第45話 密偵のお仕事


 朝食を食べてから、ミオさんにガンダルシア島を案内した。

 婚約破棄をされて心に傷を負ったであろう彼女になるべく優しくしてあげたかったのだ。

 まずは温泉にご案内である。

 ここでゆっくりと温まってもい、心身共にリラックスしてもらうとしよう。

 その間に僕はひと仕事だ。


「父上、オレンジをどうするのですか?」

「これでジュースを作るんだよ。お風呂上りはのどが渇くからね」


 搾りたてのオレンジジュースって美味しいんだよ。

 前世で飲んでいた濃縮還元のパックジュースとはまったくの別物である。

 入り口で待っていると火照った顔のミオさんが姿を現した。


「どうぞ、こちらで休んでください。搾りたてのオレンジジュースもありますよ」

「わあっ、おいしそう。この季節にオレンジなんて贅沢ね。これは南国からの輸入品?」

「いえいえ、島で採れたものです」

「え……、今はまだ春なのに?」

「ここは不思議な島で、春先でもオレンジがなるんです」


 三日に一度収穫できることは黙っておくか……。


「そうなんだ……」


 ミオさんはなにやら考え込んでいたけど、顔を上げて僕を見上げた。


「他には何があるのかしら? 私、この島のことをもっと知りたいな」

「そうですね、海産物はなにを食べても美味しいですよ」

「ふーん……」


 あれ、あんまり興味がなさそうだ。

 そうか、ミオさんは僕と同じベルッカの出身だもんな。

 ベルッカは港町である。

 海産物も豊富なのでめずらしく感じないのだろう。

 だけど、ベルッカとガンダルシアでは水揚げされる魚介類の品質は段違いなのだ。


「信じられないと思いますけど、ここの海産物は一味違いますよ。同じベルッカ生まれの僕が保証します」

「本当に?」

「それじゃあ、午後は魚釣りなんていかがです? 一緒にボートに乗りましょう。夕飯はその魚を料理してお出ししますので」

「なんだか楽しそうね。ぜひご一緒したいわ」


 ということで、午後はルールーのボートで海に繰り出した。


 波は穏やかで絶好の釣り日和だった。

 日差しも強くなく、風は微風だ。

 心地よい陽気の中で僕たちは釣り糸を垂らした。


「魚釣りなんて本当に久しぶり。子どものころ以来だよ」

「ベルッカ出身なのに?」

「私は都で働いていたから」


 年頃になると親元を離れて奉公に出る人は多いのだ。

 ミオさんもきっと十代の中ごろには仕事に出ていたのだろう。


「うわっ、当たりがきたあっ!」

「ミオさん、魚ですよ! 巻き上げて!」

「ま、巻き上げる? そ、そうかっ!」


 最初はドギマギしていたミオさんだったけど、リールを巻く姿は力強かった。


「ぬおおお、重いぃ……」

「頑張って!」

「わかった! うりゃああああああああああああっ!」


 釣れたのは全長が六十センチくらいある薄桃色の鯛だった。


「こんな大きいのは僕だって釣ったことないよ。ミオさん、すごい!」

「そ、そうかな? えへへ、やったね!」


 ミオさんは自分の得物に満足そうだ。

 しかも今日の釣果はこれだけじゃない。


「父上、平貝をゲットであります!」


 寒さなど全く平気なシャルが海に潜り、貝やエビを大量に捕まえてきたのだ。

 平貝の貝殻は黒く、シャルの顔ほどもある大きな貝だ。

 これの貝柱をソテーすると本当に美味しい。

 バターソテーして、オレンジ風味のクリームソースをかけたものはリンの得意料理だ。


「平貝はいいね。リンが喜ぶよ」


 きっとミオさんもその味に満足してくれるだろう。

 釣りを満喫して、僕らは島の午後を楽しんだ。


 ***


 ミオはオーベルジュの自室に入ると、広いベッドの上で横になった。

 羽布団はふかふかで、清潔なシーツからはいい香りがしている。


「満足ぅ……」


 任務でここに来たというのに、昼はいっぱい遊び、夜は美味しい料理をたくさん食べてミオは大満足だった。

 そのうえセディーにご馳走してもらった白ワインを三杯も飲んだので少し酔ってもいる。


「鯛ってあんなに美味しいんだねえ。自分で釣ったから美味しさもひとしおだよ。シェリーソースだなんて初めて食べたなあ……」


 我知らずミオの口元はほころんでいた。

 もちろん島での体験が楽しかったり、料理が美味しかったりのせいもあるのだが、なによりセディーが自分に親切だったことがうれしかったのだ。

 こんなに安らいだ気分は久しぶりのことだ。

 ダンジョンでパーティーが全滅して、密偵としてダンテス伯爵にスカウトされるまでは苦労の連続だった。

 ようやく一息付けた感じである。

 すこし酔いが醒めると、ミオは机に向かって報告書をしたため始めた。

 自分の任務はこの島とセディーの暮らしぶりの調査である。

 弟を心配したダンテス伯爵から密かに調べるように命じられているのだ。


「どうして内緒で調べるのですか?」


 ミオはダンテス伯爵に質問した。


「男の子というのはいつだって一人前に見られたいものなのだよ。兄に心配されるなど、セディーのプライドを傷つけてしまうかもしれないだろう?」


 伯爵は見た目よりずっと優しい人だった、ミオはそう思っている。

 ダンテス伯爵の思惑を知らないミオは、兄弟愛に報いるためにも頑張るつもりだった。



 報告書


 この島は驚くほど作物が豊かです。リンゴやナシ、オレンジなどの木がたくさん自生しています。

 また、温泉施設も立派です。ルボンの街でも評判のようで、わざわざここまで入りに来るお客が六人ほどいました。

入浴料は500クラウンなので、それだけで3000クラウンの収入になっています。

またオーベルジュの評判はさらによく、今日だけで十四人のお客がランチに来ていました。

宿泊客はまだまだ少ないようですが、セディー様の収入は安定しており、伯爵が心配するようなことはないと存じます。

また、仰せつかった食品加工場は機会をみつけて見学させてもらう予定です。


 切りのよいところまで報告書をまとめて、ミオは大きなあくびをした。

 一日中遊んで疲れていたのだ。

 経費としてもらったお金で十日分の宿泊費は先渡ししてある。

 それほど急いで報告書をまとめることもないだろう。

 ベッドわきの魔導ランプを消すと、ミオはすぐに眠ってしまった。

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