第27話 ドラゴンハンドミキサー


 リンが出て行ってしまうとシャルがウキウキと声を上げた。


「父上、美味しいものを作るのですか? シャルはフルーツケーキがいいと思います!」


 フルーツケーキはシャルが愛してやまない、いちばん好きな食べ物だ。

 だけど、今回は望みをかなえてあげられない。


「ごめんね、材料や器具がないからフルーツケーキは無理だよ。あれを焼くにはオーブンが必要だからね」

「うちにはオーブンはないのですか?」


 シャルはがっくりと肩を落とした。

 キッチンに魔導オーブンを設置するには2ポイントが必要だ。

 保有ポイントは37もあるから導入は余裕である。

 ただ、ケーキを焼くには他にも細々とした道具が必要になってくる。

 計量カップや粉ふるい、焼き型などなど、用意すべきものは多い。

 それに何といっても、僕はケーキの焼き方をよく覚えていなかった。

 ただ、スイーツは計量が大切だという記憶は残っている。

 やはり、各種スケールは欠かせない気がした。


「しょんぼりしないでよ。ケーキはいつか街へ買いに行こう。今日はマヨネーズを作るんだ。マヨネーズだって美味しんだぞ」

「おいしいでありますか?」


 シャルはまだ元気がない。


「シャルはバゲットが大好きだろう?」

「大好きであります」

「これから作るのはバゲットを半分に切って、そこにスライストマト、スライスオニオン、レタス、アボカド、スモークサーモンを挟んだサンドイッチだぞ」

「ほぉおおお……」

「マヨネーズは個々の素材を一体にまとめ上げる、オーケストラの指揮者みたいな存在なんだ」


 シャルはオーケストラを知らないだろうけど、なんとなく察したようにうなずいた。


「トマトや玉ネギ、レタス、アボカド、スモークサーモンを一つにするのでありますね」

「そのとおり! 一つ一つの食材が混然一体となったとき、それは天にも昇るような至高の味に変化するんだぞ」

「おおぉおお!」


 それまでとは打って変わって、シャルはがぜんやる気をみなぎらせた。


「父上、マヨネーズを作りましょう! シャルは至高のサンドイッチを食べて天翔ける昇龍になりとうございます!」


 うん、表現は少し大げさだけど、やる気があるのはよいことだ。


「それじゃあ、手を洗ってからマヨネーズを作るとしよう」


 夕飯に間に合うように、僕らはさっそく仕事に取り掛かった。


 卵黄二個を割り入れたボールに、酢と塩を少量ずつ入れた。


「まずはこれをよく混ぜるんだ。空気を含ませながらたっぷりとね」


 リンに借りた泡立て器を使い、全体がもったりとするまでかき混ぜていく。


「ふぅ、けっこう力がいるな」


 しばらく混ぜ続けていると腕が重たくなってきた。

 前世で料理をしていたときは大人だったのかもしれない。

 こんなに疲れた記憶はないぞ。

 それともハンドミキサーを使っていたのかな?


「シャルもやりたいであります!」


 手をうずうずさせながらシャルが僕を見てきた。


「こぼさないようにできる?」

「できます!」


 ちょっと心配だったけど、期待に目を輝かせるシャルの願いを退けるのはかわいそうな気がした。

 たとえ失敗しても、そのときは作り直せばいいだけか。

 幸い卵はまだ残っている。


「じゃあ、気を付けてやってみて」


 シャルは神妙な手つきでボールを受け取った。

 そして小さな手を使って、器用にマヨネーズをかき混ぜていく。


「上手いじゃないか」

「…………」


 褒められるとすぐに喜ぶシャルだけど、今は真剣な顔つきでマヨネーズづくりに打ち込んでいる。


「じゃあ、シャルはかき混ぜ続けてね。僕はオリーブオイルを入れていくから」


 ドラゴンパワーのおかげでシャルの手はまったく止まらない。

 一定のリズムで卵をかき回し続けている。

 僕は細心の注意を払いながら、オリーブオイルを糸のように細くボールに垂らした。


「ふおおお、固まってきました!」

「手は疲れてない?」

「疲れる? どうしてでありますか?」


 黄龍であるシャルにとって、こんなことは運動の内には入らないのだろう。


「それじゃあ混ぜ続けてね。ゆっくりと油を加えていくから」

「はい!」


 およそカップ一杯分のオリーブオイルがボールに加わり、マヨネーズは完成した。


「これがマヨネーズですか」

「肉や魚、野菜にそのままつけて食べても美味しいし、グリルしてもいいんだよ」

「早く食べてみたいです!」


 そこへルールーのところへ行っていたリンが帰ってきた。


「ただいま。さすがにサーモンはなかったけど、獲れたてのサバをもらってきたよ。これをスモークして使おう」


 サバのスモークは食べたことないけど、リンは自信がありそうだ。

 ここは料理人のセンスを信じてみるべきだろう。


「ちょうどよかった。マヨネーズができたよ」


 出来上がったばかりのマヨネーズを僕はリンに差し出した。


「これがマヨネーズ。味見をしていい?」


 スプーンの先にちょっとだけマヨネーズをつけてリンは口に入れた。


「……これはおもしろい。ドレッシングに近い感じだよね。セディーの言うとおりサンドイッチにしたらよさそうだ。うん、サバのスモークにも合うと思う。キッチンを借りるよ」


 リンはまな板の上に中くらいのサバを置いた。

 海で下処理はしてきたようだ。


「脂の乗り具合、身の締まり具合、どちらも最高だよ。確かにこの島の海産物は他と段違いだ」


 器用に包丁を入れてルールーは瞬く間にサバをおろしていく。

 身を冊に切り出したと思ったら、今度は刺身状に切っているぞ。

 でも、あんなふうに切ってどうするのだろう?


「お刺身にするの?」

「お刺身? それは何?」

「切り身を生で食べるのかなって」

「そんなことはしないよ」


 リンは笑いながら作業を続けている。

 こちらの世界では鮮魚を生で食べるという習慣もない。

 やはりあれは日本独特の文化なのだろうか? 

 サバには寄生虫がいるという記憶も甦ったので、リンに否定されて僕はホッとしていた。


「その切り身はどうするの?」

「本来なら塊の状態でスモークするんだけど、それをやると時間がかかるでしょう? だから時間がかからないように薄く身を切ったの」


 鞄の奥からリンは麻袋を取り出した。

 中に入っていたのはウッドチップだ。


「これでいいか……。外でいぶしてくるよ。火を焚いていいかい?」

「畑の脇に火を焚く場所があるんだ」


 いつも畑に現れる枯葉や枝を燃やすところだ。


「そこを使わせてもらうよ」


 リンはサバを持って表に出た。

 僕とシャルは顔を見合わせて、すぐにリンの後を追った。

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