第6話 小さなコテージ


 家の中はかなり様変わりしていた。

 壁の四面に窓があるおかげで室内は明るく、ずっと清潔に見える。

 ログ材がきちんと組んであるので、前のように隙間風も入ってこなかった。


「おお、ドアに鍵がついている!」

「そんな当たり前のことで喜ぶなんてどうしちゃったの?」


 ドアに鍵がかかるだけで、どれほど心に余裕をもてるか、深窓の令嬢にはわからないのだろう。

 ドア材も分厚い板だから、昨日より安心して眠れそうだ。

 玄関を入ってすぐのところは居間になっていた。

 テーブルと椅子は以前と同じものだったけど、椅子が一脚から二脚に増えている。

 隅の方にはさっきまでなかったミニキッチンもついていた。

 なんだかおままごとの道具みたいだ。


「かわいいキッチンね。ここでお料理ができるんだ。ねえセディー、コンロが動くかどうか試してみましょうよ」


 ユージェニーは料理の経験なんてないのだろう。

 さっきからそわそわとキッチンを使ってみたそうにしている。


「いいよ、この魔導コンロに初めて点火する栄誉を君に譲るよ」

「やったあ。うふふ、お湯を沸かしてみましょう」

「それはいいけど、やったことあるの?」

「ないわ」


 だよなあ。

 僕だってそうだもん。(前世は別)


「このつまみをひねればいいのね……」


 ユージェニーは禁断の魔道具を扱うみたいにびくびくしていた。


「大丈夫?」

「へ、平気よ。うわっ、コンロが熱くなった!」


 スイッチに反応して渦を巻いた鉄線が赤くなっている。


「落ち着いてね」

「へ、平気よ、これくらい。これの上に水を張ったポットを置けばいいんでしょう? 簡単じゃない」


 ポットを火にかけると、ユージェニーは視線を逸らさずに水が熱くなっていく様子を見つめ続けた。

 ただお湯を沸かしているだけなのだけど、本人にとっては壮大な魔法実験をしているような感覚なのかもしれない。


「泡! 見て、泡が出てきたわ、セディー! どうしよう、爆発したりしないかしら?」


 沸騰を見るのも初めてか。

 さすがは伯爵家のお嬢様だ。


「お湯が沸くとそうなるんだよ」


 ユージェニーは魔導コンロを心ゆくまで楽しんでいた。

 それにしても、このキッチンは使えそうだな。

 コンロの火力はじゅうぶんだし、小鍋、お玉、食器などもそろっている。


「コテージって秘密基地みたいで楽しいわ!」


 コンロの火を止めたユージェニーははしゃぎながら部屋を見回した。


「でも、まだまだ足りないものが多いよ。家具はテーブルと椅子だけだもん。せめてソファーが欲しいなあ」

「さっきの魔法で何とかならないの?」


 居間の備品はポイントを割り振れば手に入る。

 これも、ユージェニーが遊びに来てくれたおかげのようだ。

 ソファーは1ポイントから設置可能で、5ポイント必要な高級なものもある。

 だけど、僕に残されたポイントは4だけだ。

 これはよく考えて使わなければならない。


「今はまだ無理だけど、そのうちね」


 幸福度を上げて、ポイントが順調に回復したら考えてみよう。


「セディー、こっちの梯子はしごの上は何かしら?」


 部屋の隅には梯子がついていて、ロフトへ上がれるようになっていた。


「登ってみよう」


 ユージェニーはスカートをはいていたので、まずは僕がのぼった。


「ロフトは寝室か」


 特に豪華なつくりではなく簡素なベッドとベッドサイドテーブルが置かれているだけだ。

 初期装備である赤いランタンもサイドテーブルの上に置いてあった。


「ベッドが少しだけいいものになっているぞ」


 ただの藁束が藁マットに変わり、茶色の毛布も掛けられていた。


「硬そうなベッドね。大丈夫?」

「贅沢は言っていられないさ。いずれはいいものに変えていくよ」


 ポイントが貯まれば天蓋付きのベッドだって手に入るのだ。

 マットだって低反発、ウォーターベッドとよりどりみどりである。


「あら、こんなところに窓があるのね」


 斜めになった天井の一角にドーマがあった。

 ドーマとは屋根の上に突き出た小さな屋根付きの窓のことだ。

 屋根裏に窓を付ける壁が取れない場合に使われることが多い。

 窓は両開きで、そこからコテージの屋根の上に出られそうだった。


「ユージェニー、外へ出てみない?」

「屋根の上に出るの? そんなことをして叱られないかしら?」

「叱られるわけがないだろう、ここの主は僕なんだから。それともユージェニーはここで待っている?」

「ううん、私も屋根に上ってみたい!」

「じゃあいこう。レディー、お手をどうぞ」

「うふふ、屋根に上るなんて初めての経験だわ」


 つないだユージェニーの右手が少し震えている。

 それでも元気に屋根へ移り、僕らはさらに上へよじ登る。

 てっぺんからは青い海がよく見えた。


「怖くない?」

「ちっとも! 毎日ギアンに乗っているのよ」


 確かに。

 ギアンに乗ればもっと高くまで飛べるのだ。

 だけど、ユージェニーは興奮していた。

 きっと屋根に上ることに背徳的な喜びを感じているのだろう。


「いい眺めね。海風が気持ちいい」


 内湾の先に大きな港町が見えた。

 あそこはベルッカ。

 僕が生まれ育ったところだ。

 ずいぶん遠くへ来てしまったなあ……。


「お屋敷が恋しい?」


 ユージェニーが心配そうに僕の顔を覗き込む。


「そうでもないさ。もう、ここで頑張るって決めたから」

「そっか……」


 口には出さなかったけど、ユージェニーは僕のことをものすごく心配してくれていたのだろう。

 昔からそういう子なのだ。


「それよりもお腹が減ったよ」

「あら、セディーは朝ご飯を食べていないの?」

「まだだよ。実はユージェが来たときはベッドの中だったんだ」

「もう、お寝坊さんね。でもよかったわ。差し入れを持ってきたのよ」


 僕らは一階まで戻ってテーブルについた。

 ユージェニーは持参したカゴからサンドイッチやフルーツを出してくれた。


「ありがとう。さっそく朝ご飯にいただくよ」

「そうだ、せっかくだからもう一度お湯を沸かしてみない?」

「いいけど、ここにはコーヒーも紅茶もないよ」

「さっき、表でレモンバームとアップルミントを見かけたわ。あれを摘んでハーブディーを淹れましょう」


 ユージェニーに教えてもらってハーブを摘んだ。

 家の周りにも役に立つハーブがけっこう生えているんだなあ。

 ん? そういえば、ゲームの中でもいろんなハーブを摘んだ記憶があるぞ。

 たしか、料理や錬金術に使ったんだ。

 どうすれば錬金術が使えるようになるかは思い出せないけど、これからはこういったハーブも活用していかなきゃね。


 井戸で水を汲み、コンロでお湯を沸かして、フレッシュハーブティーを作った。

 新鮮な香りが鼻から抜けてとても美味しい。

 ハーブと淹れ方は覚えたから、これからも作っていくとしよう。

 朝ご飯にハーブティー、ハム・野菜・チーズを挟んだサンドイッチ、朝摘みのイチゴを食べて大満足だ。

 チラッと見たステータス画面では、幸福度が76%から82%まで上がっていた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 ご飯を食べたり、おしゃべりをしたりする間に太陽は高い位置に昇っていた。


「そろそろ帰らなきゃ。午後はピアノのレッスンがあるの」


 ユージェニーは帰り支度を始めた。


「ここからユージェニーの屋敷まではどれくらい?」

「ギアンに乗ればすぐよ。だからまた来てあげるわ」


 グリフォンは空を飛べるので、どこへ行くのも簡単なのだ。

 満潮で島に渡る岩礁が沈んでも、ユージェニーなら問題なくやってこられる。


「次にユージェニーが来るまでになるべく島を発展させておくよ」

「楽しみにしているわね」


 表に出ると草地で横になっていたギアンがむくりと体を起こした。

 ギアンは小さな頃からユージェニーと一緒に育ったので繋いでいなくても逃げたりしない。

 今日も大人しく待ってくれていたようだ。

 つくづくユージェニーが羨ましいよ。

 ギアンにまたがったユージェニーが森を見回して不安そうな顔になる。


「本当に大丈夫? こんなところに一人で怖くない?」


 本当は怖いに決まっているけど、僕は意地を張る。

 幼馴染みの前でカッコ悪いところは見せたくない。


「怖くなんてないさ。僕はこの島の領主だもん。いずれここをお伽噺の中のガンダルシアにも負けないくらい立派な場所にしてみせるよ」


 強がってみせるとユージェニーも納得したようにうなずいてくれた。


「それじゃあまた来るわ。次もお土産を持ってくるから!」


 ギアンは翼を大きく広げて垂直に離陸する。

 僕はユージェニーの姿が見えなくなるまで見送った。


 ユージェニーがいなくなると途端に寂しくなった。

 一人になって、それまで存在を忘れていた自然の音がやけに耳につく。

 海風、葉のさざめき、鳥の鳴き声、世界は音であふれている。

 あれ、いま変な声が聞こえなかったか? 

 僕は耳をすました。


「うぅ……」


 海風に乗って聞こえてきたのは女の人の泣き声だ。

 声は海岸の方から聞こえてくるけど、まさかエルレーンの亡霊?

 エルレーンの亡霊とは、海で亡くなった女性の幽霊だ。

 夜な夜な青い光とともに現れて、様子を見に来た人を海の中に引きずり込むことで恐れられている。

 だとしたら怖いけど、今はまだ昼間だ。

 それに、聞こえてくるのは女の人の泣き声だけじゃないぞ。

 男の人の怒鳴り声も交じっている。

 なにやら言い争っているようだ。

 無視するのもよくないと思い、僕は海岸へ行ってみることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る