【読書日記】「アクロイド殺し」「僕らは『読み』を間違える」
こんにちは、働くようになってから休日のアウトドア率が逆に上がりました。外出へのハードルが下がったのかもしれない。
読書ペースとしては大体平日5日で一冊。土日で一冊という感じです。週に2冊読めてたらまあ及第点ですかね。
アガサ・クリスティー「アクロイド殺し」
言わずと知れた古典ミステリーの名作。
2024年時点でこそ「なるほど! このパターンで来たか!」という感想を抱いたものの、これを1926年にやってるんだから衝撃でしかない。
古典とはいえ流石にネタバレするのは憚られるので、まだ読んでいない人がいたらぜひ読んで欲しいです。
今読んでも全然見劣りしないクオリティのトリックだと思います。
ちなみに刊行当時は賛否両論だったようで、その気持ちも分かる。今でこそ、一つの手法として定着してるけどこれを始めてやったとなればそりゃね。というか、これを生み出したアガサ・クリスティーやばすぎないか?
ミステリーのトリックは古典から脈々と受け継がれているという点でも、古典ミステリーを読む意味はあると思います。
水鏡月 聖「僕らは『読み』を間違える」
第27回スニーカー大賞の銀賞受賞作品。
こりゃすごい! 面白い!
ミステリーを読んだ後の心地よさ、恋愛ものを読んだ後の甘酸っぱさ、作中描写から感じる作者の文学愛、ライトノベルならではキャラクターの楽しさ。色々な要素が全て矛盾せずに共存する読後感は唯一無二。
ジャンル的には日常の謎ミステリーに近いとは思うけど、とはいえ謎解きは主軸ではなくて、むしろ何でもない日常の人間関係がメイン。
そういう意味では「日常の謎」というより「日常が謎」という表現が正しいのかも。
文学作品への解釈はみんな違ってみんないいよね、だとして、ではリアルにおける人間関係はどうだろうか?
そういう、人によって解釈が異なるという文学作品の特徴と中学高校における人間模様とをリンクさせる着眼点は見事。
人間誰しも生活していると、色々と読み違えることがある。そんなすれ違いをミステリーと捉えると、何気ない日常もまるで小説のようにきらめいて見えるかもしれない。
もちろん、当事者からすればいかんともしがたい悩みなんだろうけどね。
すれ違いが多発する青春はそれ自体がミステリーとしての側面を有している。という観点に気づかせてくれた。
あとがき曰く、作者さんはミステリーとして意識していたわけではないらしいけど、私はむしろミステリーというジャンルの在り方を考える意欲作ですらあると感じた。
現実に存在する謎は解かれるために生まれるわけではないし、都合よく名探偵が真相を解明してくれるわけでもない。
作中で登場する文学作品等が名探偵的なポジションとも捉えられるが、前述した通り作品への解釈は人それぞれという点が、事態をカオスな方向へと導いてしまう。
結果として、本当はミステリーじゃないはずなのに謎が謎を呼ぶ(当人から見れば)混迷極まるミステリーと化してしまう。
そして、この内容の小説に付けられたタイトルが「僕らは『読み』を間違える」。あまりにも完璧すぎる。
一体続編はどうなってしまうのか……。
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