第23話

 大きな海水浴場のため、更衣室やシャワー棟も完備されていた。浮き輪レンタルも行っている。小学生の時、家族で田舎の海へ行った程度の雪葉は、便利なものだと感心した。


 更衣室で一人着替えていると、束の間孤独を感じた。後方で、大学生くらいの女性たちが甲高い声で喋る声が聞こえる。友人同士で海へ来るのも楽しかっただろうなと想像した。大学受験に落ちて以来、誰かと海に来るなんてことは、常にテレビの向こう側の世界の話だった。昊のおかげで、やってみたかったことが一つ実現できた。


 水着選びは非常に迷った。ウェブで調査したところ、恋人に着て欲しい水着の種類第一位は『ノーマルタイプのビキニ』だった。だから雪葉はビキニ水着を購入していた。布地は青で、恥ずかしさから下はせめてはと、短いフリルスカート付きにしてある。


 肩を隠すほどには伸びている髪は、朝から一本に結い上げていた。うなじのところで水着の紐を結ぶ。『初めての海の失敗談』等もしっかり調べたため、練習しておいた泳いでも解けにくい結び方でしっかりと締めた。


 着替えを終え、パーカーを羽織り更衣室を出た。目前を、若い女性が駆けていく。出口で待つ男性に抱きついた。女性はパーカーなど着ず、肌と水着を惜しみなく披露している。


「…………よし」


 雪葉はロッカーへ一旦戻った。思い切ってパーカーも預ける。それから砂浜に出て、昊の姿を探した。太陽が照り返す真夏の砂浜は、午後一番の暑さをみせている。


 昊は、そばのレンタル浮き輪屋を眺めていた。パーカーを着ていて、開いたファスナーから胸板がちらりと見えている。心臓が跳ね上がった。自分が水着になることばかり気にしていたが、二人で海に入るということは、昊の裸も見るということだ。雪葉の頭の温度が、黒髪に集まる太陽熱もあり、急上昇していく。


「……こ、昊くん。お待たせ、しました」


 明るい笑みで振り向いた昊は、しかし一瞬にして表情を硬化させた。直後一秒のうちに、自分のパーカーを脱ぎ雪葉の上半身を包む。昊はパーカーの前側を手で合わせたまま、狼狽ろうばいしていた。


「……なんで、ビキニなの……?」

「え? なんでって……」

「ワンピースタイプだと思ってた。胸も上のほうまで隠れてて、屈んだ時に辛うじて胸が見えるか見えないかくらいだと思ってた。太ももも、おしりが見えないくらい長めのスカートで……」


 雪葉はただ目を瞬く。


「こっちのほうが、かわいいかな……って」

「めちゃくちゃかわいいよ。あとで一緒に写真撮ろう。けどさ、俺は今日は、海で楽しく遊び触れ合いつつ、互いの肌が当たっちゃったりなんかして、『あーやっぱ海はいいなー水着いいなー』とか思いながら、夜に向けて少しずつゲージを貯めていく心づもりでいたの。それがこんな状態で海で手繋いだり抱きついたりしたら、ゲージの振れ幅を調整する準備ができてなくて余裕を持って海で遊ぶ予定が狂うっていうか――俺が言いたいこと、わかる?」

「いえあんまり」

「とにかく。俺の心の準備ができるまでは、しばらくこれ着てて」


 昊は、雪葉がビキニ水着で現れるとは露ほども想像していなかったらしい。けれど可愛いとは言ってもらえた。嬉しい。勇気を出して着て良かったと、雪葉は思った。


 海では大いに遊んだ。はしゃいで叫んで、子どもに戻ったみたいだった。夕方、海水浴場のそばにあるホテルへ向かった。昊が予約をとってくれた。ホテルの部屋は、奥の壁一面が窓になっていた。バルコニーには椅子が設置され、座って海を望めるようになっている。


 部屋を見渡しながらすぐ、雪葉は浴室に目を留めていた。浴室の壁が全面硝子ガラスになっていて、中が丸見えだ。雪葉の固まる表情と視線に、昊が気づく。


「お風呂の壁がガラスなの、気にしてるの?」

「え、えと……はい」


 どうしてこのような恥ずかしい客室を選んだのか困惑した。昊は笑いを噛み殺しながら返す。


「ブラインド下ろせるから大丈夫だよ」


 動作して見せてくれる。当然のように天井にさがっていた。


「この手のホテル、結構あるよ。部屋が広く見えるって効果があるんだったかな」


 雪葉は心底安堵したが、しかしどうせ夜になれば裸を見せるのだ。この程度で過剰に反応するのは、きっと経験のなさからくるもので、雪葉は自分の面倒臭さが嫌になった。


 ホテルのレストランの夕食は、海の幸と地食材を使った御膳料理だった。どこかの要人のように丁寧に飲み物を注いでもらったり、冷えたデザートを運んでもらったりした。美味しく食事を終え、部屋に戻ってから、順に風呂に入った。


 「先にどうぞ」と言われたので、雪葉が先に入った。パジャマもタオルもシャンプーセットも持ってきていたが、備え付けのものがあったため何もいらなかった。ホテルは、修学旅行や受験で安宿に泊まった程度で、代金を払えば至れり尽くせりなのだなと知る。


 備え付けの寝衣もあった。落ち着いた桃色の綿布の生地で、形はバスローブに似ている。新品の下着をつけた後、前がはだけないよう腰の位置でしっかりと寝衣の紐を結んだ。同時に最後の覚悟も決める。


「――上がりました。昊くんも、どうぞ」


 昊はテレビを見て待っていた。ちらりと雪葉を見て、「うん」と頷き浴室へ入っていく。昊がシャワーを浴びる水音が、思いのほかよく聞こえた。雪葉は自分の時も聞こえていたのかと急に恥ずかしくなった。昊がテレビをつけていた理由がわかった。


 濡れた髪に寝衣姿の昊は、色気が溢れ返っていた。いよいよなのかと、雪葉はベッドに腰掛けかちこちになる。昊は平素と変わらぬ態度で、テレビ下にある冷蔵庫を開けた。冷蔵庫内には、ミニバーとして一通りの種類の飲み物が並んでいる。


「酒でも飲まない? 酎ハイなら、味は――梅とレモン、あと桃があるけど」


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