第12話

 ひと呼吸分、反応が遅れた。


「そうですか。じゃあ、来月面談ですか」

「うん。新しいところ、探しとくね」


 探すのは、佐久間ではなく佐久間の友人が経営する会社だ。中堅IT企業の元営業の佐久間の友人は、起業し、社長として営業し働いている。顔が広く、これまでも様々な案件を回してくれていた。


 クレセントデータやノヴァソリューションなどの上位会社は、プロジェクト成功時に多額の報酬が支払われる仕組みだが、下位会社は派遣契約のように、成果に関わらず月ごとに報酬が定められている。リスクが少ないため、資本が少ない中小企業にはありがたいが、逆に報酬に見合う仕事をしていないと、不要だといつ切られてもおかしくない立場でもある。


「場所は、家からあんまり遠いところは大変だから、なるべく近いところにしようね。元村さんは、もういっぱいスキルあるから、良いとこ入れると思うよ」

「……はい。ありがとうございます」


 飲みが終わり、駅から家への帰り道、夜桜が見事な公園を尻目に、雪葉はとぼとぼと歩いた。


 また、職場が変わる。二、三ヶ月で変わる時も多いため、半年はいたいまの現場は、長かったほうだ。それでも職場が変わる時期は憂鬱だ。人間関係も信頼関係も、また初めからだ。すべて一からやり直しである。


 そうして毎日夜遅くまで働いても、毎月の給与は、贅沢せず慎ましやかに生活するのがせいぜいの程度だ。ボーナスもない。数千円でも余裕があれば貯金しているが、アパートの更新費や急な出費であまり貯まっていかない。


 ちなみに雪葉の会社は、残業代も出ない。これは言わば違法行為でもあると後に知ったが、派遣契約は主に固定給で、残業代は会社及び営業が交渉に強いか、エンジニアに余程魅力がなければつけてくれないのが普通だ。だらだら仕事をして金をせしめようとする派遣もいるに決まっていて、そんなやからに大金を払う危険は、どの企業も犯したくはない。


 残業代をつけてくれと自社に頼むこともできるが、それだと元が固定給なのだから、基本給を下げて残業代をつけるという形になる。結局もらえる給与は変わらず、むしろ頑張って早く仕事を終わらせたら残業代がつかず給与が減るだけのため、交渉するのも良いのか悪いのかわからない。みなし残業という考えもあるだろうが、ただの形式の話だ。零細企業には労働組合もないため、訴える人は自分だけ、給与が同じならばと結局はどっちでもよくなる。


(はぁ……私の、人生……)


 二浪しても大学に落ち、とりあえず働かなければと働いた。だが人生、失敗している気がしてならない。自分の人生というものは、もっと夢輝いているものだと思っていた。やりたい職につき、仕事帰りは友人と食事に行ったり恋人と映画に行ったり、たまに有給で連休をとって旅行をしたりして、楽しいことをした後はまた仕事に打ち込む、そんな充実した人生が送れるものだと思っていた。


 それがいまや、地元の友人たちとも大学生と浪人生になってから距離が空いてしまい、都会で誰かと親しくなろうにも、仕事で知り合う人にぐいぐいと迫るのも気が引ける。休日は、家事と体を休めることに必死で、習い事や趣味のサークル活動等をする余裕もない。そもそも内向きな性格もある。友人どころか恋人など、雲の上の存在だ。


 ただひたすらに、毎日朝から夜遅くまで仕事をし、休みの日すら、少しでも長く現場に残してもらえるよう勉強し客先に認めてもらうための技術力を磨く。


 そうして必死に日々を繰り返しているうちに、気づけば五年経っていた。おかげで技術は増えたが、心の元気はなくなった。いまの唯一の楽しみは、恋愛小説だけだ。


 もし、いま空から百万円が降ってきたら、やり直したい。理想を捨てて現実を見て、今度こそ高望みしない大学を受験する。そして、もう少しゆとりのある会社に就職する。疲れ切っている時ほど、そんなどうしようもないことを切実に考える。


(伊桜さんと仕事するのも、あとひと月か……)


 素敵な男性と会話をするのは、物語のように楽しかった。最近で一番心躍った出来事だ。そんな、相手が何も感じていないことに、小さな喜びを見出してしまう寂しい人生だ。このままきっと、寂しい人生を送り続けるのだと、雪葉はアスファルトの歩道を見ながら思った。


 人生が、向かう先がわからない。人生の正規のレールから外れた人間は、どうやって生きていくのが正解なのだろう。受験に失敗して働くような、大部分の人とは違う歩き方の人間は、どう生きていくのが正しいのだろう。


(自分は自分――そんなふうに、強く生きられたらいいのに)


   ×××


「ノヴァソリューションの広瀬ひろせです。まだ二年目の新米です。至らないところ多々あると思いますので、ご教授いただけるとうれしいです。よろしくお願いします」


 年度が変わった四月、新しく現場入りした女性エンジニアは、くっきりした顔立ちの、目の覚めるような美人だった。広瀬は、伊桜たちノヴァソリューションの社員がいるデスクの島の端に席を持った。教育は、同じくノヴァの社員で半年ほど案件に携わっている井上が担当する。


(新しい人、来るんだ)


 恐らく自分の代わりに入ったのだろうと、雪葉は思った。結合試験もほぼ終わった。あとは本番環境下での最終テストをしながら、細かな仕様変更やバグ対応をすることになる。大変な時期は、乗り越えた。余裕ができたならば、他社の人間を雇い金を払うよりも、自社の新人社員を育て将来へ投資したほうがいい。


 雪葉の仕事の引き継ぎは、何人かに分散させることになった。そのうちの一つを広瀬が担当した。指示を出したのは伊桜で、当然ながら、伊桜は雪葉が今月一杯で離任することを前もって知っていた。


 雪葉が化粧室で手を洗っている時、個室から出てきた広瀬に行き会った。スタイルも良く、パンツスーツを華麗に着こなしている彼女は、化粧もしっかりとしていて、よく手入れがされた髪からも、美容院に頻繁に通っているだろうことが窺えた。女子力の差があり過ぎて、並ぶのが恥ずかしくなってくる。


 広瀬は雪葉に気づくと、にこりと愛想良く笑った。


「こんにちは。今日からよろしくお願いします」

「は、はい。えっと、元村です。よろしくお願いします」


 客先常駐エンジニアは女性が少ない。そのせいか、女性同士の仲はどこでも比較的穏やかだ。男性に囲まれてばかりいるため、同性はやはり安心する。雪葉も、女性と話すのは好きだった。


「良かったぁ。同期の女の子が配属されたチーム、ほかに女がいないらしくて。同性がいて安心しました」


 化粧室から、一緒にプロジェクトルームへ戻りながら、会話を交わす。


「もしかして、歳も同じくらいじゃないですか? 私、いま二十三なんですけど」

「あ……二つ上、です」

「わあ。やっぱり近い。仲良くしてくれるとうれしいですっ」

「こ、こちらこそ……あ、でも私、今月で終わりなんです」

「ええ! そうなんですか!? そんなぁ……。もしかして、私が元村さんから仕事分けてもらうのって、それでですか?」

「そうですね」

「そっかぁ……」


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