第2話 僕に遺されたもの
あれよ、あれよという間に父上の葬儀は終わった。
喪主は長兄のアレクセイ兄さんだ。
僕には二人の兄がいる。
長兄のアレクセイと次兄のポールだ。
といっても、僕とはあまり接点がない。
アレクセイ兄さんとは二十歳以上も年が離れているし、ポール兄さんだって十歳以上年上だ。
子どもには興味がないらしく、同じ屋敷に暮らしていても挨拶くらいしかしたことがなかった。
父上がお亡くなりになって三日後、アレクセイ兄さんから呼び出しを受けた。
アレクセイ兄さんは父上の書斎に座っていた。
すぐ後ろには家令のセバスチャンが控えている。
どうやら伯爵の地位は兄さんが継ぐことで決まったようだ。
僕は最初から蚊帳の外だったけど、気にもならなかった。
爵位を継ぐなんてことは考えたこともなかったからだ。
呼ばれたのは僕の今後を話し合うためだろう。
おそらく、どこかの寄宿学校に入学して、そこで社会に出る準備をするんじゃないのかな?
貴族の次男、三男にとってはお決まりのコースだ。
住み慣れた屋敷を離れるのは不安だけど、それも仕方のないことか。
これまでは使用人に囲まれて何不自由なくやってきたけど、今後は自分のことは自分でしなければならないのだろう。
僕なりに覚悟は決まっている。
ところが、アレクセイ兄さんは僕が予想もしなかったことを言いだした。
「セディー、お前はもう十三歳になったそうだな?」
「いえ、誕生日は三カ月後です」
「ふむ、まあだいたい十三歳ということだ。十三歳と言えば一人で立派にやっていける年齢だ」
兄上、どこらへんがそういう年齢なのでしょうか?
そもそもまだ十三歳じゃないし……。
僕は質問したい気持ちをぐっと飲みこんだ。
とりあえず相手の話はすべて聞きなさいと躾けられている。
まずはアレクセイ兄さんの言い分を拝聴しよう。
「さいわい、お前は思慮分別を備えている。家庭教師に聞いたが、学業の成績も良いそうじゃないか。つまり、立派に社会でやっていけるというわけだ」
兄さんには常識が備わっていないですね。
家庭教師は何をしてきたのでしょう?
これでは児童虐待もいいところですよ。
「あの、アレクセイ兄さん、つまりどういうことでしょうか?」
「領地をやるからそこで暮らすといい。お前なら領主としてやっていけるだろう」
家令のセバスチャンを見たけど華麗に視線を逸らされてしまった。
家令だけに華麗……。
つまらないダジャレがいつもより身に堪える十二歳の秋……。
まさかいきなり家を追い出されるとは予想もしていなかった。
でも、小さな僕に味方してくれる人はいないようだ。
伯爵を継いだ兄には逆らえないもんね。
可哀そうだと思っていても、みんな職を失いたくないのだろう。
僕だって兄には逆らえない。
長い物には巻かれろ、ということわざもあるくらいだ。
あれ、そんなのあったっけ?
どこか別の世界のことわざだった気がするけど……。
それはともかく、十二の身空で人生諦めが肝心、と悟るのもどうかと思う。
少しは前向きに未来を考えよう。
なにも裸で放り出されるわけじゃない、領地はもらえるのだから。
「僕の領地というのはどこですか?」
「海辺の島だ。のんびりとした、いいところらしいぞ」
ガンダルシアという小さな島が僕の領地になるらしい。
「その島はどの辺にあるのですか?」
もっと詳しく知りたかったのだけど、話は終わりとばかりにアレクセイ兄さんは手をふった。
子どもでもわかる拒絶のポーズだ。
「すまんが午後の仕事がある。詳しい説明は誰かにしてもらえ。明朝には出発するように」
塩対応・あっさり味・スパイシー風味ですね……。
兄弟の情なんて微塵も感じられないんですけど!
まあ、アレクセイ兄さんにそんなものを期待しても始まらないか……。
こうして僕は書斎から追い出され、翌日には屋敷からさえも追い出されることになってしまった。
ガンダルシア島はお隣のシンプソン領との境界にあった。
つまり領地の端っこで、発展の欠片もないところなのだろう。
ここからだと徒歩で一日くらいの距離である。
はたしてやっていけるのかという不安もあるけど、僕は少しだけ希望も持っている。
だって、ガンダルシアというのはお伽噺にでてくる理想郷と同じ名前なんだよね。
四季折々の花が咲き乱れ、作物は豊かに実り、精霊や人々が助け合いながら幸せに暮らしている、それがガンダルシアだ。
買ってもらった本には、薔薇のアーチ、たわわに実ったブドウやイチジク、楽しそうな住民たちの笑顔が描かれた挿絵がついていた。
僕がもらえるガンダルシアもそんなところならいいなあ。
荷造りを終えた僕はそんな甘い夢を見ながらベッドに入った。
このベッドともお別れか……。
その晩は涙が止まらなくて、夜遅くまで眠ることができなかった。
いっぱいに荷物を詰めたので、小さな旅行鞄は重かった。
生まれたときから住んでいたこの屋敷ともついにお別れだ。
広い玄関に立って、周囲を見回す。
どこもかしこも子どもの頃からの懐かしい思い出に溢れている。
「あの大きなツボ……。昔、かくれんぼに使ったことがあるなあ。あの裏に座っていたら、誰にも見つからなかったんだよね」
「ええ、ええ、そうでございました……」
乳母のメアリーが涙ぐんだ。
ここには五十人以上の人が暮らしているというのに、見送りに来てくれたのは彼女だけだった。
沈みゆく船はネズミにさえ見捨てられる、ということなんだね。
でも、ちょっと
「セディー様、みんなを責めないでくださいね。本当はお見送りに出たいのですが、アレクセイ様に禁じられてしまって」
僕が未練を残すといけないから、というのがアレクセイ兄さんの言い分らしい。
「いいんだよ、メアリー。それより、メアリーは大丈夫なの? 兄さんの言いつけを破って」
「わたくしのことは心配いりません。本当にひどい話。こんな小さなセディー様を放り出すなんて……」
メアリーは声を震わせて顔を両手で覆った。
僕は知っている。
メアリーは兄さんに罰せられるにもかかわらず僕を見送りに来ているのだ。
それなのに僕のことを思って……。
「僕は大丈夫だからもう行って。落ち着いたら手紙を書くからね」
泣き崩れるメアリーを後に残して僕は走り出した。
そうしないと僕が泣いてしまいそうだったのだ。
泣き顔を見せればメアリーはさらに心配してしまうだろう。
幼いころから母代わりになってくれた人の心をこれ以上苦しめるわけにはいかなかった。
しばらく走ってから振り返ると、屋敷はだいぶ遠くなっていた。
もうメアリーの姿も見えない。
呆然と立っていると、一台の荷馬車が僕の横で停車した。
声をかけてきたのは意外にも次兄のポール兄さんだった。
「乗れ。俺も自分の領地へいくから、ついでに送ってやる」
捨てる神あれば拾う神あり、ってやつかな?
ポール兄さんはぶっきらぼうな態度だったけど、重い荷物を抱えた僕にはありがたい言葉だった。
これまではあまり接点のないポール兄さんだったけど、僕と鞄を引き上げる手は力強く、なんだか安心できる気がした。
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