第40話

 雪葉は昊と同じ案件という事実に心底驚いた。陣之内や沖たちと一緒に、朝に五階から六階の開発フロアに引っ越すと、ダークグレーのスーツをまとう昊がいた。内心激しく動揺しているところへ、上戸からの挨拶と、各チームリーダーの紹介があった。


 昊と一緒のチームだった場合、心穏やかに仕事をする自信がなかった。幸い、雪葉は陣之内のチームに割り振られた。陣之内を含めて八人のチームだ。


「元村さん。今日はお昼、お弁当?」


 昼休憩時、瀬尾のチームである沖が、いつものように陣之内と雪葉に声をかけにきた。昊も一緒にいた。雪葉は持参していた弁当を取り出しながら答えた。


「私、しばらくはお弁当にしようと思ってて。帰省して、ちょっと出費多かったものですから」


 明日は社員食堂のつもりだったがとっさに言った。昊とまた話せるのなら嬉しいが、昊の側は気まずいかもしれない。沖がその辺の機微に気がつかないわけもないので、雪葉と昊が普通に話せるきっかけを作ろうとしてくれたのだろうか。


 沖と昊と陣之内がフロアを出ていってから、雪葉はそっと息を吐き出した。昊の席は、デスクの島を一つ挟んだフロアの奥側にある。雪葉のデスクはフロアの出口側にあり、デスクの向きの関係で、昊の姿は液晶画面の向こうを覗けば常に視界に入れることができる。


 昊の姿を見られることは嬉しい。同時に、そう思う自分を苦くも感じる。あちらは新しい恋人がいるかもしれないのだ。いつかではなくもっと早く未練を断てるよう、失恋本でも買うべきだろうか。考えるが、午後もやはり、仕事をしながら昊の様子を窺ってしまった。


 翌日の昼休憩時、フロアの人が八割方出て行く中、雪葉はまた弁当をデスクの上に置いた。そこへ沖と昊が、陣之内を迎えに来る。すると陣之内は、鞄から弁当を取り出した。


「僕、今日は弁当だから」


 二人に言って、弁当の蓋を開ける。料理本に載っているような、バランスの良いおかずの詰め合わせが現れた。沖が飛びつく。


「え! 何これ! 母ちゃん!?」

「自分で作った」

「まじ!」


 雪葉も思わず弁当を覗いた。素直に感心する。


「わあ……すごいですね」


 陣之内がかすかに照れ臭そうに、「ありがとうございます」と言った。昊と沖が行ってしまった後、控えめな声量で二人で会話をしながら、弁当を食べた。


   ×××


 社員食堂に向かっていた沖は、やや興奮気味に疑問を口にした。


「陣之内、なんでいきなり弁当作ったんだろ。趣味料理です、って、合コンでアピールする予定なのかな」

「沖。今日飲みに付き合って」

「え? うん、いいけど」


 夜八時過ぎ、仕事帰りに二人で小さな居酒屋に入った。昊はカウンター卓に音を立ててビールジョッキを置いた。


「弁当が作れるから、何だって言うんだよ! 俺だって、その気になれば、弁当くらい! ……弁当……くらい……」

「へぇー。陣之内が、元村さんのことをねぇ」


 忘年会の帰りにされた宣戦布告について明かすと、沖は予想通り面白がるだけだった。昊はもう一度酒をあおってから言い放った。


「つーかそもそも、同僚の元カノに手ぇ出そうと思うか? 俺だったら絶対出さないね。めんどくさいことになりそうじゃん。大学の時にもいたわ。ゼミ内で、三角関係になってさぁ。彼女に手を出したとか、どっちから誘ったんだよとか。結局面倒になって、俺ゼミ変えたし」

「お前の話かよ……。まあその辺は、人それぞれでしょ。それだけ女性のほうに魅力があるってことなんだろうし」

「…………そーだな。まじめ同士、お似合いだと思うよ」


 沖は吐息とともに眉尻を下げた。


「んな気になるんなら、寄り戻せばいいじゃん」

「……俺から振っておいて?」

「だからこそでしょ。あっちから言ってくるわけないし」


 雪葉の性格からすると、そうかもしれない。刹那、花火大会のことがフラッシュバックされた。


『私は、たとえ合っていなくても、昊くんと付き合っていたいです』


 浴衣姿の雪葉は、いまにも壊れそうな表情をしていた。昊は意識を、夏から水滴がつく目の前のビールジョッキへ戻す。


「……ひどい振り方してるし、すげえ傷つけたとも思うし……俺の都合で好きに振っておいて、いまさらだろ。雪葉に迫る男がいるから、寄りを戻したいなんて」

「そりゃ勝手だろうけど。でも、恋愛はエゴとエゴのぶつかり合いって、この前クリアしたRPGロールプレイングゲームのヒロインの姉が言ってたよ」

「……なんてタイトルのゲームだよ、それ」


 追加で頼んだ酒をまた飲み干し、カウンター卓に突っ伏した。今日は完全に悪酔いだ。


「エンジニアって、なんで男ばっかなんだろ……」


 雪葉が仕事でほかの男に笑いかけているだけで、はっきり言ってものすごく気に入らない。


「お前……大丈夫?」

「何が」

「いろいろだよ。夏にPM下ろされて以来、ずっと落ちてるだろ。そもそも、元村さんと別れたのだって、それが原因なんだし」


 久我から電話を受けた時から、幾度となく考えた。何がいけなかったのか。たった一つの些細な確認漏れがきっかけで、あんな最悪の幕切れをしたというのか。半年間毎日残業をして、最初のひと月は膨大な量の仕様書を全部頭に叩き込んで、とにかくいろいろ頑張った。初めてのプロジェクトマネージャーで、気合いはじゅうぶんだった。頑張った。頑張ったのに、まるで納得できないことで任を解かれた。お前は失格という烙印らくいんを押された。


「……別に。もう吹っ切れてるよ」


 嘘は見透かされたようで、沖は自分用に注文した小皿を昊の前に差し出した。軽くあぶられた、歯ごたえも味も最高に酒に合う、居酒屋定番メニューだ。


「はら、エイヒレ。食えよ」


 昊は不意に涙腺が緩みそうになり、エイヒレを無理やり口に入れて噛み殺した。


   ×××


 勤怠連絡のメールは、就業開始時刻に毎朝流れてくる。誰がどんな理由で遅刻するか、欠勤するか――理由は体調不良や通院、私事都合など様々だ。確認が容易なよう、内容は件名に簡潔に記される。次々と送られてくるメールの中に、昊の名前を見つけた。


〈【勤怠連絡】上戸、伊桜 本日午後外出 客先から直帰します〉


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