第33話

   ×××


 株式会社ノヴァソリューションの本社ビルは、都の海沿いにあるオフィス街の、駅から徒歩五分のところにあった。ついこの前まで半袖で過ごす人を街で見かけるくらいだったのに、十一月に入り、いきなり長袖にアウターを羽織らなければならないほど寒くなった。近年は、夏の暑さが長引くために、冬への移り変わりが異様に早い。


 駅を出て、駅前の高層ビルが並ぶ通りから離れると、七階建ての黒灰色のビルが見えてきた。屋上付近の外壁に、社名ロゴ入りの大看板が設置されている。


 約束の午前十時、雪葉は受付を済ませエントランスで待っていた。やがてセキュリティゲートから、今年一月に会って以来の久我が現れた。長身で短髪、スポーツマン然としているがスーツは似合う、いつも快活にみなを先導していくリーダーだ。


「おはようございます。お待たせしました、元村さん。お久しぶりです」


 雪葉は背筋に緊張を走らせ、肩にかかる鞄を脇でぎゅっと挟みながら頭を下げた。


「お、おはようございます! お久しぶりですっ」

「今回は、うちの案件を手伝っていただけることになって、どうもありがとうございます」

「いえ、こちらこそ! お声をかけていただきまして――」


 適当なやりとりをしながら、警備員に開けてもらったゲートを通り抜ける。それからエレベーターに乗った。久我は五階のボタンを押す。


「基本的にどこの部屋も、入退室時はカードが必要で。元村さんのも、簡単なセキュリティ研修受けてもらったら、すぐに渡しますね」


 雪葉はデスクが並ぶ開発フロアへ入った。みなパソコンと向き合い作業中だ。久我はそのデスクの島の一つに向かって、「陣之内、沖。元村さん来たからミーティング」と声をかけた。そしてフロア奥にあるミーティング室へ雪葉を案内する。


 ミーティング室には楕円形の白いデスクがあった。促され、席に着く。隣に久我が座り、呼ばれた若い男性二人が対面に座った。眼鏡をかけた生真面目そうな男性と、目元が優しげな柔らかな雰囲気の男性だ。久我が話し始める。


「まずは、今回の案件のメンバー紹介から。僕のほうは、いま外で別の案件二つやってて、基本的にはこっちにあまり関われません。この二人が、プロジェクトの主幹となります。まず、こっちがPMの陣之内」


 生真面目そうな側の男性が、「よろしくお願いします」と会釈をした。


「で、こっちがチームリーダーの沖」


 沖は柔和な笑みを浮かべ、「よろしくお願いします」とほほえんだ。陣之内のほうは見るからに優秀そうで、沖のほうも話しやすそうなため、ひとまず雪葉は安堵する。


「で、元村さんにも、チームリーダーをやって欲しくて」

「……えっ!」


 雪葉は思わず声を上げてしまった。久我が爽やかな笑顔を返す。


「まったく気負う必要ないから。全メンバーは、九人でね。残りの六人は、みんな入社一年目と二年目の子たちばかりで、三、三でチーム組んで、沖と元村さんで面倒見る感じかな。彼らは、元村さんに比べてまだ技術もないし、わかる範囲で質問に答えてくれたらじゅうぶんだから。元村さんもわかんないことだったら、この二人に投げればいいし。気楽に、ね?」


 やさしい状況にしてくれているが、やはりすぐには受け入れられない。当惑したままの雪葉を、久我は笑顔で押し切り、案件内容を説明していく。その後、「残る詳細は陣之内に」とミーティングは終了した。


 雪葉は自分のデスクに案内された。残りの六人のメンバーとも挨拶を交わす。みな、まだ学生の雰囲気が漂う瑞々しい顔つきだ。六名とも男性なので、残念ながらチームに女性は雪葉一人だ。もう一人くらい女性がいると、話し相手にもなり気も楽なのだが、よくあることなので諦める。


 久我は、フロアからいなくなる前に雪葉に声をかけた。


「陣之内、これが初めてのPMなんだ。助けてあげてね」


 久我の背が扉へ消えていく。何とも生命力のある人で、いつもペースに呑まれてしまう。


「――元村さん」


 パソコンの環境設定をしていると、隣の席に座る陣之内が声をかけてきた。


「メール、見られるようになりました?」

「はい」

「いま、設計書とかテーブル定義書とか、主に使用する書類が格納されたディレクトリの一覧送りました。午後の間に、目を通しておいてもらえますか。四時頃からは、三十分ほどセキュリティ研修がありますので、その前後にでも」

「わかりました」


 ディレクトリ、つまりフォルダのことだ。パソコン画面下部に表示された時刻は、十二時を回ろうとしていた。気づけば昼だ。休憩のため、他の社員たちが席を立ち始める。雪葉がフロアから人が出ていく様子を眺めていると、はす向かいの席に着く沖が声をかけてきた。


「元村さん。お昼ご飯ですけど、ここ、デスクで飲食しても大丈夫なので。今日、何か持ってきました?」

「あ、いえ。今日は何も」

「なら、二階の社食とか、ビル出て近所の弁当屋とかコンビニとか、いろいろあるけど……今日は、一緒に社食行きません? まだセキュリティカードなくて、フロアの出入り困るでしょ。カード来るまでは、俺か陣之内が一緒にいないと」


 陣之内が頷く。雪葉を見ながら、互いのデスクの中間を指差した。


「席、隣なので、僕のカード、午後もこの辺に置いときます。使う時、勝手に持ってってください。その……トイレの時とか」

「は、はいっ。ありがとうございます」


 セキュリティカードが手に入るまで、手洗いの際に男性にカードを借りることは、別の現場でも何度かあった。当たり前のことなのだが、やはり心の底で緊張する上、いまは陣之内のほうが雪葉よりも緊張して言ってきたため、余計気になった。


 沖が、「三人で行こう。陣之内も社食だろ?」と声をかける。三人で、社員食堂へ向かうことになった。


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