第5話
手に力を入れる。
運動はあまり得意ではない。いや、やったことがないと言った方が正確か。
ここでは無事であるはずの心臓が痛い。
見える。時間がゆっくりに感じる。
私の横を、血まみれの小魚が通り過ぎるのが見える。
手のひら程の大きさの白と黄色の熱帯性の魚。
形はチョウチョウオに似ているだろうか。口が少しだけ尖っている。
棘が刺さっている。背びれの近くだ。
嘴型?がある。肉が見え、骨が生きている。
目が潰れている。まだ新しい傷なのだろう。目の周りが真っ赤だ。
そしてすれ違う。
私の後ろに生える海藻の間に逃げ込んだ姿を確認した瞬間。
水の圧が私を打った。
突進は止まらない。
巻き込まれた黒い魚がトゲに当たってチリになった。
近付いている。【いい匂い】が作用しているのか、後ろに隠した獲物を追い求めているのか。
ヘイトが私に向かっているのがわかる。
やはり魔物なのだろう。頭の上には【タートルソーン】の赤い文字。
怖い。
何も分からない。考えが浅かった?
私が拳で戦うなんて、一時の浅はかな考えだった?
怖い。
孤独だ。
周りに満ちていた生命は亀が近づく度に逃げていく。
私もそうするべきだろうか。
心臓が痛い。これは幻覚だろう。ここでは大丈夫なはずだ。
でも怖い。さっきは一瞬だった。感じる暇もなかった。
だけど、今回は目の前に迫る棘が見える。牙が見える。
痛いんだろうな。
諦めちゃおっか?
……そんなわけあるか?
まだ全然泳げてない。前回は1分ちょいで即死だった。そのあとはチュートリアルだった。
そんで今。せっかく明るい海に、生命が溢れる海にやってきたのに。
それを壊そうとするアイツと、私。
「……ぶっ飛ばす」
目の前だ。
近づいてくる。
一直線に近づいてくる。
目が合う。喜悦が見える。
許せる? 私がここで折れたら、何匹が犠牲になる?
拳を握り、力を込める。
落ち着いて手を引く。
だから、自らの力で。
「ハァァァ!!」
前に、前に出る!!
前進。自らの進む力で勢いを得る。尻尾で水を叩き、引き絞った腕を振り抜く。
水の抵抗は感じない。人魚の特性だろうか。
水の抵抗は感じない。スルッと腕が前に出る。
亀って硬いよな。
亀って硬いかもだけど。
私の思いの方が硬いんだけど!!
高速で突っ込んでくる亀に、高速で拳を振り抜く。
顔を打った手は、私の筋力値の力と比例するように小さな衝撃しか与えない。
反作用を感じる。手首が痛い。
その割に、相手に痛がっている様子はみえない。剣とかなら倒せてたのだろうか。
だけど、逸らした。
突進は私を避け、横を通過する。
痛い、トゲが
だけど全然、命には届かない。
初手亀って、初心者グラップラーにやることか? キドナさんへの恨みは尽きないが、ギリギリ戦えている。
まだ死なない。まだ死ねない。
勢い余った亀が旋回。
再度の突進を試みるその瞬間。
勢いが付かないうちにもう一度打撃。
今度は甲羅を打ってしまった。
痛い。ダメージレースは負けている。
だけど
━━━━━まだ行ける。
「むんっ!!」
今度はちょっと上手く通った気がする。
殴る。
躱す。
当たる。
痛い。
殴る。
殴る。
殴る。
当たる。
殴る。
刺さる。
殴る。
「……ようやく、見えた」
澄んだ水に赤が溶ける。
口の周りに、明確なダメージの形。
まだ勝てない。
私の尻尾には棘が刺さっている。
まだ、私の方が死に近い。
距離を取る。
初期位置から少しずれ、岩場に舞台は変わっていた。
お互いに初撃と同じ突進の構え。
水を叩く。水を切る。
拳を引く。アニメやゲームの見様見真似。
だけど、何発打っただろうか。
「見える」
水を叩く。今までで1番速度は出ている。
だけど、今までで1番世界がゆっくりに見える。
殴るのは頬。血が出ている傷跡。
ダメージは殆ど通らない。だけど0じゃない。
近づく。
ここでミスったら多分死ぬ。
だけど、何故か大丈夫な気がした。
近付いて、振る。
口の横を正確に捉えた拳を、そのまま振り抜く。
亀の攻撃は当たらない。
私の一撃だけが通る。
初手のリフレイン。
だけど、さっきよりも上手く振れた。さっきよりも強く当たった。
そして長時間の戦闘によって相手の力も落ちていた。
全てが噛み合い、亀は突っ込む。
大きな岩へと。
丸い頭が岩に触れる。
岩にヒビが入る。
だけど、それだけで止まった。
亀の体が、端から崩れ落ちていく。
「……っし!!」
勝負は決まった。私はまだ、死んでない。
ガッツポーズ。
決め込もうとした腕が上がらない。
キドナさんの言葉が脳裏に蘇る。
この世界では疲れちゃうことがある。
そして、そのままオヤツになることも。
驚いて目を離したその一瞬。亀が目の前から消えている。
まだ、完全に崩れるほどのペースではなかったは……ず……
水の圧を感じる。
それに従い上を見る。
太陽の光が見える。
その中に、小さな黒い影。
顔の半分は無くなり、棘も1本しか残っていない。
だけど、まだ崩れていない。隻眼からは喜悦の色が消え殺意だけが覗いている。
崩れている。今も崩れている。
だけど、ここまで届くだろう。
身体が動かない。極限の疲れに加え、緊張が切れたことによって痛みが襲ってくる。
「……やば」
黒い影が
迫って、迫って。
迫って
迫って
迫って
迫って
見える
見たことの無い眼
ゲームだけど、ゲームじゃないリアル
明確にこちらの生命を狙ってくる目
自らを終わらせた敵に対する、正当な報復の目
体は動かない
目をそらせない
あぁ、死ぬ
キスできる程の距離
甘いもんじゃないそれが、私の額を打つ……
覚悟を決め、瞼を落とそうとした時。
白い閃光が、目の前を走った。
『レベルが上がりました。称号【ソリッドブレイク】【初撃破】を達成しました。称号スキル【岩突】【鑑定】を入手しました』
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