第30話

「二十代のうちは、やっぱ、いろんな男の人と付き合って経験積まないとって、わたし思ってて」

「いいね。俺、そういう考え方好きだよ」

「ほんと? あ、今度昊くんのおうちに行きたいな。マンションに一人で住んでるんでしょ?」

「だめ。部屋の中、超汚いから」

「気にしないから大丈夫。てか掃除してあげるし」

「無理じゃないかな。トラック三台分くらいごみあるから」

「ええー。嘘だぁー」


 話を終わらせるように、昊はまた彼女を押し倒した。


(そうそう。こんな感じで、いいんだよな)


 ずっと、こうだった。付き合うというのは、やはりこのくらい軽いほうがいい。何を真面目に恋愛する必要がある。恋愛なんてものは、人生におけるただの道楽だ。適当に遊んで、適齢期になったら条件に合う人を選別し結婚して、そんな感じでいい。


 結局、すべて打算だ。恋人も結婚も、就職も仕事も人間関係も、何もかも、感情抜きに条件を計算して選んだほうが失敗も少なく、余程上手く生きられる。場に合わせて上手く嘘をついて誤魔化して、愚直に生きていくよりもずる賢い生き方をしてる奴らのほうが成功している。現に、恐らくなんとなく気に入らないという理由で、昊は平然とマネージャーから外された。ばか正直に頑張ることに、何の意味があるのか。


 いつでもどこでも、常に一歩冷めている自分がいる。他人ひとの言葉はいつも、上辺だけのものな気がする。社会人になってからは、以前にも増してそれを強く意識する。感情が重視されるのは学生のうちだけ、社会に出てしまえば、突き詰めればあるのは損か得か、それだけ。正義も道徳も、社会が体裁的にうたっているだけのものでしかなく、学校で教えられることはすべて建前なのだとようやく気づく。


 賛同も非難も、世の流れで一瞬にして反転する。良識人ぶるのは簡単で、社会の流れに個々の感情を乗せるだけでいい。常識も、そして感情も、所詮その程度のものだ。


 翌朝、女の寝起きが悪かったので、ホテルに置いて勝手に帰った。家に着いてから、メッセージが届いた。画面に、『東条とうじょう凜々花りりか』と表示されている。夜中のうちに連絡先を交換していたことを思い出す。


〈置いて帰っちゃうなんて、ひどすぎー! 何か急用だったんですか?〉


 いつもなら、このまま付き合う流れだった。だが正直、酔いと勢いでしかなかった。昊は丁重に詫びを伝え、お断りすることにした。


〈酔った勢いでした。ごめんなさい。お付き合いの件はなかったことにしてください。〉


 すると電話がかかってきた。無視していると、またメッセージが届いた。


〈最低! 死ね!!〉


 昊はメッセンジャーアプリの友達リストから、彼女の名前をそっと削除した。これで連絡を取ることは不可能になった。一夜限りの思い出として、心の隅に追いやっておこう。彼女も、二十代のうちに様々な経験をしたいと言っていたし、かてになるに違いない。友達に愚痴を言った後、またすぐに次へ向かうだろう。


 そのまま数時間寝直して、昼過ぎにまた起きた。カップ麺を食べた後、だらだらと休日を過ごす。


 プロジェクトマネージャーを降ろされて以来、平日は夜八時には家にいて、土日祝日もゆっくり休めていた。いまなら、雪葉と平日もデートができたし、休みの日ももっと遊んでやれただろう。心の端で、そんな無意味なことを考えた。


 次の日も、客先の開発室でチームリーダーとして無難に仕事をこなした。七時にはビルを出て、夜へ移ろう街の雑踏の中、駅へと歩く。もう九月だが、残暑は厳しい。道行く人たちの恰好も、未だ夏仕様だ。


 恋愛というものが、苦手だ。心を開き、人と心を通わすという行為が、昔から得意じゃない。


 恋愛は一対一で、互いに心を許し信頼を築いていくものだ。心を全開に明かさなければならない時が多く、その努力を怠っている本心が、付き合っていくうちに漏れるのか、いつも長続きしない。長く付き合っていくほどに、相手は心を開くことを強要したがる。だから億劫おっくうになり、やめてしまう。上手くできたらいいとは思うのに、できない。段々と面倒になり、どうでもよくなってくる。


 雪葉のようなタイプと付き合ってみるのも、たまにはいいかなと、軽い気持ちで付き合い始めた。このまま長く付き合うのも悪くないと、マンションの鍵も渡した。


 それでもやはり無理だった。十年近く続けたスタイルから、うまく舵を切り替えられない。真面目に付き合って、心をさらけだすなんてものは、自分には合わない。難し過ぎる。慣れないことを頑張ろうとして、感情のバランスをうまく保てず、その不安定さが仕事のミスを誘発したのだと、くだらないながらも繋げてしまう。だから別れた。身勝手でひどい振り方だったとは、自覚している。


 雪葉は、泣きも責めもしなかった。いっそ喚きながら下駄でも投げてくれたら楽なのに、連絡もすっぱり断ってくれた。マンションの鍵も、三日ほど経った頃に郵便受けに入っていた。最後に見た表情から、傷つけたことはわかるのに、何を考えていたのかまではわからない。相手側の気持ちが残っている場合で、これほど波風立たない別れ方は初めてだ。


 不意に、街角のスピーカーから流れる恋愛ソングが耳に届いた。CDショップの店頭にあるスピーカーだ。


『理屈じゃ~ないから~♪ 感情が~コントロール~できないから~、恋~♪』


 液晶画面も置いてあり、アイドルグループが躍るプロモーションビデオの映像に合わせ、ランキング一位と表示されている。足を止めて歌詞を聞きながら、昊は辟易へきえきとした。


「こんな曲がランキング一位なんて、世も末だな」


   ×××


 十月に入り、そろそろ涼しくなってきたと思ったら、今日はまた昼に三十度を超えた。近頃は、いよいよ秋という季節が失われつつあるのではないかと思う。窓の外、陽の当たる道路を見て、エアコンの効いた室内の職に就けていることに心から感謝し、雪葉は据え置きパソコン画面へ視線を戻す。


 画面の中で、顧客の仕様変更要望に沿い、メニュー画面の不要なボタンを削除していく。ボタンに関連する内部処理のソースコードも、除去する。同様に、メニュー画面に新規ボタンを足して、新たな処理をコーディングする。テスト項目書も、削除したボタンに関する項目は横線で消し、追加となったボタンのテストを書き加える。


 最後に、テスト項目に沿って、実際に動作確認をする。問題なかったため、エビデンスを成果物フォルダへ格納した。これで、今日目標にしていた作業分は終わりだ。


 終業時間まで、まだ二時間あった。メールでチームリーダーに進捗を報告した後、次の指示が来るまで小休憩しようと、化粧室へ立ち上がる。八月から手伝っているのは、小さなビルにふたフロアを借りた、中規模IT企業の案件だ。働くエンジニアの三分の二ほどが正社員で、残り三分の一が雪葉のようなパートナー会社の社員だ。


 女性化粧室は下側のフロアにしかないため、雪葉は階段を下りる。廊下を奥へと進んでいると、途中にあった給湯室にある冷蔵庫から、正社員の男性が冷えた緑茶のペットボトルを取り出していた。給湯室には、冷蔵庫やコーヒーメーカーがあり、正社員の人たちがよく使っている。パートナーの身では、なんとなく使いづらい。確認をとれば拒否はされないだろうが、一時的に働いているよそ者であり、ほかのパートナーたちもやはり使っていない。


 週に一度ある朝礼も、パートナーは、とりあえず後方に立っているだけだ。業務利益なども、現場の会社からボーナスが支払われるわけでもない雪葉たちには、関係がない。社外研修も命じられなければ、その成果発表報告も、朝礼で番が回って来るわけもない。どこまでも、ただのいち派遣扱いだ。


 だからといって、いい加減な仕事はしない。契約があるため、頑張ろうが頑張るまいが報酬は変わらないが、それでもエンジニアの矜持きょうじとして、雑な製品を残すわけにはいかない。


 化粧室を出て仕事に戻ろうとすると、給湯室から、女性二人の話し声が雪葉の耳に届いた。


「元村さん、今月で終わりなんだ。契約継続だと思った」


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