第48話 ツバメの巣


 早朝、シャルにたたき起こされた。


「父上、おはようございます。本日はツバメの巣の日であります!」


 シャルは昨日獲ってきたツバメの巣を食べたくて仕方がないのだ。

 だけど、リンが料理を作るのはお昼のことだ。

 外はまだ薄暗い。


「気が早すぎるよ。ツバメの巣はランチだろう?」

「でも、シャルは待ちきれないであります!」


 やれやれ、シャルの興奮に当てられて僕もすっかり目覚めてしまった。


「仕方がないなあ、まずはいつもどおり畑仕事をしてしまおう。それが終わったら朝食を食べて、島の奥の方へ行ってみるっていうのはどうだい?」

「探索でありますか?」


 好奇心旺盛なシャルの瞳が輝いている。

 いろいろなことがありすぎて、島の北側はまだ完全に踏破したわけではない。

 新しい発見があるかもしれないので前々から行こうとは考えていたのだ。


「洞窟の脇を抜けて、もう少し奥の方まで行ってみようよ」

「そうしましょう! 午前中は仕事と探検、そしてお昼はツバメの巣であります!」


 僕らはそろって起きだして、コテージ前の菜園に繰り出した。



 諸々のことを終えて探索に行こうとしていると、ちょうどミオさんがやってきた。


「おはようございます。お出かけですか?」

「ええ、島の北側へ行ってみようと思いまして」

「あら……、私もごいっしょしていいいかしら?」

「かまいませんけど、まともな道じゃありませんよ」

「大丈夫ですよ。これでも慣れているから」

「慣れている?」

「あ……、えーと、昔、冒険者をしていたことがあるの。少しだけどね」


 ミオさんにそんな過去があるとは知らなかった。

 でも、冒険者だったのなら道が荒れているくらいは平気だね。

 それに、ずっと宿にいてもミオさんだって退屈してしまうだろう。

 ささやかな探検が心に傷を負ったミオさんを慰めてくれるかもしれない。


「それでは一緒に行きましょう」


 こうして、僕とシャルとミオさんは連れ立って出かけることにした。


 温泉の前を通り、洞窟の脇を抜け、僕らは北の方までやってきた。

 ここから先は入ったことのない未開の地である。


「シャル、危険生物の気配はある?」


 シャルは耳を澄ませ、風の匂いをクンクンと嗅いでいる。


「動物しかいないであります。おそらくは……タヌキ……」


 だったら怖くないな。


「よし、先に進もう」

「はい。ん……?」


 風の匂いを嗅いでいたシャルが立ち止まった。

 先ほどから吹いていた東風は、北からの風に変わっている。

 まさか、魔物の気配か?


「父上、爽やかな匂いです?」

「爽やかな魔物?」

「違うであります。これは……少しだけオレンジに似た匂いでありますね」


 ということはどこかに柑橘系の木が生えているのだな。


「シャル、匂いの場所は特定できる?」

「当然であります!」


 シャルは奥地に向かってずんずんと歩き出した。


 林の奥で僕たちが見つけたのはレモンの木だった。

 樹高は四メートルくらいで僕らよりもずっと高い。

 枝には実がたくさんなっていた。


「父上、美味しそうな実がなっているであります。これは食べられますか?」

「うーん、レモンはそのまま食べたらとても酸っぱいんだよ」

「酸っぱいでありますか……」


 シャルが小さな肩を落としている。


「でも、いろいろな料理に使えるんだよ。もちろんスイーツの材料にもなるんだ。これさえあれば、ハニーレモンやレモンケーキが作れるぞ」

「のっほぅ! シャルはレモンケーキが食べたいであります!」

「よしよし、それじゃあいくつか収穫していこう」


 僕とシャルはレモンをもいでポケットに詰めた。

 新しい食材を届ければリンも喜んでくれるだろう。


「それにしても不思議ですね。この季節にレモンがなっているなんて……」


 ミオさんは目をぱちくりさせて驚いている。


「この島は特別なんですよ」

「本当に不思議な島……」


 僕だってそう思うよ。


「父上、大変であります!」


 突然、シャルが大声を上げた。


「どうしたんだい?」

「ほら、太陽があんなに高くなっているではありませんか」


 そろそろお昼の時間と言いたいらしい。

 きっとリンがツバメの巣を料理して待ってくれていることだろう。


「よし、レモンという収穫もあったし、今日の探索はここまでにして帰ろうか」

「セディーさん、私も記念にレモンを一ついただいてもよろしいでしょうか?」

「一つと言わず、好きなだけ持って行ってください」


 そういえば、レモンというのは船乗りの壊血病を予防するのに役立つんだったな。

 大航海時代の本で読んだことがあるぞ。

 これの需要もあるかどうか、今度エマさんに聞いてみるとしよう。

 僕らはもと来た道をオーベルジュへと引き返した。


 オーベルジュに到着すると、すでに支度はすっかり整っていた。

 リンが嬉しそうに僕たちを出迎えてくれる。


「ツバメの巣のスープができているよ」

「ありがとう、どんな感じになった?」

「ツバメの巣自体に味や香りがなかったから魚介のスープに入れてみたんだ。これは食感と効能を楽しむための素材だね」


 リンは干し貝柱をベースに野菜や魚介を使ったスープにツバメの巣を入れてくれていた。


「いい匂いであります。さっそくいただきましょう!」

「そうだね。ミオさんもご一緒にどうぞ」


 レモン採取を手伝ってくれたミオさんも誘った。


「え、でも、ツバメの巣って希少なんでしょう? いただけないですよ」

「いいから、いいから」


 婚約破棄なんて辛いことを乗り越えてきたのだ。

 ミオさんには少しでも人生を楽しんでもらいたい。

 少し強引にテーブルまで引っ張って来て一緒にスープを飲むことにした。


「いただきます」


 ひと匙のスープを口に含んだだけで、強烈なうま味が口の中に広がった。

 さすがはリンの料理だ、濃厚なスープは後をひき、スプーンを運ぶ手が止まらなくなってしまう。

 ツバメの巣の食感もよく、プルッとしたかと思うと、それはトロンと消えてしまった。


「美味しいよ、リン!」

「これはびっくりであります!」

「こんなに美味しいスープははじめて……」


 リンは真剣なまなざしで僕を見つめた。


「驚くのはまだ早いよ。このスープの秘密はそんなもんじゃない……」

「え?」

「さすがはガンダルシア産のスープってことさ。ウーパー、鏡を持ってきておくれ!」

「おう!」


 奥の方から大きな鏡を手にしたウーパーがやってきた。


「どうしたの、ウーパー? そんなものを食卓に持ってきて」

「いいから見てみな」


 ウーパーは僕らの前に鏡を置く。

 鏡に映っているのは僕とシャルとミオさんの顔だ。

 別に何の変哲もない……。

 リンは鏡の向きを少しだけミオさんの方へ向けた。


「セディーとシャルは子どもだから大した効果は出ないね。でも、ミオさん、何か気が付かない?」


 ミオさんはハッとした顔で自分の髪に手を当てた。


「私の髪……、コシが強くなったような……。えっ! 肌もつるつるになっている‼」

「そうなんだよ!」


 相槌を打ったのはウーパーだった。


「さっきこのスープを味見させてもらったんだが、どういうわけか、古傷のひきつけるような感覚が消えたんだ。傷自体もじゃっかんだが目立たなくなったような気がしやがる」


 言われてみれば顔の傷がわずかながら小さくなったような……。


「痛みが消えたの?」

「完全ではねえがな。こいつはすげえスープだぜ」

「食べて!」


 僕はウーパーを椅子に座らせ、僕の分のお皿を差し出す。

 食べかけだって構うものか。


「お、おい、セディー……?」

「残りのスープは全部ウーパーが食べるんだ」

「いや、しかし……」

「ひょっとしたら、同じものは二度と作れないかもしれないんだよ。だったらウーパーが食べなきゃダメ!」


 ウーパーの古傷が治るのならスープの一杯くらいいくらでも差し出すよ。


「すまねえな、セディー」


 ウーパーは涙を流しながらごくごくとスープを飲み干した。

 リンがその様子を満足そうに見ながら口を開く。


「たしかに今回は奇跡が重なったかもしれないけど、同じ料理はまた必ず作れるはずさ」

「そうなの?」

「私はプロの料理人だよ。つまり、一回しか作れない料理なんてないんだよ。素材さえそろえば必ず作れるって」

「だったら、ポール兄さんたちにもこの感動を味わってもらえるんだね?」

「それは請け合うよ。ただ、そう毎回というわけにはいかないだろうけどね」


 アナツバメの巣は貴重だから大量に消費するわけにはいかないもんね。

 これはレストランでも滅多に出さない特別な料理ということにしておこう。

 兄さんにも他ではしゃべらないようにしてもらわないといけないな。


「とにかく、これでコースの一品目は決まったってことでいいね?」

「うん、これなら満足してもらえるよ。一品目は『ツバメの巣を使った奇跡スープ』に決定だ」


 僕とリンは力強くうなずきあった。

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