第39話 ダンテス三兄弟


 エマさんが帰った次の日、僕は菜園の横に家畜小屋を作成した。

 正面に金網が張られた鶏小屋と、四方が囲まれたヤギ小屋の二つだ。

 小屋の周りは柵で囲まれていて、動物たちはそこに放すことができる。

 小屋の横には飼料を入れておく物置もついていた。

 これでいつでもヤギや鶏を受け入れることができるぞ。


「シャル、今日はポール兄さんの牧場へ行くよ」

「ついにプリンとカスタードクリームを買うのですね!」

「ヤギと雌鶏だって……」

「わかっております。ヤギたちはシャルが心を込めて世話をするであります!」


 動物を飼うのは初めての経験だから興奮しているのだろう。

 シャルは鼻息も荒く、準備を始めた。


「おいおい、まさか二人だけで行くつもりじゃないだろうな?」


そう訊いてきたのは心配性のウーパーだ。


「そのつもりだよ」

「馬鹿を言ってるんじゃねえ。子どもだけで街道を歩かせられるか。俺も一緒に行くからな!」


 相変わらずの過保護である。

 街道はまれに盗賊が出没するのでウーパーの心配も杞憂というわけじゃない。

 でも、ポール兄さんの牧場までは歩いて二時間くらいだし、街も近いので変な輩は少ないのだ。


「シャルが一緒だから大丈夫だよ。胡椒爆弾だってたくさんあるんだから」


 サンババーノの姉妹喧嘩は終結していなくて、僕の顔を見るたびに胡椒爆弾を売ってくれとうるさい。

 争いに加担したくないので買い取りを頼むこともできず、胡椒爆弾の在庫はたくさんあった。


「だけどよぉ……」

「今日は宿泊の予約が二組入っているでしょう? 僕の護衛よりも、そっちの仕事をお願いね」


 ランチを食べに来た行商人が、帰り道に泊まると予約をしてくれたのが昨日のことである。

 いよいよ宿泊客が集まってきてくれているのだ。

 ここは支配人に頑張ってもらわないとならない。


「わかったよぉ……」


 ちょっと拗ねている戦場の死神はなんだかおもしろかった。



 架け橋を渡って街道を歩く前に、僕は新しく立てた看板をチェックした。


 ガンダルシア島へようこそ

 美味しい食事と清潔なお部屋のオーベルジュがございます。

 日帰り温泉の入浴も大歓迎です。(入浴料 400クラウン)


 白地の板に青と赤のペンキで僕が文字を書いた。

 横幅は二メートル、縦も一メートル近くあるから、道からもよく見える。

 この看板でお客さんが増えてくれるといいな。


「よし、曲がっていないな」


 看板はガンダルシア島の顔だから、きちんとしておきたかった。


「まっすぐでありますよ」


 シャルと二人で確認してから、僕らは街道を歩きだした。



 海からの風はすっかり冷たくなっていた。

 街道沿いから見える草原はすっかり茶色く枯れ、冬の訪れが近いことを告げている。

 ポール兄さんが受け継いだ村々や牧場はダンテス領の内陸部にある。

 こちら方面に来るのは屋敷を出て以来久しぶりのことだった。

 長い坂道を登って僕は少しだけ息が切れたが、シャルはまったく疲れた様子を見せていない。

 さすがは黄龍の子どもだ。

 僕らはしりとりをしたり、おもしろい形の雲で想像を膨らませたりしながら街道を歩いた。


 ポール兄さんの牧場はすぐにわかった。

 目印となる大きな厩舎が並んでいたし、広大な敷地にはたくさんの馬が走っていたからだ。

 交通の主役は馬なので需要はたくさんある。

 値段は120万クラウンから400万クラウンくらいが相場かな。

 日本で言えば、ちょうど自家用車を買うような価格帯だろう。

 それより安いものとなるとロバが多い。

 こちらは軽自動車みたいなものだ。

 行商人などはロバに小さな荷車を引かせていることが多い。

 いずれにせよ、大きな買い物ではある。

 きっとポール兄さんの儲けは悪くないだろう。

 年齢が上の分、僕よりはだいぶましな遺産を受け継いだようだ。

 牧場の向こうに大きな屋敷が見えた。

 あれがポール兄さんの家のはずだ。

 屋敷の前は広いロータリーになっていて大きな馬車が横付けされている。


「あれは、ダンテス家の紋章じゃないか」


 黒塗りの馬車の横には、薔薇が添えられた王冠を守る二頭の狼が描かれている。

 小さいころからいたるところで見てきた実家の家紋だ。

 でも、あの紋章を使えるのは当主であるアレクセイ兄さんだけだぞ。

 ポール兄さんが使おうものなら罰せられてもおかしくない。

 下手をすればお家騒動として領内が大騒ぎになってしまう大事件だ。


 ドキドキしながら歩き進むと、真相はあっけなくわかった。

 玄関前でアレクセイ兄さんとポール兄さんが立ち話をしていたのだ。

 つまり、この馬車はアレクセイ兄さんのものだったのである。

 ポール兄さんはすぐに僕の姿を認めて小さく手を上げた。


「よお」


 それにつられてアレクセイ兄さんも僕を見る。


「………………ああ、セディーか」


 僕の名前が出てくるまでかなりの時間がかかったぞ。

 きっと僕のことなんて記憶の彼方へ飛んでいたのだろう。


「ちゃんと暮らしているのか?」

「まあ、なんとか……」

「そうか、しっかりやれよ。では、これで帰る。ポール、馬のことは頼んだぞ」


 それだけ言ってアレクセイ兄さんは馬車に乗り込んだ。

 砂埃をたてて黒塗りの馬車は遠ざかっていく。


「アレクセイ兄さんは何の用だったの?」

「馬を買いに来たんだ」

「そういえば、兄さんは名馬に目がなかったね……」


 伯爵を継ぐ前からよく馬を買っていたのをおぼえている。

 金持ちのボンボンが高級スポーツカーを欲しがるようなものだ。

 1500万クラウンはするような馬を買ったこともあったもんなあ。

 そのせいで父上に叱られたことさえあったのだ。


「いい商売ができた?」


 そう訊くと、ポール兄さんは苦笑した。


「700万で売れそうな雄を450万で買いたたかれたよ。これでも頑張ったんだがな」


 開いた口がふさがらなかった。


「そんな顔をするな、セディー。この地で商売をするならアレクセイ・ダンテス伯爵には逆らえないさ」


 ポール兄さんはアレクセイ兄さんを伯爵と呼んだ。

 他人行儀にふるまうことで自分の気持ちに区切りをつけているのだろう。


「ところでどうした? わざわざ訪ねてくるなんて」

「お金ができたからヤギと雌鶏の買い付けに来たんだよ。ガンダルシア島の領主は値切ったりしないから安心して」


 軽い冗談を言うと、ポール兄さんは珍しく笑顔を見せてくれた。


「とにかく家に入って何か飲んでいけ。シャルロットも入りなさい」

「ありがとうございます、伯父上!」


 相変わらずぶっきらぼうだったけど、ポール兄さんは優しかった。


 家に入るとさっそく支払いをすませた。


「よく金を用意できたな」

「島の運営は順調なんだ。食堂は繁盛しているし、今度はオーベルジュも作ったんだよ。温泉も改修して入浴料がとれるようになったから、今後はもっと発展すると思う。それにね、ひょっとしたら大口の注文が入るかもしれないんだ」


 僕は果物の瓶詰と自家製アロマの話をポール兄さんに話した。

 兄さんは黙って僕の話を最後まで聞き、重々しくうなずく。

 その姿はなんだか父上に似ていた。

 三人兄弟の中でいちばん父上に似ているのはポール兄さんかもしれない。

 僕は亡くなった母上に似ているそうだ。

 ちなみに僕の母上は後添いで、アレクセイ兄さんやポール兄さんの母上とは別の女性だ。

 二人が僕に余所余所しかったのは母親が違っていたからかもしれないな。


「暮らし向きが安定したのならよかった。前も言ったが、近いうちに様子を見に行くつもりだったのだ」

「お友だちとご飯を食べに来てくれるという話でしたよね」

「うむ……」


 ポール兄さんの顔色が曇った。


「どうしたの? もし都合が悪ければ――」

「そうではない。ただ、島の経営が順調なことはアレクセイ兄さんの耳には入らないように気をつけろ。なるべく人に言わない方がいい」

「どうして?」

「兄さんならお前の島を横取りしかねない……。書類上ではセディーの島になっている。それは俺も確認した。だが金になると知れば、兄さんは強引な手を使うかもしれないからな」

「そんな……」

「まあ、心配するな」

「うん……」


 そうは言われても不安は収まらなかった。

 せっかく住みやすくなったのに島を取られるのは嫌だからね。

 ヤギと鶏は後日届けてもらえることになり、僕とシャルはお昼ご飯をいただいてからガンダルシア島へ戻った。

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