第49話 オイスターと白ワイン


 どういうわけか、昨日からお客さんが来ていなかった。


「客商売なんだから、そんな日もあるよ。気にしないで」


 リンはそう言って僕を慰めてくれる。


「そんなことよりも、今は宴会のメニュー作りに集中しましょう」

「そうだね。ポール兄さんに美味しいものを食べさせてあげたいからね」

「父上、ただいま戻りました!」


 大きな桶を頭の上に担いでシャルが帰ってきた。

 桶の中には牡蠣が山のように積まれている。


「おかえり、シャル。それはどうしたの?」


「ルールーと獲ってきました。シャルは牡蠣獲り名人であります!」


 ドラゴンクローを使えば道具がなくても牡蠣を引っぺがせるもんね。


「これは父上へのプレゼントであります」

「ありがとう、シャル。リンが作ってくれたレモンケーキがあるからそれをおあがり」

「のっほぉ! シャルはレモンケーキが大好きであります」


 傍らの椅子に座ってシャルがレモンケーキを頬張りだしたので、僕はリンと牡蠣を吟味した。


「最高の岩ガキだね。これだけの品質のものはそう獲れないよ」

「それじゃあ、この牡蠣もポール兄さんの宴会に出そうよ」


 というのも、この世界の紳士たちは生牡蠣が大好きだからだ。

 特に冬の牡蠣は人気が高い。

 採りたての牡蠣を辛口の白ワインで胃に流し込むというのが、この季節いちばんのご馳走とされているのである。

 しかも、僕たちには季節外れのレモンだってある。

 寒い冬にレモンを使えるのは、外国から輸入したものが買える相当なお金持ちだけだ。

 生牡蠣にレモンを添えるだけでも喜ばれることは間違いない。

 しかもこれらはただの牡蠣とレモンじゃない。

 不思議な島ガンダルシア産の新鮮な牡蠣と完熟レモンなのだ。

 どうやったって美味しいに決まっている。


「それにしても立派な牡蠣だねえ」


 ナイフで岩ガキを開けたリンが感心している。

 中身は大ぶりで実はプリプリしているのだ。


「さっそく味見をしてみようか?」

「役得だね」


 僕とリンは同時に岩ガキを口に含んだ。


「っ!」


 牡蠣特有の臭みがまったくない!

 まず感じるのはクリーミーなうま味だけである。

 後から追いかけてくるのは海のミネラルとそれを彩る爽やかなレモンの香りだ。


「これも美味しいなあ」

「ちょっと失礼して……」


 リンはグラスによく冷えたワインを注いだ。

 そして、奥に向かって大声を出す。


「ウーパー、ちょっと来ておくれ!」


 きっと昼間からワインを楽しむのに気が引けたのだろう。

 ウーパーを共犯者にして、罪悪感を減らすつもりだな。

 僕はくすっと笑うだけで、ツッコムのは止めておいてあげた。


「どうした? お、牡蠣じゃねえか!」


 ウーパーも生ガキが好きなのだろう。

 相好を崩してひょこひょこと厨房に入ってきた。


「今度の宴会料理だよ。あんたにも味見をさせてやろうと思ってね」

「そいつはありがたいな。どれ、一つもらおうか」


 慣れた手つきでウーパーは牡蠣の殻を開ける。

 そして、殻に口をつけて身を吸い込んだ。


「うめえ! 俺もけっこう牡蠣を食ってきたが、こんなに美味いのは初めてだ」

「ワインとの相性も見ておくれ」

「言われなくても」


 ウーパーはグラスをひょいと持ち上げて中身を空にする。


「うん、いい感じだ。このワインはありだな……」


 二人ともとてもうれしそうだ。

 大人は牡蠣と辛口の白ワインが大好きなのだろう。

 僕はどちらかというとシャルと一緒でレモンケーキのほうが好みである。


「よかったらもっと牡蠣を食べてね。でも、飲みすぎないように」


 いちおう釘を刺していたらメアリーが僕を呼びに来た。


「セディー様、ユージェニー様がいらっしゃいましたよ」

「すぐに行くよ。メアリーは紅茶を用意してくれないかな? それとそこのレモンケーキも」

「承知いたしました。すぐにお持ちします」


 後のことをメアリーに任せてレストランに顔を出した。

 レストランではちょうど行き会わせたユージェニーとノワルド先生がおしゃべりをしていた。


「こんにちは、先生、ユージェニー。先生はお昼御飯ですか?」

「読書に集中しすぎてランチの時間を逃してしまったが、大丈夫かな?」

「他にお客さんはいませんので平気です。今日は美味しい牡蠣が入っていますよ。白ワインとの相性も抜群らしいです」

「おお! それはぜひいただかなくてはならないな。もちろん白ワインも。グラスで……、いや、ハーフデキャンタでもらおう」


 先生は手を揉み合わせてそわそわしている。

 やっぱり先生も牡蠣と白ワインが大好きなようだ。

 メアリーが紅茶とレモンケーキを持ってきてくれたので、先生のお昼をお願いしてからユージェニーに向かい合った。


「最近、島の奥でレモンの木を見つけたんだ。これはリンに作ってもらったレモン風味のパウンドケーキ。生地と糖衣にレモンの果汁が入っているんだよ」

「とても美味しそうね。いただきますわ」


 ユージェニーは優雅な手つきでカップを持ち上げた。


「ところで、トゥルッフの話は届いているかしら?」


 まじめな顔をしたユージェニーが聞いてきた。


「トゥルッフって、イノシシみたいな魔物だよね?」

「それよ。大きなトゥルッフが街道に出没して旅人を襲っているの。もう何人も犠牲者がでているわ」


 昨日からお客さんがいないのはそのせいだったのか。

 トゥルッフは人間を捕食するわけじゃなく、ただ殺戮してまわっているらしい。

 野生動物と比較してその辺が凶悪だ。

 普通の動物は胃袋が満たされればそれ以上狩りを続けることはない。

 でも、トゥルッフは気ままに人間を殺していく。

 ユージェニーはそれを知らせてくれるために来てくれたのだな。


「お父様は討伐隊を編成中よ。きっとダンテス伯爵もそうでしょうね」


 街道の安全を守るのは領主の仕事である。

 シンプソン伯爵もアレクセイ兄さんも奔走しているのだろう。


「わざわざ討伐隊が編成されるだなんて、それほど厄介な魔物なの?」

「目撃者の話だと体長は五メートルを超えるらしいわ」


 隣のテーブルで話を聞いていたノワルド先生が腕を組みながらうなずいている。


「うむ、トゥルッフは動きが敏捷なうえ、力も強い。さらに土魔法まで使う厄介な魔物だ」

「先生、トゥルッフはどこからやってきたのでしょうか? この辺りに出没するなんて話は初めて聞きました」

「トゥルッフは高い山の上を住処にしていて、里にはなかなか下りてこない魔物であるな。なぜだかわかるかね?」

「山の上は洞窟などと同じで魔素濃度が高いです。強力な魔物は空気中の魔素を利用して活動しているので、そういった場所を離れたがりません」


 僕の回答に先生は満足そうにうなずいた。


「まさにそのとおりだ。だが、空気中の魔素濃度は常に一定とは限らない。ある日いきなりなくなってしまうこともあるのだ。原因は特定されてはいないがね」

「つまり、縄張りの魔素濃度が低くなったから、トゥルッフは里に降りてきたと?」

「その可能性はじゅうぶんあるということだ」


 ひょっとしたら新しい住処を探しているのかもしれないなあ。

 でも困ったな、兄さんたちの予約はもう三日後だ。

 そんな魔物が街道をうろついているのなら、宴会は延期するしかないだろう。

 せっかく用意したのにもったいないなあ……。

 僕が浮かない顔をしていると厨房から出てきたウーパーに肩をたたかれた。


「そう心配するな。いざとなったら俺がトゥルッフを討伐してやるって」

「そんなの危ないよ!」

「いや、前にやったことがあるんだ」

「え?」

「俺が軍にいたころだ。トゥルッフが荒れ野に出現してな。こっちに向かってきたから退治したんだが、あれは美味かったなあ」

「食べられるの?」

「部隊のみんなで焼いて食ったぞ。あんなに美味い肉は後にも先にも食ったことがない」


 先生がウーパーの言葉を保証した。


「古来より美食家たちはこぞってトゥルッフの肉を求めたものだ。領主たちが討伐隊を編成するのも、それを食べてみたいという気持ちがあるからではないかな?」


 それを聞いてウーパーは俄然張り切る。


「だったらうちも負けてはいられないなあ」

「負けてはいられないって、どういうこと?」

「ダンテス伯爵や、シンプソン伯爵が動くんだ。とうぜん、ガンダルシア領主も動くだろう?」

「いやいや、それはないって。そもそも島の人口を考えてみてよ。討伐隊を編成するなんてできないよ」

「そんなもん、俺がいればじゅうぶんさ」

「シャルも手伝うであります!」


 レモンケーキを食べ終えたシャルが元気に手を上げた。

 だけど、心配性のウーパーは許さない。


「危ないからダメ。子どもは家で遊んでいなさい」

「ぶぅー、シャルも討伐隊に入りたいであります」


 シャルなら平気だろうけど、やっぱり子どもにやらせるのはよくないよね。


「どおれ、どうせ客もいないし、ちょっと街道まで様子を見に行ってくるか」


 突然、あわただしくレストランの扉が開いた。


「坊ちゃん、大変だあっ!」

「ま、魔物が!」


 やってきたのはドウシルとカウシルの兄弟だった。

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