第34話

 社員食堂は、ビルの規模に沿ったこぢんまりとしたものだった。だが雪葉からしたら、自社に食堂があるだけですごいことだ。社員食堂がある企業に就職してみたいものだ。


 数種類の定食の中から食べるものを選択し、盆を手に、空いている席に着く。「いただきまーす」と、沖はカツ丼を、陣之内は月見とろろそばを、雪葉はクリームコロッケ定食を食べ始めた。すべて美味しそうで、非常に迷った。代金はどれも四百円前後と懐に優しい。


 会社によっては、正社員と派遣社員とで定食の設定価格が異なるものだ。例えば、派遣社員が正規価格の六百円だとすれば、正社員は半額の三百円で食べることができ、福利厚生の差を羨ましく感じずにはいられない。ノヴァソリューションは、優しいのか計算が面倒なのかわからないが、統一価格でありがたかった。


 食べながら、互いの開発言語の知識や、これまで関わった案件について確認し合った。その後、世間話に移り、食べ終える頃に、沖が訊いた。


「元村さんって、昊と付き合ってるんだよね?」


 予想外の話題に言葉を忘れていると、沖が説明を加える。


「俺、昊とは中学まで一緒でさ。そんで、陣之内も含めて、俺ら同期なの」

「そう……だったんですか」

「元村さんの写真、見せてもらったことあるから、会った時すぐにわかったよ」

「えっ! 写真ですか!?」


 同期内で写真を回されていたということだろうか。顔から火が出そうになる。俯きがちでいると、陣之内が話に割り込んだ。


「でも、確か、別れたんですよね?」


 顔を上げた雪葉にかぶせ、沖が大きく反応する。


「え!?」

「九月に、向井に誘われた合コン行ったんだけど、その時伊桜と向井が話してたから」

「ええーっ!」


 沖が目と口を大きくしたまま、ぎこちなく雪葉の反応を窺った。雪葉は弱く頷いた。


「えっと……はい」

「あ……そう、だったんだ。ごめん俺……情報古くて」

「いえ……」


 雪葉は、まるで気にしていないふりをして、クリームコロッケの最後の一片を箸で掴んだ。口へと運びながら、しかし心の内では、『九月に合コン』という事実に衝撃を受けていた。雪葉と別れた翌月には、昊は元気に合コンに参加していたということか。


 沖と陣之内が、「それで結果は? 彼女できた?」「……いや」とやりとりをしているのを耳の端でとらえながら、気分はすっかり暗くなる。新しい彼女がもうできて、休みの日はデートをしたり、昊の部屋で仲良く過ごしたりしているのだろうか。


 食事後、盆を片付けながら、雪葉はさりげなく沖に訊いた。


「あの。昊くんって、いまは、社内には……」


 昊の案件のリリース予定日は、今月だったはずだ。もう別の案件に入っている可能性もある。


「社内にはいないよ。客先出てる。場所は――」


 やはり現場は変わっているらしい。だが自社の案件ではない。つまり、社内で会える機会はないということだ。密かに期待していたため落胆する。


 振られた身であり、元の関係に戻れるなどとは思っていない。しかしまだ恋慕を消し去れてはいない。毎夜泣き続けることはもうなくなったが、それでも本心では、会いたいと願ってしまう。


   ×××


 今回の案件は、写真プリント会社のウェブシステムの改修だ。顧客が写真のプリントをウェブから注文し、印刷及び発送状況や注文履歴を確認できるという機能がある。


 改修、つまりはアップデートだ。不具合の修正及び、仕様変更対応で、システム開発には必ずある作業だ。


 すでにシステムが完成しているため簡単かと言えば、決してそんなことはない。設計書等がしっかり修正されていない場合だと、実装と整合性がとれず大変なことになる。また、ソースコードが重複処理だらけだったり、処理が上へ下へと飛ぶまとまりのないコーディングだったりすると、修正は困難を極める。


 一から処理を作り直したほうが早い、なんてこともある。だがそれだとまたテストをすべてし直す必要があり、すると予想外のバグが起きたりと、同じくらい大変な事態になり得る。非常に難しい。


 幸い、ノヴァソリューションは、前回のアップデートまでの設計書を正しく残してくれていた。ソースコードも、優秀なエンジニアが基盤を築いただろう清廉なものだった。これならば修正も容易だ。雪葉は楽観した。


 しかし新人教育のほうが、頭を抱えたくなるほど大変だった。作業の割り当ては陣之内が決めるため、雪葉はそれを受け持った三人に指示しつつ、質問を受けるのだが、彼らは訊きたい時に自分たちの都合で訊いてくる。だから雪葉は作業がはかどっている最中でも、否応なしに中断させられた。自分の担当分が甚だしく進まない。


 しかし今回の依頼は新人教育だ。質問はこちらがひと息ついた時に、とは言いづらい。沖も、新人優先で優しく指導していた。新人に簡単な仕事を振り、改修を主に形作るのは陣之内と沖、雪葉の三人となった。


 それでも、陣之内たちに技術力があり、またやりとりも簡潔でわかりやすかったため、進捗はどうにか遅れずに済みそうだった。


(――ふぅ。ちょっと、休憩)


 作業の合間、休憩気分で行った手洗いから戻る途中、雪葉は廊下に掲示板を見つけた。社内向けの様々な掲示の中の、役職一覧の貼り紙に目が留まる。昊と久我、そして陣之内の名前があった。


 システムソリューション事業部第一システム課の、久我は係長で、昊は主任だった。陣之内は第二システム課の主任だ。プロジェクトを任せられるほどだから、役職があるのは当然かもしれないが、すごいなぁと、雪葉は感心した。


「――それで、過去注文一覧リストを作るには、ループ処理の部品がすでにできているものがあるので、それを使って……注文進行状況の表示についても、動きが似ているこっちのページを参考にできます。それから、データベースから値をとってくる時も、参考になるソースは――」


 一言も聞き逃すまいと、雪葉は陣之内からの指示をじっと聞く。リーダーには二種類の人間がいると、雪葉は思っている。大雑把に指示する人間と、細かく指示する人間だ。後者は女性リーダーに割と多いタイプだが、陣之内は後者のようだ。


 それぞれに良い点がある。言うまでもなく後者は丁寧で、無駄な時間を使わずに済む。品質も一定となる。だが各エンジニアの個性は殺してしまいがちで、後者のリーダーを鬱陶しがるエンジニアもいる。雪葉も、どちらかと言えば自由に任せてもらうほうが好きだ。自分で考えてプログラミングを工夫することができるからだ。だが円滑なプロジェクト成功のため、リーダーに合わせるようにしている。


 各々の技量に任せてしまわない分、陣之内の負担がやはり大きい。陣之内は毎日、誰よりも早く出勤し、最も遅く帰っていた。やや無茶なため、いずれリーダーとして壁に当たる時が来るだろうか。『助けてあげてね』と言っていた久我は、恐らく陣之内にプロジェクトを成功させたという自信を持たせてやりたいはずだ。雪葉は、沖と一緒に応援しようと思った。


 夜八時、フロア全体で見ても、残る人はもう数えるほどだった。照明も半分消えている。新人を早めに帰した後、雪葉は消化し切れなかった自分の作業を進めていた。ようやく終わり、帰ろうと席を立つ。沖は少し前に帰っていた。残りは陣之内だけだが、彼も、雪葉が帰ったらまもなく帰るだろう。


「お先に失礼します」

「……元村さん」


 雪葉は陣之内を振り返った。


「作業量多かったら、相談してください。僕や沖に、分担するので」

「あ、すみません。私、作業遅くて」

「ああ、いえ。そういうことじゃありません。……えっと……」


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