第48話
×××
除霜運転に入り部屋を暖めることをやめてしまったエアコンの代わりに、ベッドの下にしまってあった小型電気ストーブを取り出した。風呂や洗濯を済ませ、そろそろ眠ろうかと、雪葉は最後にカーテンを寄せて窓を覗いた。雪がまだ降っていた。それでも明日にはきっと、すべてが跡形もなく消えてしまうのだろう。
カーテンを閉じたところで玄関チャイムの音がした。驚きつつも、昨日の夜の来訪と重ねつつ、覗き穴を確認する。予想は的中し、外に立っていたのは昊だった。雪葉はチェーンをかけたまま、扉を少しだけ開けた。
「こんばんば。夜遅くに、すみません」
訪問営業の巡回よりずっとぎこちない笑顔で、昊は警戒する雪葉の視線を受けた。
「昨日のこと、ちゃんと、謝りたくてさ。……お願いですから、このチェーンを解いていただけませんでしょうか」
雪葉は一旦扉を閉め、無言でチェーンを外した。玄関に入ってきた昊と、二メートルほど距離をとったまま向き合う。昊からは、雪の冷たい匂いがした。
「ゆっくり話したいから、部屋上がってもいいかな。……今日はほんと、何もしないので」
雪葉は小さく頷き、部屋へ戻った。昊がついてきて、コートや手袋を脱いでいく。思わず訊いた。
「電車……大丈夫でしたか? もしかして、歩いてきたんですか?」
昊の鼻や頬が真っ赤になっていたため気になった。昊は苦笑する。
「俺なんかを心配してくれるの?」
返答に詰まる。昊は「あー、あったけー」と言いながら、床の上に正座した。雪葉はまだ立っていたため、自然と見下ろす体となる。昊はそのまま手を前に出し、土下座をした。
「昨晩は、大変申し訳ございませんでした」
しばらくしてから顔を上げ、真剣な面立ちのまま語り出す。
「それで、実はもう一つ謝りたい件があって……。ずっと、正直に言わなくちゃって思ってたんだけど……俺、本当は、付き合った恋人の数、三人じゃないんだ」
真剣に何を言い出すのかと思えばと、雪葉は肩透かしを食らってしまった。
「三人程度じゃない。その十倍はいると思う。……ごめん。引くよな」
「そんなことは、予想がついていましたが」
「え! そうなの!?」
昊は素で驚いていた。雪葉は緊迫した気持ちが飛び立っていくのを感じながら、ゆっくりと床に座った。昊の正面で、同じように正座する。昊は話を続けた。
「俺さ……恋人と長く付き合うのが、苦手なんだ。ただ一人を好きになって、信頼して、とか、そういうのが。本当かよって思う気持ちが、どこかに必ずあって。そんな感じだから、いつも長続きしなくて。だんだん、どうせすぐ別れるだろうなっていい加減になってきて……。そのせいで痛い思いしたこともあるんだけど、それすらどこか他人事っていうか。――とにかく、苦手なんだ。そんな、結構どうしようもない奴なのに、雪葉はさ。俺のこと美化して褒めてくるし、毎日料理作って尽くしてくれるし、俺のことを全部信頼してくれてて……それがちょっと、実は俺には重かった。だから俺らは、付き合うには合わないんじゃないかって思って、別れたんだ」
雪葉は昊の言葉を
「合わないって……そういうことですか」
昊は目をぱちくりとさせた。
「何か、違うことだと思った?」
雪葉は気にしなくていいと首を左右に振った。それから質問した。
「八月でPMを降ろされたって、この間知りました。別れたことは、それも関係してますか?」
「ああ……うん。それがきっかけには、なったかな。雪葉は、俺には合わないってずっと思ってたけど、でも、まじめに恋愛してみるのも悪くないって気持ちも確かにあったんだ。でもPM降ろされて、まじめに恋愛してるのが、面倒になったというか……。それでもう、雪葉のことはもういいって気持ちだった。でも、雪葉が陣之内と寝たって知ったら――しかも、付き合ってんのかもわかんないくらい、すぐに。それを想像したら、すっげー身勝手だけど、頭に血が上って。それで昨日はつい……感情的に……」
また謝罪をするように、徐々に昊の頭は下がっていく。もちろん雪葉はきょとんとしていた。
「陣之内さんとは、私、何もありませんが……交際の申し込みも、お断りしましたし……」
昊が情けなく下がっていた頭を上げた。
「え? だってあいつ、雪葉の腰のほくろのこと、俺に言ってきて……」
「…………ええっ!?」
雪葉は帰り道での陣之内の話の真意をようやく理解した。昊にも説明する。昊は、全身からゆるゆると力を抜いた。
「な、なんだそれ……。あいつ……」
誤解があったようだ。昊側だけでなく雪葉も、別れた原因を誤解していた。二人とも、すっかり気が抜けて肩を下げた。昊は改めて雪葉を見つめ直し、告げた。
「いろいろ遠回りしたけど……俺、自分で思ってた以上に、雪葉のことが好きみたい」
雪葉は頬を膨らませたい気分だった。何だそれは、と思う。
「そうだとして、昊くんは、どうしたいんですか?」
「雪葉と、寄りを、戻したいです。俺から振っておいて、かなり勝手なんだけど」
不満はあった。怒りたい気持ちもあった。でも、一番素直な気持ちを大切にしようと、雪葉は思った。
「……昊くんと、一旦離れて……私も、良かったなって思うことは、あったんです。冷静になれたと言いますか……。私、初めて恋人ができて、浮かれていたところがありました。やらなければならないことを、少し
二人で大真面目に見つめ合った。大の大人の仲直りも、小学生の仲直りと同じなのだろうか。
「もう、ひどいことしないって、約束してくれますか?」
昊は大きく頷いた。
「うん。約束する。誓います」
「じゃあ――」
雪葉はぺこりと頭を下げた。
「また、よろしくお願いします」
顔を上げ、ほほえむ。昊は感極まったように目を潤ませた。
「うん……!」
昊に抱き締められて、唇を重ねた。昊はすぐに解放してくれず、キスを深めようとしたので、雪葉は胸を押して拒否した。
「今日は、これ以上はだめ! 明日の仕事に響くので、帰ってください。……昨日だって、あんまり眠れなかったし」
「…………はい」
昊は渋面だったが、反抗はしなかった。玄関を出る直前に、しかしまた抱き締められる。
「昊くんっ!」
引き剥がそうとしたが、昊は力を緩めない。耳元で声がした。
「ずっと……本当にごめんな、雪葉」
思わず視界が滲んだ。簡単に忘れられはしないと、反射的に返そうとした。すごく傷ついたと責めたかった。けれど昊の声が震えていたから、雪葉は何も言わず、抱き締め返した。
×××
ノヴァソリューションの本社ビルの屋上は、誰でも自由に出入りできるようになっている。だが掃除は滅多にされず、特に冬は風も冷たいので、利用者はほとんどいない。
三月に入ったとは言え、曇り空の下でコートなしでは寒さが染みる。呼び出された昊は、吹きすさぶ風に肩をすぼめながら、呼び出した主がいる手すり際まで歩いていった。
「お疲れさまです」
声をかけると、久我は携帯灰皿に煙草を突っ込みながら振り向いた。
「おう、お疲れ」
少し話があると、屋上へ呼び出された。何の話だろうと思いながら、昊は仕入れたばかりの情報を口にした。
「四月から、課長に昇任するらしいっすね。おめでとうございます」
「なんで知ってんの? まだ辞令発表前のはずだけど」
「人事部の人たちが、廊下で話してて」
「おい。それってセキュリティ問題じゃない?」
おふざけを流しながら、昊はまた吹いた風に、早く屋上から撤退したくなる。話を切り出した。
「で。何ですか? 話って」
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