第13話

 先行きが不安そうな広瀬に、雪葉は笑みを作る。


「大丈夫ですよ。優しい人たちばかりなので、わからないことは何でも聞けば、教えてもらえると思います」

「確かにみんな、良い人そうですよね。井上さんや柏崎さんとは、自社でちょっと話したことあって。あと、伊桜さんも。――伊桜さん、めちゃくちゃかっこいいですよねぇ。彼女、いるのかなー」

「……ど、どうでしょうね……」


 翌週、また広瀬と化粧室で行き会った。広瀬はすでに私服姿だ。業界柄、女性は男性と違い服装が自由だ。現場入りする初日はスーツで来る人が多いが、あとは私服である。雪葉もいつも私服通勤だ。


 今日の広瀬は、ふわりとした型のカジュアルブラウスに膝丈のタイトスカートと、できる女然とした恰好だ。そして何度見ても美人である。また二人でプロジェクトルームへ戻りがてら、話しかけられた。


「伊桜さん、うざくないですか? 中身おっさんって感じ。きっもー」


 先週と真逆の感想に面食らう。雪葉は「はは……」と曖昧な笑みを返すしかなかった。


「――伊桜くん、広瀬さんと、何かあったの?」


 夜八時を回ろうとしている頃、まだ残業をしていた井上が、同じくまだいる伊桜に、席越しに訊いた。


「最近、広瀬さんとのやりとりが、すごく殺伐さつばつとしてる気がするけど……」

「別に、大したことは。ただ――」


 同様に、まだ残っていた雪葉は、背中での会話に聞き耳を立てていた。当の広瀬本人は、すでに退勤済みだ。


「仕事中に広瀬さんが、『伊桜さんてぇ、彼女いるんですかぁー?』って訊いてきたから、冷たい声で、『いまそれ関係ある? 学生気分でまだいたいなら、大学入り直せば?』って返しただけで。次の日から、無駄口一つ叩かず仕事するようになりましたよ。いやぁー、人事は優秀な奴しかとらないって、信じてました。あの子仕事早いっすね」


 井上は、眉を八の字にして肩を下げた。


「伊桜くん、よくそんなきつく言えるなぁ。俺言えないよー、かわいそうで」

「井上さんは、ちょっと甘やかし過ぎだと思います。あんなんじゃちゃんと育たなくないですか?」

「えー、でもなぁー」

「でもねぇー、かわいいしねぇー」


 さらにまだ仕事をしている小笠原が、頷きながら同意する。伊桜は二人を両断した。


「美人だから、なんだって言うんです!」

「それは、伊桜くんが美人と張り合えるくらい顔が良いから言えるんだよ。ねぇー?」


 井上と小笠原が、「ねぇー?」とおじさん同士で同意し合う。雪葉はパソコンの電源を切りながら、雑談の切れ目を見計らい伊桜に近づいた。


「伊桜さん、あの」


 伊桜が雪葉を見上げる。仕事中は、缶コーヒーをもらった終電帰りの夜よりも、一緒に部屋でオムライスを食べた夜よりも、二人を隔てる透明な壁がしっかりとあるように感じられる。


「メールでも送りましたが、明日、面談なので午後出勤になります。すみませんが、よろしくお願いします」

「はい、わかりました。あ、そうそう」


 即座に踵を返そうとした雪葉は動きを止める。


「元村さんの送別会、広瀬さんの歓迎会と合わせてしようと思ってて。来週の金曜と再来週の金曜、どっちが都合いいかな?」


 雪葉はわずかの逡巡の後に、軽く頭を下げた。


「すみません。私、送別会はいいです」


 伊桜はぱちくりと瞬きを返す。


「あの、本当にすみません。実は私、お酒苦手で……。お気持ちだけ、ありがとうございます」


 自分で決めた、ルールがある。歓迎会には絶対に出席し、自分の送別会には出席しない、というものだ。これは雪葉が自分を守るために自分で決めたルールだった。


 社会人になって三年くらいは、誘われる飲み会すべてに参加していた。客先常駐エンジニアというものは、飲み会が多い。現場が数ヶ月おきに変わり、人の入れ替わりも激しく、歓迎会や送別会はしょっちゅうだ。その上帰社日は自社の面子でも飲む。正直言って、酒が好きではない雪葉には飲み会は付き合いでしかなく、苦痛だった。


 だから自分を守るために決めた。歓迎会には絶対に参加し、自分の送別会には参加しない。新しいプロジェクトに参画した時の歓迎会は、互いに打ち解けやすくなり仕事も円滑になる。途中の歓迎会や送別会も、断るのは角が立つので出る。そして、自分がいなくなる送別会は固辞する。この程度でもう仕事に誘われることがないのなら、自分の技術はその程度だったということだ。


 断る瞬間は覚悟がいる。伊桜やほかの世話になったメンバーにも、申し訳なく思う。だが来月には、きっとまた新しい現場で歓迎会がある。


「そっか……。わかりました」


 伊桜は、嫌な顔一つせず、頷いてくれた。


   ×××


 翌朝は、久しぶりに部屋のタンスからスーツを出し腕を通した。スーツ用の黒い鞄と靴も装備し、玄関を出る。


(初回で、決まるといいな)


 面談は、落ちる時が当然ある。そうなると、受かるまで何度も面談をする羽目になる。


 気持ちはやはり沈む。相手が求める条件とただ合わないだけなのだと、理屈で前向きに考えられたらいいのだが、落ちるたびにお前はいらないと言われているように感じてしまう。


 まるで就職活動と同じだ。もはや、就職活動かもしれない。決まらなければ、来月から仕事がないのだ。


 面談相手は、今度一緒に仕事をするマネージャーだ。スーツを防具に、スキルシートを武器に、いままでどういった案件に関わり、自分が何をしてきたかをアピールする。五年も客先常駐のエンジニアをしていると、面談の件数も三十件近いため、やはり体が慣れてくる。若干の緊張はあるが、受け答えは要領を得て落ち着いて返せるようになった。これは面談地獄を経験し、良かった点だと思っている。


「――落ち着いて話せてましたし、相手の反応も良かったですし、大丈夫そうですね」


 面談を終えビルを出た後、一緒に面談をした営業の男性に明るく言われた。いつも世話になっている佐久間の友人の営業社長に紹介された、別の会社の営業だ。


「そうだといいんですが……」


 面談は、営業と一緒にするのが基本だ。面談後、雪葉は一旦面談室の外で待たされる。そのかん、営業同士で単価や時間など契約についての話をする。部屋を出されるので、雪葉は自分の単価を知らない。中抜きがいくらとられているかも知らない。


 今回は間に二社入るらしく、まだ少ないほうだ。営業から営業へと、四社ほど回されることもある。慣れない頃は、まるで商品だなと思った。


「確定しましたら、追ってまたご連絡いたしますね。お疲れさまでした」

「お疲れさまでした」


 駅で営業と別れ、雪葉はスーツ姿のまま、いまの現場であるかえで銀行本社ビルへ向かった。


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