第41話

 今日の午後は昊がいないのかと思いながら、黙々とソースコードを打ち込んでいく。本格的に開始した製造スケジュールが遅れないようにしなければならない。


 キーボードを鳴らすたび、画面の行は着々と増えていく。日本語でのコメント表記も忘れない。ソースコードをわざわざ読み解くよりも、日本語で『データベースから商品名取得』などと記されていたほうが、みな確認が早く楽だからだ。


 打ち込みながら、上戸と二人、どんな話をするのだろうと考えた。客先までの道中、電車で移動する時間もそれなりにあるはずだ。彼らは仕事で行くわけで、嫉妬をするのもおかしな話だ。さらに雪葉は、昊の恋人でもない。


『合わないと思うんだよね、俺ら』


 指が一瞬止まった。すぐにまたキーボードを叩き出す。切り替えないといけないのに、感情は思い通りにならない。とことん面倒なものだ。


 作業がひと区切りついたところで、陣之内に声をかけた。


「陣之内さん。メールでも送りましたが、履歴一覧取得機能の製造、終わりました。ほかに手伝えることありますか?」

「えっと……そう、ですね。じゃあ――」


 陣之内から新しい仕事をもらう。陣之内は仕事を振りながら確認した。


「大丈夫ですか? 作業量、多くないですか?」

「平気です。いまは、がんばりたい気分で」


 雪葉が明るく返すと、陣之内は「そうですか」と微笑した。雪葉はまた画面に向かい、キーボードの操作を再開した。


 それでもきっと、どんなに仕事を頑張ったところで、雪葉が昊と一緒に客先に行けることはない。ノヴァソリューションの社員ではないのだから、上戸の立場にはなれない。


 昼休憩時、昊と上戸が親しげに話しながらフロアを出て行った。外で一緒に昼食をとってから客先へ向かうらしい。彼らの姿を視界の端で捉えながら、気分が沈んでいくのを自覚する。溜め息を呑み込み、雪葉はいつも通り弁当をデスクに広げた。


「元村さん」


 今日も弁当の陣之内に、声をかけられる。


「あの……。今度、一緒に食事に行きませんか?」

「あ、いいですねぇ」


 雪葉は笑顔で頷いた。忘年会の後の打ち上げは、昊や久我がいるというイレギュラーはあったが楽しい時間だった。来るのはほかに、沖や、先月まで一緒に働いていた新人メンバーたちだろうか。


「楽しみにしてます」


 陣之内は、几帳面な性格ゆえか、昼休憩中でも背筋を伸ばしたまま続けた。


「じゃあ、日取りを決めたらご連絡します」

「はい。よろしくお願いします」


 雪葉はほほえんだ。その後も、二人でたわいない話をした。


   ×××


「――ついてくの、俺でいいんですか」


 電車に乗り込み、並んで吊革に掴まりながら、昊は訊いた。


「ずっと、瀬尾さんと打ち合わせ行ってましたよね」


 外と違い、電車の中は暖房が効いている。コートやダウンジャケットを着たままだと暑いくらいだ。


 真昼のため、乗車客は少ない。朝にこれくらい空いていると嬉しいものだ。


「そうだね。瀬尾さんには、ずっとサポートしてきてもらったけど……でも、私ももう慣れてきたから。それに、クライアントはみなさん、おばさま方だから。若いイケメンのほうが楽しいかも」

「……はぁ」

「それに――」


 曖昧な返事をする昊に、上戸は恥じらうように続けた。


「私も、伊桜くんと一緒なら、楽しいし」


 意味を勘繰ってしまう呟きに、反応に窮する。すると上戸は瞳を輝かせ、昊を見上げた。同時に崇拝するように両手の指を組む。


「伊桜くん……――私がいまハマってるアイドルグループの、センターの男の子に似てるのーっ!」


 昊は瞬きをした後、「そうですか」と脱力した。要は、客との折衝を学ぶ機会を与えてくれているのだろう。上戸は組んでいた指を解くと、不貞腐ふてくされたように唇を尖らせた。


「って言うと、いい歳して結婚もせず、アイドル追い駆け回してーって、言われるんだけどねぇ」

「それは別に、いいんじゃないですか」


 がくりと首を落とす上戸へ、昊は励ましというわけではなく本心を告げる。


「人生一度切りなんだから、好きに生きるのが一番だと思いますよ。結婚したって幸せになれるとは限らないし、半分以上は、世間体とか将来の不安とか気にして、結婚してるだけなんじゃないかなって、俺は思いますけど」


 上戸は昊を注意深く窺うようにした。


「……伊桜くんって、顔も良いのに、性格も良いよね」

「……いまの発言に、性格良い要素あります?」


 斜に構えた見方だと、自分でも思っている。


「ねぇ。今度二人で飲みに行こうよ」


 微妙な誘いだった。ただの勢いで、深い意味はないのか。それとも下心があるのか。


 どちらにせよ、男女の二人飲みはかなり危うい橋だというのが昊の持論だ。一本間違えば踏み外す。


「すみません。行きません」

「ええー! つれないなーっ」


 上戸は明るく悔しがり、話題を別のものに移した。


 株式会社春野パークのオフィスは、複合ビルの一フロアを貸し切ったものだった。エントランスには巨大な装花があり、昊たちはその色彩美に出迎えられる。打ち合わせ相手は春野パークの女性役員たちだ。婦人たちの抽象的な注文に合わせ、システムに組み込める具体案を昊たち側から提示していく。


 仕事の話がいち段落したところで、今度は婦人たちの止まらないお喋りが始まった。金曜日だということで、そのまま全員で飲みに行くことになる。「二枚目ねぇ」「彼女いるの?」「ちょっとぉ、ハーレムなんじゃない?」「きゃーっ」と、重役の婦人たちは実にきゃぴきゃぴとしていた。


 だが会話の端々には勉強になる話もあり、昊は気もよく遣ってもらいながら、そこそこ楽しく時を過ごした。自社の上司たちの聞き飽きた武勇伝だらけの飲み会よりは、余程有意義だ。


 十時頃帰路についた。部屋に入ってすぐ、昊はコートと背広を脱ぎ捨てベッドに飛び込んだ。ようやく、一週間が終わった。


「……疲れた……」


 静かな部屋だ。雪葉と別れてからは、部屋へはたまに沖が来るくらいだ。


 雪葉と、寄りを戻す。だが雪葉は、まだ自分を好いてくれているだろうか。それにたとえまだ好きでいてくれていても、復縁を拒否される可能性だってある。


 考えているうちに、昊は眠りについていた。


   ×××


 二月に入り、雪葉が陣之内に誘われた食事の日が訪れた。店の予約は夜七時半、場所は会社から電車で二十分ほどだ。一時間ほど残業している間に、金曜日なこともあってかフロアの半分の人が帰っていく。七時前に、陣之内がパソコンの電源を落とした。


「元村さん、そろそろ行きませんか」

「そうですね」


 雪葉も作業に区切りをつけた。鞄を持つ。フロアから出る時、昊のデスクの島をさりげなく視界に入れた。昊はまだ残業していた。


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