第87話 レース(前)


 レースの日になった。

 僕とシルバーは朝から競馬場に来ている。

 シルバーは雌馬にアピールしたり、「いい馬ね」なんて声をかけられるとポーズをとったりしてご機嫌だ。


「シルバーはこれから出走するんだよ。少しは緊張しないの?」

「ブルル(べつに)」


 余裕だなあ。

 優勝を狙っているわけじゃないけど、少しはまじめに走ってもらわないと僕だって困る。

 シルバーは陛下の馬の代走なのだ。

 せめて恥ずかしくない走りをして、面目を保ってほしい。

 出走を待っているとポール兄さんがやってきた。


「よう、シルバーが走るんだって? 出走予定表を見てびっくりしたよ」

「急遽決まったんだよ。兄さんの馬は?」

「ジャストールの出走は三日後だ。まだ調整をしている最中だよ」


 普通はそうなんだよなあ。

 いきなり走らせてしまってシルバーは大丈夫だろうか?


「ところで、同じレースに兄貴の馬も出走するのは知っているか?」

「アレクセイ兄さんの⁉」


 僕は慌てて出走予定表を取り出した。


「この、アレクサンドリアという馬だ。無敗のチャンピオンだぞ」


 なるほど、ここのところ連戦連勝の馬のようだ。

 きっと兄さんもご満悦なのだろう。


「くっくっく、私のアレクサンドリアの話をしているようだな」


 振り返るとアレクセイ兄さんが腕を組んで笑っていた。

 相変わらず尊大な態度である。


「こんにちは、アレクセイ兄さん」

「うむ。セディーがこんなところにいるとは驚いたぞ。お前も馬に興味をもちだしたのか? 貴族としてよい傾向だな」


 自分の趣味のことだけあって今日の兄さんは機嫌がいい。


「実は陛下の馬の代わりに僕の馬が代わりに出走することになったのです」

「ジブラルタルテーオーの代走だと!」


 ジブラルタルテーオーは注目の新馬でアレクサンドリアの対抗馬として人気が高い馬だったのだ。

 その馬が出走しないと知って、アレクセイ兄さんは大いに喜んだ。


「うわっはっはっはっ! これで今回のレースもアレクサンドリアの優勝は決まりじゃないか! まあ、ジブラルタルテーオーが出たところで私のアレクサンドリアが負けるわけがないがな」

「はあ……」


 兄さんは勝ち誇ったように笑っている。


「それで、セディーの馬はどれなんだ?」

「ああ、向こうでシャルが乗っているやつです」

「なっ!」


 シルバーを見て、兄さんの顔が怒りに震えた。


「あれはシルバー・シーズンではないか!」


 兄さんが怒るのも無理はないか。

 シルバーはアレクセイ兄さんを振り落とし、攻撃魔法をかわして噛みつき、さらに領地から華麗に逃走した経歴を持つのだ。


「あの駄馬が同じレースを走るとは、これも運命かもしれないな」

「はあ?」

「今日は完膚なきまでに差を見せつけて、格の違いというものを教えてくれる!」

「お手柔らかに」


 アレクセイ兄さんは一人で対抗心を燃やしているぞ。

 下手にかかわると面倒なので放っておくとしよう。

 ところが、僕の思いをよそに兄さんは無駄に距離を詰めてきた。


「よし、賭けをしよう!」


 この国の貴族はギャンブルが大好きだけど、アレクセイ兄さんもそんな一人である。

 だけど、僕は違うんだぞ。

 ケモンシーのことを知っているから、ギャンブルはなるべくやりたくないのだ。

 借金のせいでガンダルシア島を手放すことになるなんて嫌すぎるもん。


「嫌ですよ。どうせ、アレクサンドリアが買ったら島の経営権をよこせとか言うのでしょう?」

「そこまでは言わん。そうだな……、お前が勝ったらガンダルシ島の懸け橋周辺の土地をやろう。半径100メートルだ」


 橋のたもとのダンテス領か。

 ちょうど以前に封鎖された場所である。

 あそこが僕の土地になるのは悪くない。

 街道の一部も含まれるから、今後は島が封鎖されることもなくなるだろう。

 問題は見返りである。


「シルバーが負けたらどうなりますか?」

「ふむ……。シャトー・ガンダルシア・エクストラを二箱もらおう。クレアの誕生日パーティーであれを出せば伯爵家の面目は大いに躍如だ」


 スペシャルではなくてエクストラを選んできたか。

 エクストラはオークションだとかなりの値段をつけるんだよね。

 そう考えると圧倒的に僕の不利じゃないか。


「負けるのが怖いのか?」

「負けてもいいので賭けはしたくありません」

「それでもフィンダス人か! 勝負を逃げるとはフィンダス貴族の風上にもおけんぞ!」


 前世は日本人だし、どこの世界にも例外はいると思う。

 とはいえ、アレクセイ兄さんに多様性を説くのは、豚に真珠の価値を説明するようなものだからなあ。

 面倒だからもういいや。

 でも、交渉くらいはしておくか。


「二箱ではなく一箱です。そうじゃなければ割に合いませんよ」

「よかろう。名誉にかけてシャトー・ガンダルシア・エクストラを一箱寄越すと誓え」

「アレクセイ兄さんこそお願いしますよ」

「うわははははっ、これでワインはいただきだな。今日のレースも楽しみだ」


 アレクセイ兄さんは大笑いしながら行ってしまった。

 ポール兄さんが心配そうにしている。


「よかったのか、あんな約束をしてしまって?」

「仕方がないよ。あれ以上絡まれるのが嫌だったんだもん」

「だが、勝ち目はないぞ」

「そうかなあ? シルバーが本気さえ出してくれればいい勝負になると思うよ」

「騎手はどうするんだ? アレクサンドリアの騎手はベテランだぞ」

「うちの騎手はシャルだよ」

「シャルロットだと⁉」


 兄さんは驚いているが他に選択肢はないのだ。

 シルバーは僕かシャル以外は背中に乗せないんだもん。


「それにしたって、あんな子どもが乗るなんて前代未聞だぞ」

「運営に確認したけどルール上は問題ないって」


 この世界の騎手に年齢制限はなかったのである。

 ただ体重が同じになるように重りをつけなくてはならないけどね。

 

 敵情視察ということでアレクサンドリアを見にいったけど、実にいい馬だった。

 毛並みも筋肉の付き方も最高である。

 無敗のチャンピオンというのもわかる気がするぞ。


「どう、勝てそう?」

「ブルルル(わかんない)」


 シルバーはつまらなそうにしている。


「おいおい、とても勝ち目はなさそうだぞ」

「うーん、そうかもしれない。こうなったらシルバーにお願いしてみるよ。兄さんも一緒に頼んでみて」

「わ、わかった」

「シルバー、お願いだよ。君が勝ってくれないとワインを取られちゃうんだ。ちょっと本気で走ってみて」

「頼むぞ、シルバー・シーズン」

「ブルルー(んー)」


 シルバーはこっくりとうなずいてくれた。

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