第32話 垣間見えた先生の過去


 シャルと二人でルボンのサンババーノへやってきた。

外は曇りだったけど、店内はさらに薄暗く、ランプの明かりに照らし出された魔女たちの顔が幻影のように揺れていた。


「いらっしゃい……」


反射的に愛想のない声をだしたスモマだったが、すぐに態度を改めた。


「これはシャルロット様、ようこそおいでくださいました」


 声のトーンが一オクターブ上がっている。

 ビグマとミドマもすぐに立ち上がって、僕たちを迎え入れてくれた。


「どうぞおあがりください。すぐに薬草茶などをお淹れいたしますので」


 ドラゴンを崇める魔女たちは小さなシャルに頭が上がらないのだ。

シャルの名付け親ということで、僕にも親切にしてくれる。


「シャル、薬草茶よりもハチミツ入りの牛乳がいいな」

「こら、わがまま言わないの」


 僕はシャルをたしなめたんだけど、ビグマは奥に向かって叫んだ。


「黄龍様にハチミツ入りの牛乳をお持ちするのだ。急いで!」


 挨拶などをして落ち着くと、僕は要件を切り出した。


「本日も買い取りをお願いします」


 査定台の上に持参した商品を並べていく。


「ふむふむ、マボーン帝国の銀貨とイチゴ石、それからこれは……」


 僕の作った胡椒爆弾をビグマは慎重に持ち上げた。


「それはマジックボムを改良して作った胡椒爆弾です」

「坊やがこれを作ったのかい?」

「作り方の基本は錬金術師のノワルド先生に教わりました。それに改良を加えたのがこれです」


 ノワルド先生の名前を出すとミドマが目を見開いた。


「ちょっと待ちな、ノワルドいうのは漂泊の錬金術師ノワルド・ウォーケンのことじゃないだろうね?」

「先生をご存じなのですか?」

「こいつは驚いた。まさか坊やの先生がノワルド・ウォーケンだなんて!」


 ミドマは興奮で鼻息が荒くなっている。

 発作でも起こさないかと心配なほどだ。


「ミドマ、先生はどんな人なの? 教えてよ」

「知らないのかい? やれやれ、漂泊の錬金術師を知らずに師事しているとは、本当におめでたい坊やだね」

「そんなこと言われてもなあ」


 先生は錬金術や魔法薬について語るときはしつこいくらいに饒舌だけど、自分のことはほとんど話さないのだ。


「いいかい、ノワルド・ウォーケンはもともと宮廷錬金術師だったのさ」

「へー……」


 僕の反応にミドマは不満げだった。


「随分と感動が薄いじゃないか」

「僕の実家は伯爵家だから、宮廷〇〇は珍しくないんだ。おじい様も宮廷補佐官だったから」

「ふん、特権階級がっ!」

「僕はそんなことないよ。屋敷は追い出されているもの」


 ブツブツと文句を言いながらも、ミドマは先生について知っていることを教えてくれた。

 普段は攻撃的なしゃべり方をするミドマだけど、先生のことを語るときは、うっとりと、夢見がちにと言ってもいいくらいに柔らかな声音になっている。

 ミドマは昔から先生のファンだったようだ。


「ノワルド・ウォーケンは天才さね。数々の研究を発表し、そのたびに錬金術師や魔法使いたちは度肝を抜かれたり、感心したりしたものだった。私もサインをもらおうと著書を持参して群がった乙女だったんだよ」


 先生はモテたんだなあ。

 ミドマの表情がふいに曇り、顔に刻まれたしわが深くなった気かがした。


「だが、ある日を境にノワルドは宮廷を去ってしまうのさ」

「何があったの?」

「詳しいことはわかっていない。派閥争いが嫌になったとか、道ならぬ恋をしてしまったとか、当時はそんな噂が立ったものだがね……」


 あの生真面目なノワルド先生が恋? 

 ちょっと想像できないなあ。

 考えが顔に表れていたのだろう、ミドマの声はまたトゲを含んだ。


「坊やの先生だって、生まれたときから爺さんをやっていたわけじゃないさ。誰にでも若い頃はあったんだよ。私だって昔は、魔法少女三姉妹でいちばんの美貌、ともてはやされたもんさ」


 すかさずビグマとスモマが横やりを入れる。


「馬鹿を言うな、あんたのことをもてはやすのは気持ちの悪いドMだけだろう? 一番人気は優しいお姉さまキャラの私さね!」

「ショタコンの変態が何を言う……。妹キャラの私が一番人気……」

「何が妹キャラだよっ! 地味好きにしかモテなかったくせに」

「そうだ、そうだ、ヤンデレ地雷魔女」

「なんだと……」


 三ババたちは喧嘩を始めていたけど、僕の頭の中はノワルド先生の過去でいっぱいになってしまった。

 いったい、先生に何があったというのだろう? 

 華やかな宮廷での生活を捨て、苦労の多い漂泊の旅に出るなんて……。

 いや、宮廷での生活というのは気苦労の多いものだと、おじい様も言っていた。

 先生は日常のつまらないことが嫌になったのかな。

 それとも、ミドマが言ったように恋が関係しているのだろうか。

 だとしたら、お相手はどんな方なのだろう?

 直接先生に聞いてみたい気がしたけど、それはやっぱりためらわれた。

 いつか、先生から教えてくれることがあるかもしれない。

 可能性は低いかもしれないけど、今はそれに期待してみよう。


「あの、そろそろ買い取り値段を教えてもらえませんか?」


 まだ喧嘩を続けている三ババに声をかけたけど、無視されてしまった。


「僕じゃどうにもならないな。シャル、三人を止めてくれないか?」

「お任せください、父上。スーッ……」


 深く息を吸い込むと、シャルは店を揺るがすような大きな声を出した。


「喧嘩はやめるであります!!!!」


 それはもうドラゴンの咆哮そのものだった。

 振動で天井からパラパラとゴミが落ちてくるくらいすさまじい。

 シャルの後ろにいた僕の耳も痛いくらいだから、真正面にいた三ババたちの衝撃は想像を超えるものだっただろう。

 三人は耳を抑えて床にうずくまっていた。


「シャルロット様、どうぞお許しを……」


 三人はぶるぶると震えながら許しを請うている。


「シャル、怒ってないよ。でも、父上の話をきいてほしいであります」

「もちろんでございますとも……」


 うろたえながらもビグマは羽ペンを宙に放り投げた。

 自動筆記のペンは血よりも赤いインクをにじませていく。


 マボーン帝国の銀貨 ……6千クラウン

 イチゴ石(大)三〇個 ……1万5千クラウン

 胡椒爆弾      ……?

 合計        ……?


 あれ、胡椒爆弾に値段がついていないぞ。


「どういうこと?」

「胡椒爆弾とやらは初めてだからね、まずは有用性を確かめないと値段がつけられないのさ」


 ビグマの言うことは正しい。


「わかったよ。サンプルを一つ置いていくから、買い取り価格は次回に教えてね」


 とりあえず、銀貨とイチゴ石だけ換金して、僕らはサンババーノを後にした。



 胡椒爆弾が売れなかったのは残念だったけど、今日の取引で手持ちの現金は5万2千クラウンになっている。

 これだけあればポール兄さんからヤギと鶏を買うことができるぞ。

 僕とシャルは街の門を出て街道を島へ向けてのんびり歩いた。


「これでようやく家畜が飼えるなあ」

「父上、嬉しそうでありますね」

「そりゃあそうだよ。ヤギからは乳が、鶏からは卵がとれるもん」

「ほうほう、卵焼きですか」


 僕はシャルに向けてニヤッと笑って見せた。


「それだけじゃないよ。乳と卵があればプリンやカスタードクリームだって作れるんだから」

「それは何でしょうか?」

「甘いお菓子だよ。プリンはつるんとしていて、口当たりがなめらかなんだ。カスタードクリームはイチゴやバナナといっしょにクレープで食べてもいいなあ」

「お菓子!」


 シャルは鼻を大きく膨らませて飛びついてきた。


「父上、早く叔父上のところへまいりましょう。一刻も早くであります!」

「あはは、慌てないの。まずは兄さんに手紙を書かなきゃ……あれ?」


 道の先で一人の旅人がうずくまり何かをしていた。


「父上、前方に不審者であります!」

「こらこら、そんなことを言ってはいけません」


 だけど、シャルの気持ちはわからないでもない。

 地面に膝をついている男は長剣を背負い、横顔に大きな傷跡があった。

 傷は鼻から頬にかけてざっくりと横切っている。

 よく見れば傷跡はそれだけではない。

 無数の傷が手や首、いろいろなところについているようだった。

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