第21話

   ×××


 ここ最近雨模様だった空は、今日は久しぶりに快晴だった。今日のデート先は、延期となっていた遊園地だ。


 今日のための準備も忙しかった。雪葉はいつも通り仕事に行きつつ、夜はウェブ検索で『二十五歳 初めての彼氏 気をつけること デート』とキーワードを打ち込み情報を集めた。


 仕事帰りに病院へ寄りコンタクトレンズも作ってみた。やはり眼鏡はないほうが可愛く見えるはずだ。自分の外見の上限が高くないことは自覚しているが、上限ぎりぎりのところでデートをしたい。


 土曜日には一日中アパレル店を巡った。選んだ服は、初夏に相応しい涼しげな膝丈ワンピースだ。初めは、単にスカートにしてみようとだけ考え選び始めたのだが、トップスの組み合わせが何がいいのか考え過ぎてわからなくなり、結局ワンピースにした。


 ワンピースを着るのも、コンタクトレンズの装着も、人生初だ。気合いが入り過ぎな気もするが、ワンピースをデートに着ていく女性は多くいる。顔面がワンピースから浮かないよう、髪もウェブ動画を見ながら編み込んでみた。何度か練習したので、恐らくおかしくはないはずだ。


 準備ができた後、部屋で伊桜を待っているのがいつも通り落ち着かず、雪葉はアパート前のハナミズキの木がある辺りで待った。まもなく来た伊桜は、雪葉を見て目を丸くし、それから柔らかく笑って言った。


「おはよう。かわいいね」

「お、おはようございます……」


 嬉しくて、目を合わせられなかった。世の中の女性が外見に力を入れる理由を、ようやく理解した。誰かのために目一杯整えて、その相手から可愛いと言ってもらえると、これほど嬉しいものなのか。


 並んで歩き、駅へ向かった。遊園地へは電車を乗り継ぎ一時間ほどだ。


「移動、さ。車のほうが楽だったら、車で行くけど」


 歩調を合わせてくれながら、伊桜が訊く。日々本格的な夏に近づいてきていた。いまは午前の早い時間で、まだ涼しいが、午後は日向を歩くと汗ばむようになった。


「私は、いまのままで大丈夫です。電車移動も楽しいですし、……伊桜さんにだけ運転させるのも、悪いですし」


 自動車免許の取得は、機会的にも費用的にも、完全に時期を逸した。だから雪葉は免許を持っていない。そのためもし伊桜の気分が悪くなった時、交代ができない。


 伊桜は何かを考えるように沈黙した後、口にした。


「その、『伊桜さん』って、やめない?」


 雪葉は瞬きを返す。


「付き合ってるんだし。名前呼びにしよーよ」

「……ええっ!」

「ってことで今日一日、苗字で呼んだ数だけ、罰ゲームね」

「ばっ、罰ゲーム!? って、何をするんですか!?」

「恋人同士の罰ゲームって言ったら……やっぱ、キスかな。俺を『伊桜さん』呼びした数だけ、雪葉から俺にキスするとか――」


 冗談半分の提案に、雪葉はみるみる顔を赤くした。自分からキスなどできる気がしない。やり方もわからない。動揺で、ミュールを履いていた足がもつれた。


 転びそうになったところを、伊桜がとっさに腕を引き寄せてくれた。そしてそのまま伊桜の体に寄りかかってしまう。抱きとめられるように接した伊桜の胸から、雪葉は飛び退いた。


「わ、わ――ご、ごめんなさいっ!」

「…………ああ、うん」


 頭がふらつく思いで、また元の距離に戻り、歩き出す。心がもたない。ずっとどきどきしている。背中にかすかに残る伊桜の熱に、温かいんだなと、当然のことを改めて思った。


   ×××


 遊園地は海の近くにあった。普段通らない駅を通り、乗り換えもした。見慣れない景色を楽しんでいるうちに、あっという間に到着した。


 天候にも恵まれた。今日は一日中、降水確率ゼロパーセントだ。二人でまず、ジェットコースターに乗った。それからコーヒーカップで目を回し、メリーゴーランドに乗りながら小休憩をとる。その後はヴァイキングで大きく揺られ、昼食時となったため園内の飲食店に入った。


 午後は、園内を回る列車に乗ったり、ミラー迷路に入ったりした。ここで、手を繋がれた。そのまま次はお化け屋敷へ入った。恐怖というよりは、いきなり驚かされることに二人で飛び上がった。お化け屋敷を出た後は、アイスクリームを買って、二人でベンチに座り食べた。


 幸せだった。ここ数年で、より明確に言えば受験生になった高校三年生以来、最も幸せだった。いままで足らなかった分の幸せが、いっぺんに訪れているかのようだ。冷たいアイスクリームをちびちびと食べながら、雪葉は美味おいしさと幸せを噛み締めた。


「雪葉ってさ。誰かと付き合うの、初めてだったりする?」


 いきなりの質問に、思わず大口でアイスクリームを口に入れてしまった。冷たさで口の中が痛くなる。


「ど、どどどうしてですか?」

「何となく……俺にちょっと当たっただけで、すっごくびっくりしてるし、腕とか肩にぶつかったり、指がちょっと重なっただけでも、ばんざいするみたいに避けるし。手繋いでる時だって、手と足一緒に出るんじゃないかってくらい、ガッチガチだし」


 雪葉は顔を両手で覆った。恥ずかし過ぎて穴の中に入りたい。年齢と恋人がいない年数が一致している事実は、やはり隠し通せるようなことではなかった。手の隙間から声を漏らす。


「はい……初めてです……」

「たった一度も?」

「はい……一度もお付き合いしたことありません。……引きますよね」

「引きはしないけど……驚いた。ならじゃあ、もしかしてキスも、俺とが初めてだった?」


 顔を覆ったまま首肯する。昊は目線を泳がせた。


「そっか……。なんか、簡単にしちゃってごめん」

「いえ……」

「ア、アイスクリーム、垂れるよ」


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