第60話 新酒まつり


 さらに三日が経過した。

 タンクの中の果醪かもろみはもうガスを出していない。

 発酵が終了したのだ。

 次にこれを濾して、さらに圧搾機で搾っていく。

 出来上がったのは濁り酒みたいなワインである。

 量は百三十リットル強。

 ボトルにしたら百六十本分くらいだね。

 これを樽で三日間寝かせれば透明なワインの完成だ。

 だけどこの日を楽しみにしていた大人たちは待ちきれない様子である。

 特にウーパーが……。


「セディー、ちょこっとくらい味見をしてもいいだろう?」

「坊ちゃん、俺たちにもお願いします!」


 ドウシルとカウシルも飲んでみたいらしい。


「わかっているよ。ほら、ちゃんとこれを用意してあるから」


 長いガラス製のスポイトを取り出すとボーイズは歓声をあげた。

 はしゃいでいるなぁ。

 このスポイトはワイン樽から直接味見をするための道具である。

 上部の栓を抜いて、そこから差し込んで上澄みを抜き取るのだ。

 これは特別に1ポイントで交換しておいた。

 みんなの期待を裏切るわけにはいかないからね。

 それにワイン造りで味見は欠かせないことだ。

 今後も使うものだからいい道具を揃えたかったのである。

 濁ったワインをたっぷりと抜き取り、みんなのグラスに注いであげた。


「うむ、まだ若いがいい香りだ」


 グラスを回しながらウーパーが鼻を近づけている。

 あいかわらず絵になるなあ。

 さっきまで子どもみたいにはしゃいでいたくせに、こういう場面になるとかっこいいんだよな……。

 ドウシルとカウシルもウーパーに倣って香りをかいでいる。


「それじゃあ、乾杯といこうじゃねえか」


 三人はグラスを掲げてから口をつけた。


「美味い!」


 三人同時に同じ感想を漏らしていた。


「まだまだ熟成途中だがこれはこれでいいな。三日後が楽しみだぜ」


 そう、樽の中であと三日寝かせれば透明な新酒の完成である。

 本当はさらに三日くらい寝かせた方が熟成度合いがさらに進んで美味しくなるようだ。

 新酒と言えば、前世にはワインの新酒を祝うお祭りがあったような……。

 名前はたしか、ぬーぼー……いや、それはチョコレート菓子か……。

 えーと…………思い出した!

 ボジョレー・ヌーヴォーだ!

 テレビなどでもよく宣伝していたよな。

 じっさいに買っている人も見かけたような……。

 ガンダルシア島でも新酒まつりを開催したらどうだろう?

 いい宣伝にもなるし、おもしろそうだ。

 僕は新酒まつりの話を三人に相談してみた。


「それはいい!」

「坊ちゃん、ぜひやりましょうぜ!」

「つまみを大量に用意しなくっちゃっ!」


 ウーパーもドウシルもカウシルも喜んでいる。

 提案してよかったよ!


「いや、実にめでたい。これで三日ごとに新酒まつりだな」

「へっ? ウーパーはなにを言っているの?」

「だってよ、ワインは三日おきに出来上がるだろう?」


 たしかに仕込みは三日おきにしている。

 いまタンクには白ワインの果醪が入っているくらいだ。

 出来上がるのは三日後である。

 だけど、だからと言って……。


「ワインができるたびに新酒まつりをするわけないでしょっ!」

「やっぱりそうか?」


 ガンダルシア島では六日で新酒ができてしまうもんなあ。

 三日ごとに仕込めば、そのつど新酒まつりができてしまう。

 やれやれ、酒好きにも困ったものだよ。


「今回のは特別ね。新酒まつりは一年に一回だけ!」

「ちぇっ、やっぱりそうか」


 ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日は十一月だったな。

 この世界でも新酒ができあがるのはそれくらいだ。

 よし、ガンダルシア島の正式な新酒まつりも秋にしよう。

 まあ、三日後の新酒まつりはやるけどね。

 さっそくポール兄さんやシンプソン伯爵など、日ごろお世話になっている人に招待状を出しておくか。

 急のことだから来てもらえるかはわからないけど、来られないときは出来上がったワインをプレゼントするとしよう。



 新酒まつりの当日になった。

 会場は納屋の扉をあけ放って使うことにした。

 スペースはじゅうぶんあるし、雨が降っても開催できる。

 それにワインのお代わりを運ぶのにも都合がよい。

 リンとメアリーが軽食の載ったお盆を運んできてくれた。

 スモークサーモンやフルーツなどがたくさん並んでいて実に美味しそうだ。

 ワインを飲めないシャルはぶどうジュースを飲みながらローストビーフサンドイッチをほおばっている。

 そうこうしているうちに来賓も集まりだした。

 シンプソン伯爵は来られなかったけど、代わりにギアンに乗ったユージェニーが遊びに来た。

 異世界の法律はゆるいので子どもがワインを飲んでも罪には問われない。

 僕もユージェニーも舐めるくらいの味見はしてもいいだろう。

 今日は特別にギアンにもワインを飲ませてあげる約束だ。

 ギアンはグリフォンだけどワインには目がないのだ。

 それからポール兄さんが肩を落としたマッショリーニ氏を連れてやってきた。

 マッショリーニ氏が運営するカジノ・ワイワイヤル・グループは負債を抱えて経営がうまくいっていないらしい。

 株もダダ下がりで、僕も大損している。

 だけど、そのことはとやかく言うまい。

 投資はやっぱり自己責任なのだ。

 今日は美味しいワインを飲んで元気になってもらおう。

 僕はしょんぼりしているマッショリーニ氏に声をかけた。


「こんにちはマッショリーニさん」

「やあ、セディー君。今日はお招きありがとう。ここのところ嫌なことばかりだからうれしいよ」

「お店が大変だったみたいですね」


 小さな子どもの僕が事情を知っているとわかって、マッショリーニ氏はバツの悪そうな顔になった。

 僕がカジノ・ワイワイヤル・グループの株を買ったと知ったら、もっと恐縮してしまったかもしれない。


「いやはや実に困っているよ。実はセディー君……いや、ガンダルシア領主のセディー・ダンテスさんに折り入って相談があるのだが」

「なんでしょう?」

「恥ずかしい話だが、私は事業を縮小することになったんだ。それで従業員の再就職先を探していてね。君のところで何人か雇ってもらえないかな?」


 会社を傾けてしまったけど、従業員の行く末を心配して声をかけまくっているらしい。

 無責任な資本家が多い中で、マッショリーニ氏のそういう姿勢には好感が持てた。


「そうですねえ、まだ軌道に乗ったわけではないけど、ワイン造りを手伝ってくれる人がいれば、数人なら雇えるかもしれません」


 ドウシルとカウシルには食品加工場があるし、ウーパーにはオーベルジュがある。

 いつも手伝ってもらうわけにはいかないのだ。


「それはありがたい! 二名ほど推薦したいのだがね」

「人柄重視でお願いします」

「真面目で正直者の兄妹だよ。働きぶりもいい。こんなことがなかったらずっとうちにいてもらいたいくらいの人材だ」

「おいくつくらいの人ですか?」

「兄のメドックが19歳。妹のピノが18歳だったはずだ」


 ワインはガンダルシアの産業を担う一翼になるはずなので人材育成は早ければ早いほどいいだろう。

 とりあえず面接をすることをマッショリーニ氏に約束した。


 出来上がった新酒だけど、これが大好評だった。

 集まった人々は美味しい美味しいと何杯もお代わりをしている。

 招待客の中にはエマさんもいたのだけど、非常に悔しがっていた。


「これを出荷してもらえないなんてロンド商会にとっては大損失よ! ダンテス伯爵が横槍を入れさえしなければ――おっと……」


 エマさんも少し飲みすぎているようだ。

 マッショリーニ氏は肩を小さく揺らして笑っている。


「お気持ちはわかりますが、口は災いのもとですぞ。このワインだが私の方で買い取らせてもらえないかな?」

「マッショリーニさんがですか? 在庫は百四十本くらいしかないですよ。あと三日すれば白ワインも同じくらい出せますが……」

「両方とももらうとしよう。これだけのものが出せればお客さんは大喜びだ。なに、心配することはない、不渡りは出さないよ。ちゃんと現金で払うからね」


 それであれば問題はない。

 僕らはさっそく契約書を取り交わした。

 さっそく販路が開拓できるなんて、新酒まつりをやった甲斐があったというものだ。

 三日後に出来上がる白ワインのこと、これからのことなどを思うと、僕の胸は期待に大きく膨らむのだった。

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