第86話 代走


 地平線の向こうに都の高い城壁を見えてきた。

 到着はもうそろそろだ。

 大勢の人の気配や、見慣れない建物にシルバーの興奮度合も最高潮になっている。

 観光気分で浮かれているなあ……。

 グッピーのことが心配で僕は少しも旅を楽しめなかったよ。

 さいわい水槽の中のグッピーたちは元気に泳ぎ回っている。

 これなら国王陛下も喜んでくださるだろう。


 都に到着するとシャルをポール兄さんに預けて、僕はそのまま宮廷へ向かった。

 面倒なことは先に済ませてしまいたいタイプなのだ。

 宿泊先はポール兄さんが手配してくれるというから、たまには兄に甘えてみることにした。

 どうせ、もう一人の兄には一生甘えることはない。


 宮廷の門へ向かってシルバーを進めると、番兵たちはすぐに僕を通してくれた。


「ダンテス男爵、ようこそおいでくださいました」


 新興の男爵だけど、僕の顔も売れてきたようだ。

 というより、まだ子どもだからめずらしいのかもしれない。

 幼くして家督を継ぐ貴族の子弟はいるけど、数は少ないからね。

 十三歳の男爵というのは、おそらくこの国では一人だけだろう。

 取次はすぐになされ、僕はたいして待たされることもなく国王陛下に面会した。

 部屋の中には王太子殿下夫妻もいて僕の到着を喜んでくれた。

 殿下の披露宴にワインを納めたけど、話すのはこれが初めてのことだった。


「よく来てくれたね、ダンテス男爵。今日はめずらしい魚を見せてもらえるそうじゃないか」

「ガンダルシア島で見つけた新種もいますよ。どうぞ楽しんでください」


 僕はグッピーを運んできた侍従たちに指示を出した。


「魚を驚かせないようにそっと台の上に置いてください。できるかぎりそっとです」


 水槽にはまだ布をかけたままにしてある。

 こちらの水槽一式はエマさんから仕入れた特別性だ。

 よし、ヒーターもポンプも正常だな。

 エネルギー源は魔石なので、持ち運びの間も途切れることなく動き続ける。


「それではご覧ください。こちらが、ガンダルシア島の魚たちです」


 僕は水槽にかけられていた布を外した。


「おお!」


 陛下たちは口々に感嘆の声をあげている。


「陛下、私にも少し分けてください。パンテスト城へ持って帰りますから」

「えぇ……、いやだ……」


 陛下ってば大人げない!


「そんなことは言わずに!」


 陛下たちはグッピーがすっかり気に入ってしまったようだ。


「どうぞ、こちらをお持ちください。グッピーの繁殖について書かれた冊子です」


 これはノワルド先生がまとめたもので、初心者にもわかりやすく書かれている。

 ノワルド先生に言わせると、グッピーは繁殖がおもしろいそうだ。

 異なる色や柄の親を掛け合わせて、産まれてくる稚魚の外見の変化を楽しめるとのことである。


「ほっほぉ、オリジナルの外見を作り出せるというわけだな。これはいい」

「グッピーは比較的繁殖が楽な魚です。お二人でわけて育ててみてはいかがですか?」

「ふむ、男爵がそういうのなら、そうするか……」


 商談はうまくまとまり、アフタヌーンティーをふるまわれた。

 話題はガンダルシア島やフィンダス地方のことなどに及んでいる。

 そこへ慌てた顔の侍従がやってきた。


「ご歓談中に失礼します。まことに申し上げにくいのですが、ダンテス男爵の馬が暴れております。厩舎の者たちが取り押さえようとしているのですがうまくいきません」

「シルバーが? なにがあったのでしょうか?」

「隣の房のメスといい感じになったところを無理に引き離したところ、烈火のごとく怒り出しまして……」


 やれやれ。

 シルバーは牝馬にモテるうえ、無類の雌好きでもある。

 ここまでくる旅の途中でも何度かこれに近いことはあったのだ。

 

「もうしわけございません。僕が行って見てきましょう」


 情けない気持ちになったのだけど陛下や王太子殿下はおもしろがっているようだ。


「余たちも馬は大好きなのだ。どれ、男爵の抱えた問題児とやらを見物に行ってみようじゃないか」


 陛下たちも一緒に来るの⁉

 これじゃあ恥の上塗りだよ。

 穴があったら入りたい気持ちで厩へ向かった。


 厩舎ではシルバーがむくれて、周囲に向かってほえたてていた。


「シルバー! よそなんだからお行儀良くしないとだめだろう」

「ブルルルッ……(だってよぉ……)」


 困ったものだけど、国王陛下はシルバーを褒めてくれた。


「体格のいい馬だな。じつに力強い。軍馬に向いていそうだ」

「どうでしょう。肝は座っていますが、聞き分けは悪いのです」

「はっはっはっ、主人の言うことしか聞かないというのは賢い証拠だ」


 賢いことは認めるけど、シルバーが僕のことを主人と認めているかは疑問だ。

 普通に友人だと思っている節がある。


「この馬は速いのかね?」

「本気を出せばかなり」


 じつのところはなんとも言い難い。

 砂浜でシャルとかけっこをしているときなど、並の馬ではかなわないような脚力を見せつけてくる。

 だけど、シルバーは人に命令されるのが嫌いなのだ。

 誰かが騎乗していれば、舐めた走りしかしないような気がしてならない。

 ところが、陛下はとんでもないことを言いだした。


「男爵、明後日のレースにこの馬を出してみないか? 実は余の馬が怪我をしてしまい、枠が一つ空いているのだ」

「えーと……」


 さすがのシルバーだって疲れているだろう。

 いきなりレースというのはどうなんだろうな?

 それに、シルバーがまともに走るヴィジョンがどうしても頭に浮かばないのだ。

 ところが、当のシルバーは話を聞いてやる気になったようだ。

 僕の袖を引っ張ったって首を縦に振っている。


「ブルルッ(やらせろ)」

「本気で走る?」

「ヒヒン!(わからん!)」


 なんだか心配だけど、陛下の提案だからむげには断れない。

 結局僕が折れて、シルバーを出走させることにした。

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