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2024年4月21日 12:25
「解釈」の多様性という点では、日本の学校教育で「古典的名作」の画一的解釈を「押し付ける」かのような「アクティブ・ラーニング」の実践例を見聞きして、「何となく違和感」を覚える今日このごろです。自分が書いたエッセイを読み返してみても、毎回感じ方が違ってくるのですから、小説くらい、みんな自由に読んだらいいのになぁ、と思います。
作者からの返信
確かに言われてみると、国語の授業の時に小説を読んで正しい解釈を学ぶのってちょっと変ですよね。各自の解釈を自由に話し合えるアクティブラーニングが理想なのかもしれないですけど、学生の頃の自分が文学作品への独自の解釈を持っていたかと言われると……。なるべく多くの人が本好きになってくれるような国語教育になってほしいですね。
「解釈」の多様性という点では、日本の学校教育で「古典的名作」の画一的解釈を「押し付ける」かのような「アクティブ・ラーニング」の実践例を見聞きして、「何となく違和感」を覚える今日このごろです。
自分が書いたエッセイを読み返してみても、毎回感じ方が違ってくるのですから、小説くらい、みんな自由に読んだらいいのになぁ、と思います。
作者からの返信
確かに言われてみると、国語の授業の時に小説を読んで正しい解釈を学ぶのってちょっと変ですよね。
各自の解釈を自由に話し合えるアクティブラーニングが理想なのかもしれないですけど、学生の頃の自分が文学作品への独自の解釈を持っていたかと言われると……。
なるべく多くの人が本好きになってくれるような国語教育になってほしいですね。