさ……」

 確かに彼女なら喜んで行くだろうと優也は考えた。あまり気取った店よりかは彼女も自分も気楽に入れるだろう。

 だが、折角のクリスマスに行く店なのだろうか? と、優也は思案を巡らせる。

「ちなみにだけど、クリスマスシーズンにはチキンとかケーキとかも食べ放題に含んでくれるよ、あのお店は」

 そこまで言われて、優也はしばらく考え込んだ後、

「……そこにしてみるか」

 懐からスマホを取り出して、店へと電話を掛けた。

 しばらく店員と「はい、あぁそうですか」等と会話をした後、電話を切る。

「どうだった?」

「うん、席空いているみたいで予約取れた」

 あまり浮かない顔つきで、優也は話しかける。

「そう、良かったね!」

「いいのかな……?」

「いいのいいの、食事に関してはね」女の子はにっこりと笑って、「で、その後だけど……」

 えぇ……、と優也は更に眉を顰める。

「まだ何かあるの?」

「勿論! それで、次はどこに行くわけ?」

「えっと、その……」優也は少し物怖じ気味に、「次は駅前広場のイルミネーションを見ようかな、と」

「うんうん。で、そこでプロポーズをする、と」

「そうだよ。まだ何か文句ある?」

 段々と優也の声に余裕がなくなってくる。

「ううん、全然素敵だと思う。ありきたりすぎるけど。とりあえず焼き肉屋で飲み過ぎないようにね」

 大きなお世話だ、と優也は心の中で思いながらため息を吐いた。

「それじゃあ、俺はこれで……」

「あっ、ちなみにだけど」立ち上がろうとする優也を女の子は遮るように、「駅前広場も人が多いから、イルミネーションの裏手の方がいいよ。意外と人が少ないから」

「……ありがとう」

 どぎまぎしながら、優也は再び腰を下ろした。

「あとは指輪は用意してあるの?」

「当たり前だろ」

「それとは別のクリスマスプレゼントは?」

「勿論。手編みのマフラー用意してある」

 優也がそう言うと、女の子はぷっと吹き出して、

「あははは、手編みのマフラーって。女の子みたい!」

 女の子は笑い転げているが、次第に優也の顔が険しくなっていく。

「いや、これは……」

「マフラーとか、そんなの渡したって……」

「……バカにするなよ」

 優也は静かに、力を込めて言い放った。

「えっ……」

「バカにするなっつってんだよッ! 俺が、俺がどんな思いで編んでいたと思っているんだッ! さっきから余計なお世話を言いやがってッ! こっちは真剣に、彼女にプロポーズしようと思って……」

 そこまで言い放って、優也ははっと我に返った。

「……ごめんなさい」

 流石に女の子も反省したのか、顔を俯かせている。

「こっちこそごめん……。大人げなさ過ぎた」

 一言謝ると、優也はふぅ、とため息を吐いた。

「ううん。悪いのは私だから」女の子は再びにっこりと微笑んで優也のほうを見る。「そのマフラー、本当に純粋な気持ちで編んだんだね」

「あぁ」優也も釣られて微笑みながら、「実はさ、俺の母さんも編み物が好きで、父さんに告白をするときにマフラーを贈ったらしいんだよね。もう死んじゃったけどさ、この編み方も母さんに教わったんだ。それで、そんな母さんにちょっとでもあやかりたくて。好きな人にプロポーズするときにはこれを贈ろうって決めたんだ」

「告白するときじゃなくて?」

「うん。それがさ、酔った勢いで告白しちゃったから、ちゃんとしたプレゼントを用意していなくて。あ、ここは笑ってもいいところだからね」

 そう言って、優也と女の子は互いに顔を見つめ合って笑い合った。

「あははは、お兄さんらしい!」

「でしょ? 今でも彼女にいじられるんだよね、このときの告白で」ひとしきり苦笑いを浮かべた優也は、「だからせめてプロポーズのときはきちんとプレゼントで渡そうって決めていたんだ」

「うんうん、すっごい素敵。本当に大事にしているんだね、彼女さんのこと」

「当たり前だろ」優也は目を真っすぐ見つめて、「俺にとって最高の人だから。今まで会った、誰よりも。だから、絶対に幸せにする! そう誓ったんだ」

 優也は拳をぐっと握った。

 女の子は少しだけ寂しそうな表情を浮かべ、「そっか……」と呟いた。

 優也はそんな彼女の表情を不思議そうに見つめると、

「あ、そうだ。折角だからさ、これあげるよ」

 優也は鞄の中から何かを取り出して、女の子の首元に巻きつける。

 青いフカフカと柔らかな布が、女の子を包み込んでいた。

「これって……」

「マフラー。彼女とお揃いで作ったやつなんだけど、ここまでアドバイスしてもらったからね。ほんのささやかなお礼だよ」

 女の子は不思議そうな表情を浮かべながら、マフラーをモフモフと触っている。

「えっと、いいの? だってこれ……」

「勿論、彼女に渡すほうはちゃんと残しているよ。それと色違いの、赤いやつ。ほら、彼女は赤が好きだから。反対に僕は青が好きで、本当はそっちは自分用なんだけどね」

「あ、ありがとう。でも……」

「大丈夫、また作ればいいからさ」

 そう言って優也はにっこり微笑むと、女の子は「ありがとう……」と照れくさそうな表情でお礼を言った。

「あ、もうこんな時間だ。それじゃあ、そろそろ行くね」

「……うん」

「今日は助かったよ。君のおかげで勇気がもらえた。ありがとう、“天使さん”」

 優也はもう一度微笑みかけて、そしてそのまま手を振って公園の向こう側へと走り去っていった。

 女の子はただ黙り込んで、しばらく彼の背中を見つめていた。



 雪が降ってきた。

 積もるほどの量ではないが、空気を冷やすには充分すぎるほどだ。

 女の子はマフラー越しに白い吐息を何度も吐き出しながら、呆然と公園の隅っこで佇んでいた。

「あーあ、行っちゃったよアイツ」

 公園のトイレから、一人の女性が現れる。短髪でそこそこ派手なメイクから姉御肌な雰囲気を醸し出している。

「……変わった人」

「全くだよ。ここ最近ソワソワしていると思ったら。隠しているつもりでもバレバレだっての。しかも別の女にプレゼント渡すか、フツー?」

 女性――月原汐音は頭を掻きながら女の子に話しかけた。

「だけど……、とってもいい人でした」

 女の子はそう呟いて、しきりにマフラーを触っている。

「知っているよ」汐音はふっと笑みを浮かべて、「ヘタレで頼りない男だけど、やるときはやる奴だから。アタシの自慢の恋人、だぜ」

「そっか……」

 俯く女の子の顔から、どこか物寂しそうな様子を醸し出していた。

「なぁ、まだにわかには信じられないけどさ」汐音が尋ねた。「本当、なのか? 本当なら、君が優也と……」

 そこまで言いかけたところで、女の子はこくり、と頷いた。

「うん。神様がそう言っていました」

「神様って、ねぇ……」

 女性はまだ信じられないといった顔つきでため息を吐いた。

「運命線っていって、人は生まれたときから将来結ばれる相手が決まっているみたいなんです。だけど、ちょっとしたアクシデントでその運命線が違う人に結ばれることも稀にあるみたいで……」

「アタシはその『稀』とやらに当たっちまったってわけか」

 やれやれ、と汐音は頭を掻く。

 女の子は黙り込んだ後、肩を上下に震わせた。

「本当なら彼と、高校の同じクラスで出会って、喧嘩しながらも最終的には修学旅行で告白されて付き合って、将来的には幸せに結ばれる、はずだったのに……」

 ――泣いている?

「お、おいおい……」

「なんで私、死んじゃったんだろう……。受験のプレッシャーなんかに負けないで、気の迷いで自殺なんてしなければ……、あんな素敵な人と巡り会えたのに……」

 泣きじゃくる女の子の姿を、汐音はずっと見つめていた。そして、そのままそっと彼女は女の子を抱きしめた。

「すまないな。君の運命の人、もらっちゃって……」

 汐音は優しい声で囁いた。

「う、うぅん……。いいんです……。こうして生まれ変わってから、彼と会うことができたし、お姉さんみたいな素敵な人と結ばれてくれて……」

 ゆっくりと、女の子は汐音から離れていく。

「せめてアタシらの結婚式には君のことを呼んであげたいけどね……」

「ありがとうございます。でも……」女の子は涙を拭いながら、「どうやら、前世の記憶……、ううん、今この瞬間の記憶も、今日が終わったら消えちゃうみたいなんです。神様が言っていました」

 どこか寂し気な表情で、女の子は言い放った。

「そっか……。残酷だね、神様ってやつは」

「はい。本当に……、残酷、です」

 女の子はもう一度、マフラーを触った。

「ありがとうな。あのままだったらアイツ、まともにプロポーズなんてできずに終わっていただろうし」

「いいえ、こちらこそありがとうございます。いきなり現れて、こんなお願いを聞いてくれて……」

 そう言い合いながら、女の子と汐音は見つめて笑った。

「さて、アタシもそろそろ行くとするか。しっかりとアイツの心意気を受け取ってくるよ」

「……はい、ご検討をお祈りします」

「それじゃあな。なんだか寂しくなるな」

「ですね……。もう二度と会うこともないでしょう」女の子は涙を少しだけ滲ませながら、「絶対幸せに、なってくださいね」

「あぁ。約束する」

 汐音は力強く相槌を打ち、そして二人は背を向け合いながら、公園を立ち去っていった。


 雪が少し強くなってきた。


 ――ねぇ、もしも、運命が少し違って。


 ――あなたと私が結ばれた世界があったのなら。


「あなたは、何色のマフラーを編んでくれましたか?」

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もしも聖夜に、この運命の糸が編めたなら 和泉公也 @Izumi_Kimiya

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