第22話

 雪葉は斜め横になっていたアイスクリームを平らげてから、やや戻った平静さで、逆に昊に尋ねた。


「昊くんは、いろんな方とお付き合いしてそうですよね。デートもその……慣れている感じですし」

「俺!? いや、俺もそんな……雪葉と、あんま変わんないよ。五……三……うん、三人。三人かな。高校、大学、社会人なってからとで、それぞれ一人ずつで、三人。ここ一年近くはいないし――だから似たようなもんだよ」


 三月に、プロジェクトルームで彼女と別れたと話していたが、あの日の昼休みの雪葉は、デスクに並ぶパソコンの存在感に溶け込んでいたらしい。実際の交際人数は二桁は堅そうだ。気を遣い、雪葉に合わせてくれているのだろう。


 最後は定番に観覧車に乗った。罰ゲームの結果は、雪葉が三回苗字で呼んでしまったが、昊が雪葉の交際歴を踏まえ見逃してくれた。


 家に着いたのはすっかり陽が落ちてからだ。別れ際、昊はまたキスをして、マンションへ帰っていった。


   ×××


 七月に入った。駅前で昼食を食べた帰り道、昊は今月中旬の三連休で海へ行きたいと提案した。


「わあっ、いいですね、海! 私、最後に行ったのは、小学生の時です!」

「ええっ? そんな前? ――海なら、車かなぁー。入るよね? 海」

「そうですね。せっかく、行くんですし……」


 返しながら、水着のことを頭の隅で考える。持っていない。それに、昊の前で水着姿になるのか。


「く、車のほうが、着替えとか、海に入った後とかも、楽、ですもんね」

「遠出することになるしなぁ。どうせなら、一泊できたらなー……なんて」


 通り過ぎる街路樹から、セミの鳴き声が聞こえてくる。


 控えめだが、含みがあるに違いない誘いに、雪葉は俯きながら賛同した。


「……そう、ですね」


 降り注ぐ蟬時雨しぐれに、夏が始まったことを深く感じる。木陰に差し掛かっても、揺れる木漏れ日の下で、頬が火照った。


「昊くんと、海で遊んで、泊まってくるなんて……すごくすごく、楽しいと思います」


 三連休に向けて、雪葉は必需品の買い出しに走った。まずは水着を買った。一着も持っていなかったからだ。それから旅行用の洗顔セットに、タオル、寝間着をひと揃え、ついでに新しい外出用の服も買った。そして、下着ショップにも足を向けた。


(一泊旅行なら、夜、そういうこともするよね。……大人、なんだから)


 付き合ってもうすぐ二ヶ月、初めての夜が早すぎるなんてことはないだろう。学生の恋愛ではないのだ。雪葉は数年ぶりに下着を二着新調した。普段買うものより、派手なものを選んだ。


 買い物袋を大量に持ち、汗だくで家に戻る。中身を取り出しタグを切り外しながら、旅行鞄がないことに気づいた。一泊だけだ。大きめの手提げバックでいいと思うが、タンスの奥をあさって出てきたのは、大学受験用に買った旅行鞄だけだった。もう七年は経っているため、どことなく古臭い。経年劣化の痛みも見られる。


「うーん。新しい鞄も欲しいな……」


 チェストを開け、通帳を取り出した。記帳されている数値に、心が寒くなった。


 ただでさえ少ない貯金残高は、ここ二ヶ月ほどで二十万円近く無くなっていた。デートの服、靴、鞄、髪飾り等の装飾品、美容院にも二回は行った。ほぼ持っていなかった化粧道具も、一式揃える必要があった。そして今日、水着に下着にと、とにかく買い物をしまくっている。


 次のアパートの更新料が足りるかどうかすら際どかった。実にまずい。一年かけてようやく貯めた二十万円だ。簡単に使ってしまっていい金額ではない。また貯めるのにも、同じくらいの期間が要る。


 だがだいたい雪葉は、外出用の物を持っていなさ過ぎた。デート中の費用は、昊がすべて出してくれているため、食費は浮いているくらいだ。にも関わらず、この有り様である。


「……新しい鞄も……必要だから」


 眩しく輝いて見える昊に、少しでも近づきたい。つくろえる箇所は、繕いたかった。


   ×××


 旅行の旅立ちに間に合わせたように、都心は梅雨明けを迎えた。空は抜けるような青色一色で、雲一つない。中折れ麦わら帽子にロゴ入りTシャツ姿の昊は、旅行気分満載で車のハンドルを握る。


「いざ海へ、レッツゴーっ!」

「ゴーっ!」

「レンタカーだけどーっ!」


 助手席に座る雪葉は、もう一度挙げようとした拳を引っ込めた。


「レンタカーは、私は別に……」

「そう? 女の子に結構いるけどね。車持ってない男は無理ーって子」

「私からすれば、車を運転できるだけで、すごいです」

「……雪葉といると、俺、褒められるところがたくさんある人間に聞こえるね」


 前方の車を見つめながら、昊は自嘲の声色で呟いた。間違ったことは言っていないと思うのだが、褒められ慣れていて、聞き飽きているのだろうか。


 早朝に出発し、途中にある道の駅でラーメンを食べた。土産コーナーを二人で見て、ソフトクリームを車内で分け合いながら再出発する。予定通り、午後には海水浴場に着いた。


 三連休なだけあり、駐車場は満車に近い。砂浜にも人が多くいた。海に入りはしゃぐ若者や、子どもを連れた家族、落ち着いた雰囲気で砂場にパラソルを差している大人のカップルなど、様々だ。


「昊くん、運転ありがとうございました。すごく上手でした」

「大学の時車持ってて、よく乗り回してたからね。働き始めてからは……要望があれば、たまに、車出してた程度で……」


 微妙にぎこちない返しに、前の彼女も車に乗せたのだろうかと想像してしまう。雪葉にとっては昊がすべてにおける初めてでも、昊は違う。緊張も舞い上がり方も、雪葉とはまったく異なるだろう。


 自分が何人かいた彼女のうちの一人でしかないことは、わかっていたことだ。雪葉は車から手荷物を下ろしながら、考えた。


(うざがられないよう、あまりはしゃぎ過ぎないようにしないと)


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