第4話

さて、これからどうしよう。行く当ても特になかった。とりあえず、顔を隠すものは必要だと思った。

駅前のドン・キホーテで、伊達眼鏡と帽子を買った。変装と言えるほど大したものではないが、少なくともちらっと顔が見えただけでばれてしまうのは避けたかった。幸い、店員さんはまだニュースを見ていないようだった。

できるだけ町中を避けて、ひとまず雨風がしのげる場所を探そうと歩き回っていると、山道を見つけた。

もう足も限界を感じていたが、森の中なら多少は木々が雨を遮ってくれるかもしれないと考え、息を切らし、ふらふらになりながらも道を登って行った。

この時の記憶はほとんどない。登っているのか、降っているのかもよく分からないまま歩き続けていると、気付けば山小屋の前にいた。

近づけば近づくほど、見るからに古い山小屋はしばらく使われていなさそうで、中には人影もなかった。

「良かった…。とりあえず、今日は、ここで……」

思考がまとまる前に、僕は倒れるように眠りについた。


次の日から僕は、やりたいことリストを全てやりきるための旅に出た。

やりたいことをやるためには、全て他の人に会わなければならなかった。現代社会では、一人でできること、他の人がいない場所に行くことはあまりにも難しかった。

眼鏡をかけ、帽子を深くかぶり、恐る恐る山を降りた。来た時は気づかなかったが、山小屋から街まではそう遠くはなかった。

街へ着いたちょうどその時、持ってきた母のスマホが鳴った。おじさんからだった。

勝手に出ていった僕を心配してくれているのか、怒っているのか。手紙は読んでくれただろうか。電話に出て、心配しないでと一言伝えたほうが良いだろうか。

色々考え、心が痛んだけれど、電話には出なかった。通話履歴を残すこと自体、おじさんとおばさんに不利になってしまうのではないかと思ったからだ。

「ごめんなさい…。」

1人つぶやいたその声は、電波には乗らず、そのまま空に消えていった。


残された時間は短いのだと気持ちを切り替え、まずは『美味しいものをお腹いっぱい食べる』という目的を達成するため、母のスマホで調べたバイキングに来た。予約は偽名で行った。

ちょうどお昼時で人も多かったため、なるべく俯いて歩いた。バイキングでは和洋中様々な料理が並び、どれも美味しそうだった。全種類食べたいと思ったが、種類も豊富だったため、食べたいと思う順にお皿に取り分けた。

一人で席についている人は僕を含めて数名しかいなかったが、皆周りを見るよりも美味しそうな料理に夢中で、こちらを見ている人はいなかった。

一口、また一口と料理を口に運んでいく。美味しい。おばさんの料理も美味しかったが、なんというか、いろんな調味料の味がする。食材もどれも美味しい。ぷりっぷりのエビを使ったエビチリや、しっかりと肉厚を感じるサイコロステーキ。出汁でとろとろになったお豆腐まで、どれも美味しかった。

僕は周りを警戒することも忘れて、食べたことのない料理に夢中になっていた。気付けば、ズボンの紐を緩めてもきついと感じるほど、お腹がいっぱいになっていた。生まれてから今まで、こんなにお腹が出ていたことは一度もなかっただろう。

その足で家電店へ行き、最新のゲーム機とカセットをいくつか買った。お腹がいっぱいでもう歩けなかったこともあり、そのまま山小屋へと戻った。

二つ目のやりたいこと、『ゲームをする』

その目的のためにゲーム機を買ってきたはいいものの、山小屋に電気なんて通っていないことを失念していた。

最新のゲーム機に電池を入れるところなんてない。人生で初めてゲームができるぞ、と心躍らせながら帰ってきた僕は、その事実に気づき落胆した。

早速次の日の早朝に、マクドナルドに入って充電させてもらった。やっと画面が明るくなり、我慢できずにそのままそこでゲームをした。最初は慣れなくて難しかったが、徐々に操作も分かってきてすごく楽しかった。こんなにあっという間に時間が過ぎることがあるのかと驚くくらいだった。気づけばお昼になっていた。

そのまま追加注文をしてお昼ご飯を済ませ、その足で映画館へと向かった。『映画館で映画を見る』という目標を達成するためだ。

映画館に着いてまず困ったことは、どの映画が見たいか決められない事、チケットの買い方が分からない事だった。そもそも娯楽というものに興味も関心も、触れる機会もなかったものだから、自分が何に興味があって、どんな映画が見たいかなどが分からなかった。アクション映画や感動するストーリー、恋愛モノなど。せっかく見るのなら面白いものがいい。映画館は大迫力であるだろうから、アクション映画にしよう。そんな理由で見る映画を決めた。次に、チケットの買い方が分からなかった。なにやらパネルの前にみんなが並んでいるから、それに従って僕も並んでみた。パネルの前に着くと、チケットの購入画面が表示されていた。先ほど見ようと決めた映画の、ちょうどいい時間帯のボタンを指で押し、表示に従っておそるおそる指を動かしていると、座席の指定画面へと切り替わった。初めて映画館に来たのだから、どの席が一番良いとか、どの席は見えづらいとか、全く分からないのである。適当に真ん中らへんの席を選んだ。端よりは無難だろうと考えて。

上映時間まで少し時間があったのでトイレを済ませ、適当に飲み物とポップコーンを買って中へ入った。

映画の内容はネタバレ防止のため伏せるが、ものすごく面白かった!テレビやスマートフォンで見るのと全然違う。大画面で、大きな音で、まるで映画の中の空間に自分も立っているような、そんな感覚になった。

映画の内容に満足し、適当に夕ご飯を買ってまた小屋に帰った。


この2日間、街へ出て思ったことがある。

この世の中では、どれだけの人がニュースを見て、どれだけの人が他の人の顔を見て生活しているのだろう。

皆自分と、自分の知っている人のことしか見えておらず、僕のことをまじまじと眺める人なんて一人もいなかった。なんだか怯えていたのが馬鹿らしく思えてきた。

思えば自分も、クラスメイトの顔やバイト先の人ですら、ぼんやりとしか思い出すことができない。みんなそんなもんなのだ。自分の生活で手いっぱいで、ちらと見たニュースの内容や知らない人の顔・名前など、一瞬のうちに消え去ってしまう。

そう考えた後は、警官だけ意識を払えば良く、やりたいことをどんどんこなしていけるようになった。

水族館にも遊園地にも行った。遊園地で一人はさすがに目立つだろうかと思いきや、周りの人たちは楽しむことに夢中だった。


他県にも行った。観光地や、郷土料理を食べ、いろんな景色や地名を見た。今まで生きてきた世界が、どれだけ狭かったか思い知らされる。あの狭い箱の中で生活が成り立っていて、そこ以外に何があるかなんて、想像すらしたことが無かった。箱から出られる日が来るなんて思っていなかった。

少し海外にも興味がわいた。きっと日本でこんなに広いのだから、世界はもっと広いんだろう。いろんな場所、いろんな人がいるんだろう。感じるものがたくさんあるんだろう。

でも、その希望はすぐに捨てた。探されて、いずれ捕まる身だし、ましてや海外に行く資金なんて一切ない。働いて稼ぐにしても、いくら皆が人のことを気にしていないとはいえ、職場となるとデータが残ってしまう。逮捕が早まるだけだ。


やりたいことが一通り終わり、残り2つとなった。

・おじさん、おばさんに恩返しする。←どうやって?

・父さんに会う。

それからはご飯を買いに行くだけで、特に出かけたりもせず、小さな小屋の中で考え続けていた。

最後の目標は、叶うことはほとんどないだろうと思っていた。半ば諦めつつも、何故か書いてしまったものだ。

おじさん、おばさんへは本当にお世話になったし、今もたくさん心配してくれているだろう。守ると言ってくれたのに、行先も告げずに出てきたことは、この数日間ずっと気になっていた。

どうにか無事であることも伝えつつ、恩返しをしたい。しかし、姿を現すわけにはいかない。きっとまた守ろうとしてくれるだろうから。これ以上迷惑はかけたくない。

ノートにいくつも案を書き出した。恩返しには足りないもの、実現があまりにも難しいものも含め、思いついたものをとりあえず書き出した。

そうやって書いては消し、考えては書いた。あまりにも受けた恩が大きすぎる。それに対し、自分ができることの少なさたるや。なんともやりきれない思いで毎晩眠りについた。


あまりにも煮え切らなくなってきたため、気分転換に街を歩くことにした。もしかしたらいいアイデアが思い浮かぶかもしれない。

おじさんとおばさんのことを考えながら、いろんなショッピングモールを見たり、街並みを眺めた。どうやったら恩返しができるだろう。何をしたら喜んでもらえるだろう。

そしてふと、ある案が思い浮かんだ。だが、それをどうやって実現しよう。

帰ってペンを持ち、構想を練ろうと考えた。これが実現出来たら、少なくとも僕にとっては満足のいく恩返しになる。


いつものように小屋に戻ると、何かがおかしい。いつもは静まり返っていて、葉がこすれ合う音や鳥のさえずりしか聞こえないのに、それとは違う音が聞こえてくる。

誰か、いる………?

もしかして、警察?どうやってここを突き止めたんだ…?誰かが、僕がここに帰っていくのを見て通報したのだろうか。いや、それだとしたらもっと大勢だったり、周りを取り囲んでいても良いはず…。

では、野生の生き物だろうか?それであったとしたら、過ぎ去るのを待てばいずれ出ていくだろうか。大きい生き物でなければ、中に入っていけば追い出せるだろうか。

いろんな考えがぐるぐる巡ったが、どうしても警察という選択肢がぬぐえない以上、迂闊に顔を出すことはできなかった。

そのまましばらく---何時間待っただろうか。一向に中にいる何かは出てこようとしない。

それどころか、あろうことか、いびきが聞こえ始めてきた。

そのおかげで、警察という選択肢は頭の中から消えた。警察が、犯人捜しの途中に居眠りなんか始めるだろうか。しかもいびきをかくほど深く眠ることなんて絶対にないだろう。

僕は念のため護身用に近くの木の棒を拾い上げ、そっと中を覗き込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る