第63話 キラキラのぶどう


 ぶどう畑では黒々と色づいたぶどうの房が収穫を待っていた。

 なるほど、二人が驚くわけだ。

 今回のぶどうの実はキラキラと輝いている。

 これは牧草のときと同じだな。

 特に品質のよいものができたときにこうなるのだ。


「セディー様、どういうことでしょうか?」

「ヴィンテージイヤーっていうのかな?」


 ガンダルシア島では三日で収穫できるからヴィンテージウィーク?

 いや、特別な作物がとれるのはそこまで高頻度じゃない。

 だったらヴィンテージマンスかな?

 どれほどの違いがあるのか気になるところだ。

 牧草だと味見ができなかったけど、ぶどうなら直接試せるのがありがたいところだ。


「ちょっと味をみてみよう」


 一粒摘んだ瞬間に果汁がはじけた。

 これは期待できそうだ……。

 僕は汁をこれ以上たらさないようにぶどうの実を口に入れた。 

 美味しい!

 甘みも香りも、これまでのぶどうよりずっと上等だ。


「果汁がいつもより濃厚です……」


 無口なピノまで口元をほころばせている。


「このぶどうでワインを仕込めばきっと美味しくなるね。さっそく今日から始めるよ!」


 僕たちは大きくうなずきあった。



 九日が経過してキラキラのぶどうで仕込んだワインの熟成が完了した。

 今回は一度も味見をしていないので、どのように仕上がったかはまだわからない。

 大穴で貯蔵したので熟成は完璧だ。

 今日は樽から取り出してみよう。

 どこから聞きつけたのか穴倉には島民がそろっていた。

 しかも、めいめいが自分のグラスを片手に持っている。

 ノワルド先生やルールーも来ているぞ。


「みなさん、おそろいでどうしたの?」


 わざととぼけてみせると、みんなを代表してウーパーが弁明した。


「セディー、そんな意地悪は言わないでくれよ。なんでもすごいワインができたそうじゃないか。一口なんて言わない、半口でいいから味見をさせてくれ。このとおりだ!」


 これ以上からかうのはやめておくか。


「冗談だよ。もちろんみんなで味見をしよう。たぶん、今回のはすごいと思うよ」


 長いスポイトを使ってみんなのグラスにワインを注いでまわった。


「それじゃあ、島の繁栄とみんなの健康を祝ってヴィンテージワインで乾杯!」


 出来上がったワインは予想どおり……、いや、予想以上の出来栄えだった。


「おいおいおいおい、これにどうやって値段をつけたらいいんだよ!」


 ウーパーは左手で額を覆いながら首を振っている。

 感に堪えないって感じである。

 リンの興奮もすごいぞ。


「こんなの、都の高級レストランにだって一本あるかないかの逸品よ!」

「そうなの? じゃあ一本で一万クラウンくらい?」


 そう提案したら、シャルを除いたその場にいるぜんいんに否定されてしまった。


「え~、だったらどうするのさ?」

「そうね、どこかの金持ちに相談するっていうのはどうかしら? ワインに詳しい人なら適正な価格をつけてくれると思うわ」


 なるほど、リンの言うことはもっともだ。

 だけど金持ちって誰だろう?

 アレクセイ兄さんは金持ちだけど、こんなものを見せたら取り上げられてしまうと思う。

 俺のものは俺のもの、弟のものも俺のもの、っていう理不尽伯爵だもん。

 待てよ、伯爵というのならユージェニーの父上であるシンプソン伯爵がいるじゃないか。

 シンプソン伯爵は公正な人だから、きっと適正な価格をつけてくれるだろう。

 それにワインには詳しいとユージェニーから聞いたことがあるぞ。

 都合のいいことに今日の午後はユージェニーがノワルド先生の講義を受けにやってくる。

 帰るときにギアンに乗せてもらって、シンプソン伯爵のところへ行ってみるとしよう。



 ノワルド先生の講義が終わり、僕はユージェニーと一緒にシンプソン伯爵の館を訪ねた。


「お父様はワインにはうるさいけど、セディーのワインならきっと喜ぶわ。前にいただいたときも褒めていらしたもの」

「今回のはあとのとき以上の出来栄えなんだ」


 自信はあったけど、やっぱり伯爵の前では緊張してしまった。

 客間に通された僕は正直に値段に悩んでいることをシンプソン伯爵に打ち明けた。


「前回、いただいたワインは五千クラウンだったかな? それでは安すぎると思ったがね」

「今回のは一万クラウンにしようかと提案したのですが、支配人と料理長に反対されてしまいまして。一万クラウンでは安すぎると彼らは言うのです」

「ほう、そこまでのワインかね」

「ワイン通の伯爵にご判断を仰ぎたいと思い参上しました。どうぞお力をお貸しください」


 シンプソン伯爵は小さく苦笑した。


「まだ日も明るいが、ここまで頼まれると断れないな。では、一口だけいただいてみるとしよう」


 伯爵はグラスの準備を言いつけた。

 優雅な手さばきでコルクを開けたドリトス執事に対し、伯爵は言った。


「少しでかまわない。まだ午後の仕事が残っているのだ」


 シンプソン伯爵は謹厳な人だから、酔ったまま仕事をするなんてことはしないのだな。

 きっと、僕のために自分の主義に目をつむってくれたのだろう。

 ほんのひと口分ほどのワインが伯爵の前に置かれた。


「ふむ、いい色だ。美しいガーネットを思わせる」


 続いて、伯爵はグラスに鼻を近づけて香りを楽しむ。


「これはまた……」


 驚いた伯爵はグラスをゆすってワインを回し、再び鼻を近づけた。


「素晴らしい!」


 今のところ評価は上々のようだぞ。

 僕は緊張したまま、伯爵の動きを見守った。

 シンプソン伯爵も緊張しているように見えるけど、気のせいかな?

 おや、ワインを口に含んだ伯爵が震えているぞ。

 やっぱり美味しいワインなのだろうか?


「ドリトス、もう少し注いでくれ。さっきより多くてかまわない」


 ドリトス執事の注いだワインをもういっぱい飲みくだしてから、伯爵は僕の方に向き直った。


「なるほど、君のところの支配人や料理長が止めるわけだ。このワインが一万クラウンなんてありえないよ。実際のところいくらの値がつくか私にだって想像がつかないくらいだ」

「それほどですか?」

「世界最高峰と言われるシャトー・プリアベックのヴィンテージにも勝る味だよ。噂が広まれば、ワイン好きなら必ず欲しがるだろう」


 シンプソン伯爵は名残惜しそうに最後の一滴を飲み干した。


「セディー君、今日はワインを二本持ってきてくれたね」

「ええ、どちらも伯爵にさしあげるつもりで持参しました」

「ありがとう。だが、私はこのうちの一本を都に持っていこうかと考えているんだ」

「都に持っていってどうされるのですか?」

「知り合いにも飲んでもらって意見を聞くつもりだよ。みんなこれを飲めば喜ぶだろう。そこで内輪のオークションを開いてもいい。なるべく値段を吊り上げてくるから期待してくれたまえ」


 シンプソン伯爵は茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。


「このワインの在庫はどれくらいあるんだい?」

「およそ百六十本分です。あ、でもいくらかは手元に残しておきたいです。次兄のポールにもプレゼントしたいので売れるのは100本ちょっとですね」

「ははは、セディー君は欲がないな。ちなみにだが、シャトー・プリアベックのヴィンテージには一本100万の値段がつくこともあるのだよ」

「そんなに!」

「それでも売るのは100本でいいのかい?」

「そうですね。やっぱり100本です」


 お金も大切だけどウーパーや兄さんの喜ぶ顔はもっと大切なのだ。


「承知した。それではワインのことは任せてもらおう。私の誇りにかけて悪いようにはしないから」


 これはお任せしてしまう方がよさそうだな。

 でも、うちのワインのためにそこまでしてもらうのは悪いなあ。


「僕のためにわざわざ都までいかれることはないですよ」

「いや、どうせ用事があるのだ。君も聞いているだろう? 近く王太子殿下の結婚式が執り行われる。それの準備などでいろいろあるのだよ」


 そういえば、新聞で読んだような気がする。

 ついでというのなら遠慮することもないか。

 ワインのことはシンプソン伯爵に任せて僕はガンダルシア島へ帰った。

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