第107話 誘拐


 畑の岩をどかしていると血相を変えたアレクセイ兄さんがやってきた。

 どうせまた魔導鉄道のことだろう。

 シャルが脱皮で寝ているので、僕は一人で畑仕事だ。

 忙しいから本当に勘弁してほしいよ。

 ところが、兄さんがここへ来た理由はまったくの別件だった。


「ここにクレアは来ていないか?」

「ここしばらく見ていませんよ。また家出ですか?」

「いや、ひょっとしたら誘拐かもしれない」

「なんですって! でも、どうして?」


 アレクセイ兄さんは僕に一通の封書を渡してきた。


 アレクセイ・ダンテス伯爵


 クレアお嬢さまは私が預かった。

 無事に返してほしければ、身代金として3億クラウンを用意されたし。

 引き渡し方法などは追って連絡する。

 こちらの正体を探ろうなどとは思わないことだ。

 下手なことをすればクレアお嬢さまの命はないものと思え。


 差出人の名前はなしか……。


「今日の午後、この手紙が屋敷の門内に投げ込まれたのだ」

「犯人の心当たりは?」

「最初はお前の犯行かと思った」


 いろいろ恨んでいるけどさっ!

 だいたい復讐をするのならもっと違う方法を考えるよ。

 クレアなんてさらったら、うるさくて仕方がないじゃないか。


「姪を誘拐なんてしませんよ」

「うむ、さすがにそれはないかと考え直した」


 兄さんの場合あっちこっちから恨みを買っているから、犯人が特定できないのだろう。

 身代金は3億クラウンか。

 ダンテス伯爵家なら払えない額じゃない。

 ある意味で、ちょうどいい線をついているとも言える。


「クレアの護衛は何をしていたんですか?」


 お忍びでガンダルシアに来るときも五人からの護衛部隊がつかず離れずで守っていたのだ。

 彼らは誰もが腕利きである。

 その辺の人さらいにむざむざ敗れるとは思えない。


「護衛は何も見ていない。クレアは屋敷から忽然と消えてしまったのだ」

「侍女のロッシェルさんは?」

「あの侍女も一緒にいなくなってしまった」


 屋敷の中まで誘拐犯が入り込んだというのだろうか?

 それとも、内緒で抜け出そうとしたところで、たまたま誘拐犯と遭遇した?


「くそ、まったく、あのバカ娘はどこへ行ったのだ!」

「すこし落ち着いてください。僕も周辺を探してみます」

「頼む。私はいちど屋敷に戻る」


 アレクセイ兄さんは慌ただしく去っていった。


かわいくない姪とはいえ、誘拐されたとなるとさすがに静観はできないぞ。

まずはガンダルシア島周辺を捜索してからベルッカの屋敷にいってみよう。


 コテージに戻るとベッドからシャルの弱弱しい声が聞こえてきた。


「父上、おでかけですか?」

「ベルッカの屋敷に行ってくるよ。シャルはここでやすんでいてね。メアリーに来てもらうように話をつけておくからね」

「シャルも行きたいであります……」

「脱皮が終わったらね。そしたらいっぱいお出かけしよう。まずはルボンのサンババーノのところだ」

「そうでありますね。わかりました、シャルはいい子で待っているであります」


 僕はシャルを残してウーパーのところへ行った。

 ことがことだけに今回は護衛を頼むことにしたのだ。


「ようやくか……」


 ウーパーが涙ぐんでいるぞ。


「どうしたの?」

「ようやくセディーが俺を頼ってくれた」

「いつも頼っているじゃない」

「それは支配人としてだろう? 俺は護衛としても役に立ちたいんだよ。セディーが心配だからな」

「そんな心配症で、よく将軍が務まったね」

「おう、部下が心配すぎて常に前線で戦っていたんだ」


 将軍としてそれはどうなんだ?

 まあ、部隊の士気は上がるだろうなあ。

 全軍の先頭を駆けていくウーパーの背中が見える気がした。


 ***


 時は少しさかのぼる。

 クレアはウキウキで屋敷を抜け出すタイミングを計っていた。

 今日も変装をしているが、いつものような奇抜なかっこうではない。

 どこにでもあるような、ロッシェルの普段着を身に着けていた。


「こんな変装で使用人たちの目をごまかせるかしら?」

「いつもよりずっと目立たないですよ……」

「そう? まあいいわ。ロッシェル、準備はできている?」

「はい。誘拐犯役の人間も雇ってあります。その者たちが後で犯行の手紙を出すことになっています」

「なかなか本格的ね。馬車は?」

「聖リチド通りの端にある目立たない空き地に」

「あなたにしては上出来じゃない。いくわよ」


 クレアは大量のシーツを抱えて廊下を歩いた。

 シーツが邪魔をしてクレアの顔は周囲から見えていない。

 まさか、クレアがこのようなものを運ぶとは誰も想像できず、見とがめられずに二人は洗濯室までやってくることができた。

 召使たちが使う通用門を通って屋敷の外へ出ると、二人はリチド通りまで走った。

 クレアにとっては心躍る大冒険の始まりである。

 今度こそセディーと二人きりになれる。

 こんどこそセディーに好きと言おう。


「お嬢さま、あの馬車です」


 空き地に止められた馬車に乗り込むとクレアは高らかに叫んだ。


「出発よ!」


 二人の見知らぬ男が無言のままにうなずく。


「この者たちは?」

「ご、護衛です。正規の護衛の方々はまいてしまいましたので……」

「しっかり勤めなさい。報酬はあとで渡すわ」


 男たちは無言でうなずくだけだ。

 

「今夜の潜伏場所はどうなっているの?」

「もう、用意されています」

「きちんとした場所なのでしょうね?」

「それは……」

「汚いところで寝るのは嫌よ。夕飯は魚料理にしてちょうだい。白身をソテーして、アーモンドバターソースがいいわ。付け合わせにはニンジンと芽キャベツを」


 今夜は隠れ家に泊まり、実家には脅迫状を送る。

 みんなは血眼になって自分を探すだろう。

 ロッシェルはなんとか逃げ出したふうを装い、ガンダルシア島へセディーに助けを求めに行く。

 セディーが来たところで悪者たちは逃げていく。

 自分はセディーに甘えて愛を告白。

 二人は永遠に結ばれる。

 以上がクレアの立てた完璧かつ穴だらけの計画であった。

 馬車は街道をガンダルシア方面へ走っていく。

 今のところはすべてが順調だ。

 遠くの方にガンダルシア島が見えてきて、クレアのテンションは一気に上がった。

 やがて、馬車は街道をそれて脇の小道に入っていく。

 細い道の奥は行き止まりになっていて粗末な小屋が建っていた。


「お嬢さま、着きました。ここが潜伏場所です」

「ここがぁ……?」


 目の前の小屋は崩れかけており、屋根一面に苔がむしている。

 長らく人が住んでいなかったのは一目瞭然だ。


「まさか、この私をこんなところに入らせる気?」


 クレアはロッシェルを睨みつけようとしたが、上手くいかなかった。

 二人の男たちがクレアをロープで縛りあげてしまったからだ。


「あなたたち、気が早いわよ。ロープはセディーが来る直前で構わないの。これだから下々の者は……」


 ぶつくさ言うクレアを男たちは小屋の中に引っ張っていく。

 小屋の中で待っていたのは痩せた初老の男だった。


「あら、見たことのある顔だわ。名前までは思い出せないけど」

「ふふふ……、私はアボーン・シャイロック。つい最近までベルッカで商売をしておりました。クレアさまにも何度かお会いしたことがあるのですよ」

「そうだっけ?」


 クレアは手近にあった椅子に腰を下ろした。


「それで、あなたも私の計画に雇われた一人なのね」

「いえいえ、そうではございません」


 シャイロックはニッと口角を釣り上げる。

 そうすると、生来の悪相がさらに強調されて異様な不気味さが漂った。


「これは私の計画ですよ、クレアお嬢さま」

「どういうことなの?」

「あなたの愚かな企みに便乗させていただいたんですよ。つまり、あなたは私によって本当に誘拐されたのです」

「え? でも、これは私が計画を立てて……」


 クレアは理解が追い付かない。


「使用人はもう少し大切にすべきでしたな。ダンテス家の内情を探ろうとしていたら、今回の件をロッシェルが教えてくれましたよ」

「なんですって⁉」


 クレアは周囲を見回したが、すでにロッシェルの姿はなかった。


「ククク、かわいそうなお嬢様だ。あなたはたったの金貨三枚で売られたのです」


 シャイロックはさもおかしそうに肩を揺すって笑った。


「おのれっ! この縄をほどきなさい! ウィンドカッターで切り刻んでやるっ!」

「おぉ、怖い。さすがはダンテス伯爵家のご令嬢だ。ずいぶんと気が強い」


 シャイロックはクレアに近づいて彼女の細いあごを掴んだ。


「ひっ……」

「私はダンテス伯爵に恨みがあるのですよ。クレアお嬢さまを使ってその恨みを晴らさせてもらいましょう」

「汚い顔を近づけないで! 息が臭いわ!」


 シャイロックの手の甲がクレアの頬を張り、乾いた音が室内に響いた。


「痛い!」

「少しは立場を自覚しろ、このバカがっ! しばらく一人でいるがいい」


 シャイロックは部下を引き連れて外へ出ていってしまった。

 ここに至って、クレアは自分の状況をようやく自覚する。

 小さな窓には鉄格子がはめられ脱出は不可能そうだ。

 せめて風魔法が使えればなんとなりそうだが、ロープで手を縛られていては魔法の発動は無理だろう。

 部屋の中の闇が一段と濃くなった気がした。

 外も薄暗くなって、東の空には一番星が輝き始めている。

 殴られた右の頬がジンジンと痛んだ。


「助けて、セディー……」


 クレアの両頬を二筋の涙が流れた。

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