第94話 赤いおっさん


 早朝、ヤギの悲しそうな鳴き声が外から聞こえてきた。

 柵に脚でもひっかけたのだろうか?

 放っておけば大怪我になってしまうかもしれない。

 着替えもせずに、僕はパジャマのまま外へ飛び出した。

 ところが、ヤギは柵の中でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 元気にみえるけど、どうしてあんなに嫌そうに鳴いているのだろう?


「背中に誰か乗っているであります!」


 シャルが指摘した通り、ヤギの背中に小さな子どもが乗っていた。

 いや、あれは子どもじゃないぞ。

 身長はシャルより低いけど、顔は中年男性でもじゃもじゃのひげまで生やしている。

 しかも、赤い服と赤いトップハットという妙ないでたちだ。

 つまりド派手なおじさんが、嫌がるヤギに無理やり跨って、毛を引っ張っているのだ。


「僕のヤギに乗って何をしているの?」


 赤いおじさんは僕と目が合うと悪態をついてきた。


「こいつは俺さまのヤギにするんだ。悔しかったら捕まえてみろウスノロ小僧!」


 ベーと舌を出す顔は意地悪の権化みたいになっている。


「ヤギが嫌がっているだろう? さっさとそこから降りてよ!」

「やなこったい。ここまでおいで、ベロベロベー!」


 おじさんが毛を引っ張るので、ヤギは暴れまわってしまい、追いつくことができない。

 だけど、シャルがおじさんの背後に忍び寄った。

 

「とったぁ!」


 後ろに飛び乗ったシャルが赤いおじさんを抱え上げてスープレックスをかました。

 赤いトップハットは潰れてぺしゃんこだけど、おじさんは平気かな?


「父上、赤いおっさんを捕まえたであります」

「偉いぞ、シャル。でも、そのおじさんは平気?」

「ちゃーんと生きているでありますよ」


 頭にできた大きなコブをさすりながらおじさんは起き上がった。


「いてて。赤い流星と異名をとったこの俺さまが、こんな小さな餓鬼につかまるとは……」

「シャルは黄龍です。最強種であります!」

「チッ、相手が黄龍だったとはついてねえ」


 髪の毛をかきむしっておじさんは悔しがっている。


「君は誰? どうして僕のヤギをいじめるの?」

「俺さまはファー・ジャルグだ。俺はヤギや羊に乗るのが好きなんだよ!」


 やっかいなおじさんだなあ。

 でも、ファー・ジャルグという名前には聞き覚えがあるぞ。

 どこで聞いたんだっけ……?


「乗るにしたってもう少し優しく乗れないの?」

「うるさい! 俺は好きなように乗るんだ。こいつは貰っていくからな」


 ひょっとしてアレクセイ兄さんより身勝手?

 言いたい放題のファー・ジャルグをシャルがむんずと捕まえた。


「ジャルグにはどこかに行ってもらいましょう。シャルがおもいっきりぶん投げてみるであります!」


 これには横暴なジャグルも顔を青くした。


「ま、待て。嬢ちゃんがそんなことをしたら、俺は隣の隣の、そのまた隣の国までいっちまう。頼むから投げないでくれ」

「だったらもう悪さをしない?」

「そ、それは……」


 思い出したぞ!

 ファー・ジャルグはアイランド・ツクールにも出てきた妖精で、強欲な美術商として知られていたな。

 ただし妖精というのは誓いを破ることができないとも聞いているぞ。


「きちんと誓って。さもないとシャルが君を水平線の彼方まで投げ飛ばしてしまうからね!」

「わ、わかった。お前のところのヤギには二度とちょっかいを出さない。これでいいだろう?」

「シャルはまだ許せないであります!」


 ヤギを傷つけられたことにシャルは腹を立てているのだ。


「うちのヤギは毛をむしられたであります。シャルもジャルグのヒゲをむしってやるであります」

「坊ちゃん黄龍さんを止めてくださいよ。助けてくれたらウチのお店に案内しますから!」

「君の店は洞窟の中だったね?」

「よくご存じで。エリア2の扉のすぐ向こう側ですよ。普通の人間には見えないけど、坊ちゃんになら姿を現します。だから投げ飛ばさないように言ってください」


 どうしようかなあ……。

 アイランド・ツクールでは美術品をコンプリートするのを頑張った記憶がある。

 ただし、ファー・ジャルグの店は気をつけなければならないこともあるのだ。

 ジャルグの店にはこの世に二つとない名画も売られているけど、偽物もたくさんあるのだ。

 まあいいか、僕は絵や彫刻も好きだからね。


「わかったよ。シャル、ファー・ジャルグを許してあげて」

「……わかったであります」


 シャルは不承不承うなずいてくれた。


「それじゃあさっそくお店に行ってみようかな」

「えっ、そんなにすぐには無理ですよ。人間にも見えるようにするなら準備を整えなきゃならないし、それにはお金だって必要なんです。そこで相談なんですがね」


 ファー・ジャルグは両手を揉み合わせて媚びるような笑顔を浮かべた。


「出店にあたって10万クラウンほどご融資を願えませんでしょうか?」

「ええっ、10万も⁉」

「まあ、うちは格式の高い店ですので」


 騙されていないよね?

 だけど、ファー・ジャルグの店の美術品には本当によいものもあるからなあ……。


「そうだ、詐欺じゃないって誓って。それなら資金を出してもいいよ」

「うっ……。ち、誓います……」


 この様子では絶対に騙そうとしていたな。

 だけど、誓ったからには必ず店は現れるだろう。

 機会を見つけていってみることにした。

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