第42話

 エレベーターを待ちながら、『今日は、あと誰が来るんですか?』と陣之内に問おうとした時、小休憩から戻ってきた沖と行き会った。


「あ、おつかれー。二人とも、帰るとこ?」


 陣之内が「ああ」と返す。


「俺も帰ろっかなぁ。金曜だし、三人で飲みにでも行く?」

「いや。これから二人で食事に行く約束してるから」

「え」


 沖の声に合わせて、雪葉も声を上げるところだった。陣之内の横顔を凝視する。『一緒に食事に行きませんか』とは、二人でという意味だったのか。


 じっくり観察すれば、陣之内はやや緊張していた。ネクタイの色も、いつもより派手な柄つきの深紅だ。沖は驚きのまま、ぎこちない笑顔を浮かべる。


「あ、ああー、そっか! た、楽しんでねぇー!」


 陣之内は頷いた。二人でエレベーターに乗りながら、雪葉は混乱と衝撃で体温を急上昇させていた。つまり、気づかないうちにデートに誘われ、それを受けていたということだ。いまさら帰りますとは言えない。


 そもそも陣之内は、何故雪葉と二人で食事をしようと思ったのだろうか。陣之内の目的は何だろう。まさか好意を寄せられているのかと、自惚れた考えが頭をよぎった。だが別段美人でもなく、性格も地味で冴えない雪葉だ。特技もなければ、年収だって恐らく陣之内の半分もない。もっと器量良しの女性を選ぶのが普通だろう。


 つまり理由として最もあり得そうなのは、何かしらの金銭がらみの勧誘だ。陣之内のぽつりぽつりとした語りかけに合わせ、雪葉はどうにか笑みを返しながら、陽の落ちた街路を駅へと向かった。


   ×××


 雪葉と陣之内がフロアから出て行くのを視界の端にとらえながら、昊は頬杖をついて工数管理ツールを操作していた。


 進捗はまずまずだ。メンバーの進捗確認は、聞きすぎるとプレッシャーになるが、放っておき過ぎても問題だ。実情まったく進んでおらず、取り返しのつかない状況に陥ることがある。だいたいは、毎日夕方に進捗報告メールを流してもらう。遅れ気味なら進んでいるメンバーへも割り振る。問題に詰まったら、悩む時間は二時間までなどとあらかじめ決め、とにかく周りにやり方を訊くよう促す。チームワークが大事だ。


 昊はマウスを緩慢に動かしツールのボタンを押下おうかしていった。一週間分の疲労感と、明日が休みだという解放感を同時に感じる。するとフロアの入り口から、沖が駆け足気味で昊のデスクへやってきた。昊は頬杖をついたまま、デスクに両手の平をついた沖に目線だけを向ける。


「ちょ、ちょ、ちょ……」

「……チョコ?」


 デスクの隅に、個包装のチョコレート菓子を置いていた。欲しいのかと思ったが、沖は大きく首を左右に振る。


「ちょっと! 大事件だよ! 陣之内と元村さんが、いまから二人で食事に行くって!」


 声は抑えてあったが、仰天具合は十二分に伝わった。昊は手から顎をずり落としていた。すぐに平静を装う。


「へぇー。ふーん。いいんじゃない?」


 画面に目線を戻しつつ、開いているウィンドウを閉じていく。二人で食事という情報から、様々なことを想像した。自分の想像力が意外とあることに気づく。手が勝手に、パソコンをシャットダウンしていた。コートを着て、鞄を持ち上げる。


「すみません。お先失礼します」


 残るメンバーに向け言い、フロアを出た。エレベーターに乗ろうとしたところで、沖が鞄やコート類を抱え、慌てて追ってきた。二人を乗せたエレベーターの扉が閉じて、下降していく。


「もしかして、追いかけるの?」

「……まさか」


 ビルを出て、駅へと急ぎ歩く。沖が「さむいっ」とマフラーに顎をうずめた。駅へ繋がる上り階段に、雪葉と陣之内の姿を認める。沖が呟いた。


「あ、いた」


 昊たちは改札をくぐり、雪葉たちが乗った電車の隣の車両に乗った。雪葉と陣之内は会話をしながら、途中の駅で乗り換えた。昊たちも乗り換える。


「やっぱ尾行してるじゃん」

「うるさいな。お前は別に、一緒に来なくていいんだけど?」

「こういうの、探偵みたいでわくわくするね」


 雪葉や陣之内からすれば、迷惑でしかないだろう。少し様子を見るだけだと、昊は自分に言い聞かせる。


 雪葉たちが向かったのは、ブランド店のビルが立ち並ぶ都内一等地にある、二十四階建てのホテルだった。夜空を背に輝く高層ホテルを、昊は呆然と見上げる。


「ホテル……」

「いやいや。きっと、中に入ってるレストランとかでしょ」

「……だよな」


 男二人で煌びやかなエントランスに入ると、天井に下がるまばゆいシャンデリアとピアノの生演奏に出迎えられた。雪葉と陣之内は、ホテルの受付は素通りし、飴色のエレベーターに乗り込む。やはり宿泊目的ではないらしい。昊たちも、次に来たエレベーターに乗り込んだ。


 十七階にフランス料理店が入っていた。エレベーターから降りると、予想通り雪葉たちの姿があった。彼らは入り口で受付を済ませ、白いクロスが掛かるテーブルが並んだ店内へ入る。


 昊は、全身から力が抜ける思いだった。


「いきなりこんな高級店に女連れてくるとか、あいつはあほか。プロポーズでもする気かぁー?」

「どうするの? できることはもうないし、帰る?」

「……いや。中に入ろう」

「はあ? まじ?」


 昊は受付に近づいた。


「あの、予約はしてないんですけど、食事をしていきたくて。席に空きありますか?」


 店員は心から申し訳なさそうに眉を八の字にした。


「申し訳ございません。ご予約のお客さま以外は、お断りしておりまして」


 昊は、隣に立つ沖の手をがっちりと両手で包んだ。沖が「へっ?」とおかしな声を出す。


「今夜は、僕らの運命の出会いから、ちょうど一年記念のすごく特別な夜なんです! どうか、お願いします……!」


 沖が戸惑いの末、話に合わせて手を握り返す。店員は瞬きをした後、「少々お待ちください」と慇懃いんぎんに一礼し奥へ引っ込んだ。「お、お前ーっ」と沖が恨み言を連ねようとしたところで、店員が戻ってくる。


「そのようなご事情なのでしたら、特別に、と支配人から許可をいただきました。どうぞお入りくださいませ。お席へご案内いたします」



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