第3話 ガンダルシア島


 街道を進むこと半日。

 馬車の上でやることは特になく、生まれて初めてポール兄さんと会話らしい会話をした。


「ポール兄さんも領地をもらったの?」

「ああ、牧場を一つと村を二つな……」


 ポール兄さんは普段からあまり感情を表に出さない。

 だから受け継いだ領地に満足しているかどうか、その表情からは読み取れなかった。

 ただ伯爵領の規模を考えれば、ポール兄さんの取り分は微々たるものだ。

 領地のほとんどはアレクセイ兄さんの手に渡ったに違いない。

 ひょっとしたらポール兄さんは不満に思っているかもしれないけど、それはそっとしておくべき問題だと思った。


 馬車は緩やかな丘を登り始めた。


「僕の島がどんなところか知ってる?」

「よくは知らんな。小さな家があるとは聞いている」

「ふーん……」


 家はとうぜんあると思っていた。

しかも領主館のようなところを想像していたのだけど、この口ぶりではもっと小さなものかもしれない。

 きっと普通の民家のようなものなのだろう。

 もっとも僕は贅沢をしたいとは思っていない。

 雨風がしのげればそれでじゅうぶんだ。

 あれ、ひょっとして僕はそこで一人っきりで暮らすのかな?

 てっきり世話をしてくれる人くらいはいるのかと思っていたのだけど……。


「そこに使用人はいるの?」


 兄さんは少しだけ僕を見つめてから、視線を前方に戻した。


「セディー、これからは一人で生きていくんだ」


 なるほど、使用人はいないらしい。

 はぁ、空が青いなあ……。

 眩しすぎて泣きたくなってくるよ。


 馬車は峠を登り切り、眼下に海が広がった。


「ガンダルシアが見えたぞ」


 兄さんの見つめる方向に視線を移すと、広い内湾の中にこぢんまりとした島が見えた。

 こちら側の海岸からそれほど離れておらず、ボートでもあれば簡単に渡れそうだ。


「あまり大きくない島なんだ……」

「そうだな」


 ここから見る限り、周囲は砂浜や岸壁に囲まれていて、人家のようなものはひとつも見えない。


「あんなところに人が住んでいるの?」

「無人島だぞ」

「え……?」

「聞いていなかったのか?」


 表情の乏しいポール兄さんの顔に今日初めてはっきりとした感情が表れた。

 それはまさに『哀れみ』の表情だ。

 うん、地獄の悪魔だってこの状況には涙すると思うよ。

 僕はのんびりとした漁村がある島をイメージしていたのだ。

 だって、誰も無人島だなんて教えてくれなかったもん! 

 きっと乳母のメアリーも他のみんなも知らなかったんだと思う。

 領民が0なんて信じられない。

 そんなのはよくできたラノベのタイトルみたいじゃないか!

 あれ、……ラノベってなんだっけ? 

 おかしいな、最近になってよく記憶の混濁が起きる。

 体験したはずのない過去の記憶がよみがえるって感じだ。

 へんな病気になっていなければいいけど……。

 呆然としたままの僕を乗せて馬車は海岸までやってきた。


「ここから島に渡るようだ」


 海岸からは波を被る岩礁の道が続いている。

 僕の領地には橋さえないらしい。

 潮が満ちてしまえば行くことも帰ることもできなくなってしまうようだ。


 身体が動かなくなった僕に、いつもよりは優しい声でポール兄さんが声をかけてくれた。


「俺のところへくるか? セディーが望むなら牧場で働くという手もあるぞ」


 優しい言葉に涙が出そうになったけど、すぐにそうする気にもなれなかった。

 誰もいない島で過ごすというのは本当に心細いのだけど、まずはこの島がどんな所かを確かめたい。

 十二歳とはいえ、僕はこの島の領主なのだ。


「とりあえずは島を見てみるよ。答えを出すのはそれからでもいい?」

「そうか……」


 ポール兄さんは僕を強くは引きとめなかったけど、代わりに小さな革袋をくれた。

 袋の中には銀貨が数枚入っていた。


「あそこに街が見えるだろう?」


 はるか向こうの海沿いに集落が見えた。

 立派な鐘塔が見えるから、それなりに大きな街なのだろう。


「あれはシンプソン領のルボンの街だ。店もある。どうしようもないときはそれで何か買って食べろ」

「兄さん……」


 急にポール兄さんという人が身近な存在に感じられた。


「危険な生物はいないという話だが、万が一ということもある、気をつけろよ。剣の手入れはしてあるな?」


 僕は腰の剣に手をかけて確かめる。

 ずっしりとした重みは不思議と安心感を与えてくれた。

 貴族の子どもとして一通りの訓練は受けている。


「うん、大丈夫」

「攻撃魔法は使えるか?」

「ファイヤーボールなら」

「それがあるのなら心配ない。野生動物が相手なら二、三発撃てば逃げていく」


 そういう心配もしなければならなかったんだな。

 つくづく僕は見通しが甘かった。


「気を付けるよ」

「どうしようもないときは俺の牧場に来い。贅沢はできないが暮らしが立つようにはしてやる」


 兄さんは小さくうなずくと馬車を出発させた。

 そして、波のさざめきと僕だけが取り残される。

 いったいぜんたい、これからどうなっていくのだろう? 

 未来は目の前に続く岩の道くらい険しそうだ。


「ええっ!?」


 よく見ると、その岩の道は先ほどよりも細くなっているではないか! 

 潮が満ちてきたのだ。

 こうしてはいられない。

 今日中に島の家にたどり着かないと、今夜は眠るところさえないのだ。

 僕は重い旅行鞄を持ち上げて、海面にまだ頭を出している最初の岩に飛び移った。



 岩の道を伝って、なんとかガンダルシア島へとやってきた。

 来る途中で転んでしまい、服も靴もびしょ濡れだ。

 白い砂浜に腰を下ろすと僕は一息ついた。

 それにしても荒れ果てた島だ。

 ここから見渡す限り人工物はなにも見当たらない。

 うっすらと道らしきものはあるけど、草がぼうぼうと生えていて歩きにくそうだ。 

 沿道の木からは横枝もたくさん出ている。

 この場所を僕一人で整備するとなれば、時間はいくらあっても足りないだろう。

 今さらながらここへ来たことを後悔してしまった。

 でもどうしてだろう? 

 こんなひどい場所なのに、どこか懐かしい気がするのは。

 ここに来るのは初めてなのに、なんとなく見覚えがある気さえする。

 難しい言葉で言うと既視感だっけ? 

 遠い昔、僕が生まれる前に見た光景を見ているような感覚だ。

 僕は記憶を呼び覚ますようなものを探して周囲を見回した。


「…………」


 って、そんなことあるわけないか。

 将来が不安で、つまらない幻覚を見ているだけなのだろう。

 やっぱりポール兄さんについていくべきだったかな……?


「ダメだ、ダメだ!」


 僕は自分を励ますように大きな声で叫んだ。

 まだ島に来たばかりだというのに、もう弱気になっているじゃないか。

 こんなことでは先が思いやられるぞ。

 泣いている暇があれば体を動かさないと。

 とりあえずどこかにあるはずの家を見つけよう!


「クッ……」


 元気を出して立ち上がったのだけど、僕は不意のめまいに襲われて片膝をついてしまった。

 砂浜に足を取られたから? 

 それとも太陽がまぶしかったから? 

 それもあったけど、いちばんの原因は切れていた記憶の糸が突然につながったからだった。

 接続されたのは僕の前世の記憶。

 はっきりしたことは思い出せないけど、僕は日本という国に住んでいたことを思い出した。

 そうだ! 

 この島に見覚えがあるというのも間違いじゃない。

 ここは、僕が小学生のときに大好きだったゲーム『アイランド・ツクール』にそっくりなのだ。

『アイランド・ツクール』はいわゆるスローライフ系のゲームで、人の手が入っていない無人島を自分で開発して、島の暮らしを楽しむゲームである。

 プレーヤーは島を開発してもいいし、農業に勤しんでもいいし、冒険をしてもいい。

 とにかく自由度の高いゲームだった気がする。

 ゲームは島にやってきたプレーヤーが自分の家を見つけるところから始まるはずだったぞ。

 たしかこっちにいけば……。

 僕は前世の記憶を頼りに、荒れ果てた道を草をかき分けながら進んだ。

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