第76話 ビーチ

 オーベルジュのソファーに深々と座りながら、僕はため息がとまらなかった。

 それもこれもクレアの誕生日パーティーのせいである。


「いっそ、欠席してしまおうかな……」


 そう呟くと紅茶を持ってきたメアリーにたしなめられてしまった。


「セディー様、そんなことを言ってはいけませんよ」

「だけど、メアリーだって知っているだろう? クレアが僕になにをしてきたのか」

「存じておりますとも」

「だったらそんなことは言わないでよ」

「少々行き過ぎるところはございますが、あれはクレアさまなりの愛情表現でございましょう」


 僕はうんざりした顔になってしまった。


「愛情表現? 読みかけの本に挟んだしおりの位置を移動させることが? 挨拶を無視して蹴りを入れてきたり、僕のノートに落書きをしたりもしたよ」

「さようではございますが……」


 愛情表現だというのなら、もう少しましなことをしてほしい。


「それに、プレゼントの問題もあるからなあ」

「セディー様がプレゼントするものなら、クレアさまはなんだってお喜びになるでしょう」

「そんなことないよ。クレアはいつだって文句ばかりだもん」


 クレアの口からお礼の言葉なんて聞いたことがないし、なにをしたって嫌味しか返ってこないのが常なのだ。


「はあ、気が重い。なにを贈ったらいいかもわからないし……」

「でしたら、ユージェニー様に相談されたらいかがですか? お歳も一緒ですから、いいアイデアを授けてくれるかもしれませんよ」

「そうだなあ」


 とは言ったものの、あまり乗り気にはなれなかった。

 じつを言えばユージェニーもクレアは苦手なのだ。

 はっきり言ってしまえば互いに嫌いあっている。

 朝は92%もあった幸福度が79%まで落ちているよ。

 ここでうだうだ考えているより仕事でもしているほうがずっとましだ。

 僕は反動をつけて立ち上がった。


「おでかけでございますか?」

「今日はビーチを作ってくるよ。安全に海水浴ができるようにね」

「それは楽しそうでございますね。行ってらっしゃいませ」


 メアリーに見送られてシャルと海岸へ行った。


 ポイントは用意してあったので、海岸へ着くとすぐにビーチを整備した。

 地形さえも変えられるのがアイランド・ツクールのすごいところである。

 目の前の海岸はマリンブルーの海に映える白い砂浜になった。

 おお、ヤシの木まで生えているじゃないか!

 まったく、ガンダルシア島の植生はどうなっているんだろうね?

 ヤシの実はまだなっていないけど、三日もすれば収穫できるだろう。


「父上、どうして砂浜を整備したのでありますか?」


 シャルが不思議そうに聞いてくる。


「岩場で泳げるのはシャルくらいだよ。人間は弱いんだ」


 足の裏を怪我してしまうかもしれないし、強い波がくれば岩に体を叩きつけられてしまうかもしれないのだ。


「父上、海で泳いでもいいでありますか?」

「行っておいで」


 シャルが海で遊んでいる間、僕は海の家について考えた。

 海の家を建てるには管理人が必要になる。

 メドックとピノのようにマッショリーニさんに相談してみようか?

 でも、マッショリーニさんのカジノ・ワイワイヤルはまたもや事業を拡大したらしい。

 手が足りないのはあちらも一緒か……。

 砂浜に座って考え込んでいると上空を黒い影が横切った。

 見上げてみると、翼を広げたグリフォンのギアンが地上に降りてくるところである。

 幼馴染みのユージェニーが遊びに来たようだ。


「こんにちは、セディー。こんなところで何をしているの?」

「やあ、ユージェニー。いまビーチを整備していたんだ」

「あら、ほんとだ。言われてみれば前よりも浜がきれいになったような。それに波も穏やかだわ」

「夏になったらここをビーチとして開放する予定なんだ。海の家とかを建ててね」

「海の家ってなあに?」

「食べ物を売ったり休憩したりができるところさ。ビーチパラソルやロッキングチェアの貸し出しもしてみようかな」

「なんだか楽しそうね」


 ユージェニーは僕の話に目を輝かせている。


「食べ物って何を売るのかしら?」

「そうだなあ、かき氷とか焼きそばとかかな」

「聞いたこともないものばかりだわ」


 うん、日本の海の家を参考にしているからね。


「ほら、あそこにヤシの木がたくさん生えただろう? あれを冷やして飲み物として提供してみようかなとも考えているんだ」

「ヤシの実ジュースなんてお話で読んだことがあるだけだわ。すごく楽しみ。次に来るときは水着を持ってこようかしら」

「本格的な海開きはもう少し先だよ。それまで待っていて」


 僕らの会話をギアンが中断した。


「キエェエエ」

「どうしたの、ギアン?」


 ギアンは海で遊ぶシャルに鼻を向けた。

 うずうずと左右の足で砂を踏んでいる。

 どうやらシャルと一緒に遊びたいと言っているようだ。

 ライバル関係にあるけど、シャルとギアンは仲が良いのだ。


「いいわ、遊んでらっしゃい」

「クエッ!」


 ギアンは砂浜を蹴って数十メートル離れたシャルのところまで飛んでいってしまった。


「来たでありますね、鳥ニャンコ! 向こう岸まで競争であります!」

「キエッ!」


 僕らはしばらくシャルとギアンが泳いでいくのを見守った。


「ところで、クレアの誕生日の話は聞いた?」

「もしかして、君のところにも招待状が来たの?」

「それは来るわよ」


 ユージェニーは隣接する伯爵家のお嬢様だ。

 いくらクレアが身勝手でも無視するなんて無礼はしないか。


「当然セディーのところにも来ているのでしょう?」

「まあね……」

「気が重そうね」

「クレアは意地悪なんだもん。ユージェニーだって苦手だろう?」

「そうね、私には特に意地悪よ」

「やっぱり」


 昔からクレアはユージェニーを嫌っているのだ。

 扱いは僕に対してよりひどいかもしれない。


「もっとも、それは私がセディーと仲がいいからでしょうけど」

「つまり、僕の仲間だと思われているから?」

「そういうことじゃないわ。ようは嫉妬よ」


 言葉の意味がよく呑み込めなかった。


「嫉妬ってどういうことだよ?」

「本当にわからないの? クレアのことは嫌いだけど、少しだけ可哀そうになってきたわ」

「なんでさ」

「自分で考えなさい。私の口からは言えないわ」


 僕だって朴念仁ではないので、この流れの中でユージェニーの言いたいことはわかる。

 つまり、クレアが僕に好意を寄せているってことだろう?

 だけど、そんなことがあるのかなあ?

 僕とクレアは叔父と姪の関係だ。

 それに好きな人のシャツを隠したり、わざとぶつかってきたり、悪口を言ったりするものかな?

 寝ているときに水をかけられたことだってあるんだぞ。

 やっぱりユージェニーは勘違いしているのだ。


「それにしてもプレゼントはどうしよう。ユージェニーはなにを贈ればいいと思う?」

「そうねえ……。身につけるものとかが一般的じゃない? あとはおもちゃや本、香水なんかもあるわね」

「なにを贈ってもいちゃもんをつけるだろうけどね」


 僕らは互いに苦笑しあった。


「クレアはそういう子よ。私も気が重いわ」

「ユージェはなにを贈るの?」

「ちょっとしたものね。帽子とか手袋とか。たぶん、私が贈ったものなんて決して身につけないでしょうけど」


 喜ばれないとわかっていてプレゼントを贈るのは気が重いな。

 誕生日パーティーはまだ先なのでもう少しゆっくり考えることにした。


 ***


 フラッドランド王国首都・ルイーダスのダンテス伯爵邸にて

 その晩の夕食ではクレアの誕生日パーティーが話題になった。

 クレアの母メラルダはクレアに何度も繰り返した質問をまたして、クレアをイライラさせていた。


「ねえ、本当に領地で誕生日パーティーをするの? ルイーダスでやった方がいいんじゃないかしら? いまならまだ変更できるのよ」

「いい加減にしてよね。私は久しぶりに領地の海を見たいの!」

「でも、ルイーダスでやれば学院のお友だちも呼べるじゃない。それに貴族の方々も招待できるのだから……」

「しつこい」

「でも……」


 延々と続きそうな母娘の会話をうんざりした顔でアレクセイは断ち切った。


「もうよいではないか。今回の誕生日は領地で祝う。招待状も送ってしまったのだからな。いずれにせよダンテス家の長女にふさわしい、盛大なパーティーにするつもりだ」


 クレアは不機嫌な顔でフォークを置いた。


「ダンテス家といえば、ポール叔父様とセディーは呼んだの?」

「呼んだ。親族が欠席などあり得ないだろう。おまえは嫌かもしれないがな」

「べつに……」


 クレアとセディーの不仲はダンテス一族の中では有名である。

 だがそれはクレアの本意ではなかった。

 幼いころからセディーにちょっかいを出していたら、いつのまにやら自分がセディーを嫌っていると周囲が思い込んでしまったのだ。

 だが真実はそうではない。

 クレアはセディーにかまってほしくて突っかかっていただけである。

 それが自分の初恋であると自覚したのは最近のことだ。

 学院の春休みで久しぶりに実家へ帰ってみるとセディーは屋敷からいなくなっていた。

 そのときの喪失感は計り知れないものだった。

 こんどこそ仲直りをしてこの状況を変えようと思っていたのにである。

 なにがなんでもこのパーティーを通してセディーと仲直りをしたい、それこそクレアが心に秘めた願いだった。

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