overture-2

 街で暴動を続ける武装勢力は、大統領による腐敗政治を終わらせるのだといって、みずからを解放軍と名乗っていた。

 でも、シルリアはその連中がそう名乗るのが、大嫌いだった。

(なにが解放軍よ。あなたたちこそ、わたしたちの街を解放して。大統領が嫌なら、首都を攻めなさいよ。タシェみたいな田舎町で関係ない人ばかりを狙うなんて、ただの弱い者いじめよ。馬鹿みたい)

 ぎゅっと拳を握りしめる。

 身体がすこし揺れたせいでベッドのシーツがさらりと音を立てるが、その他は無音だ。

 シルリアはいま、部屋に一人きり。

 部屋を出ていったダマスは、まだ戻ってこない。

(立派な家だ。誰が住んでいたんだろう――)

 部屋の造りも家具も、貴族趣味だ。武装勢力のアジトという雰囲気ではない。

 絨毯も窓も汚れていたが、ここで暮らす男たちが、屋敷に似合う品のいい過ごし方をしていないせいだ。

(勝手に占拠しているんだろうな。住んでいた人たちはちゃんと逃げられたかな。お願い、追いだされていて)

 荒くれ者がここにやってきた時には、きっと銃口が向けられただろう。

 思い浮かんだ光景を、頭をふって消した。

(いやだ、こんなところ)

 立派なベッドも目に入った。さっきの男が靴のままで寝転んでいたせいで、シーツはそこらじゅうが汚れている。

(わたしが、あの男のペット? ご主人様と呼べって? 調子に乗って――)

 ダマスは、問答無用で襲いかかってくる下品な男ではなかった。

 でも、解放軍のアジトにいるからには悪党の仲間なのだ。

(逃げなくちゃ)

 ダマスが部屋を出たいまが、絶好のチャンスだ。

 連れてこられた書斎は三階だった。

 キッチンが一階にあるなら、階段を上り下りする時間は戻ってこない。

 階下倉庫なら、もっと時間がかかる。

(どこから逃げる? 窓の外は――)

 窓辺から外を覗くと、中庭が見える。

 まるい池を花壇が囲んでいたが、品の良い庭にはえらく不似合いな連中が三人いた。

 くたびれた軍服と、いかつい銃器。兵士がいて、池を囲む煉瓦に腰掛けて談笑していた。

(窓からはダメだ。いまのうちに廊下に出る? 空き部屋に潜り込んで、外に出られるチャンスを待つか――ううん、ここまで豪華なお屋敷なら、もしかしたら……)

 シルリアの目が、吸い寄せられるように窓の外へ向かう。

 四角い煉瓦が魚のうろこのように並ぶ煉瓦造りの壁の、さらに奥。

 あるものを見つけると、息が止まりかけた。

(あった! ここも、お爺ちゃんの家と同じなんだ)

 ゼス地方に古くからある屋敷には、時たま隠し通路を備えたものがあった。

 百年ほど前に周辺で起きた内乱の名残だそうで、貴族たちが郊外へ抜け出るための避難路として造られたらしい。

 古くからの大家、シルリアの生家にも隠し通路があった。

 秘密の抜け穴なので、存在は使用人にも知らされることはない。

 当主の一族しか知らないのだ。

(外壁に――ある。内側に空洞があるのを隠そうとしてるふくらみだ)

 窓辺を離れると、つぎは暖炉へ。火の気のない暖炉のそばの煉瓦の壁をくまなく調べた。

(お爺ちゃんの家の三階と同じなら、入り口は暖炉のそばだ。早く――)

 絨毯を靴底で小刻みに踏んで、床に段差がある場所を探す。

 書棚の前にいきついた時、足の裏一つ分だけ、わずかだが高くなった。

(見つけた)

 しゃがみ込んで絨毯をめくりあげ、床底をあらわにする。

 木製のタイルが並んでいて。ほかより厚みがついた十個ぶんのタイルにだけ、古めかしい模様が彫られていた。

(暗号文字だ)

 木製のタイルにあったのは、木の枝を重ね合わせた模様。

 枝が一本のもの、三本のもの、同じく三本だが、そのうち一本は横向きに寝ているもの――小枝の飾りは、何かべつのものを表している。数字か、アルファベットか。

(秘密の扉を開く鍵だ。解ける――)

 十種類の小枝の重なり方に法則を探してすぐに、シルリアの目の裏には数字が現れた。

 記号の並び方を解読して意味を解くのは、得意中の得意だった。

「ちょろいわ。AZ電信会社の箱入り娘をなめるんじゃないわよ」

 不敵な笑みとともに声が漏れた、その時。背後から男の声がする。

「箱入り娘はふつう、そうやって人の部屋の絨毯を無断でめくるのか?」

 飛び上がって振り返る。いつのまに戻ってきたのか、うしろにダマスが立っていた。

 書棚を背にして青ざめるシルリアに、ダマスは苦笑した。

「忙しい女だな。怯えたり、部屋の中を探ったり、俺に啖呵を切ったり。――まあ、そうか。怯えなくていいよ。面白いことをやってる女だなぁと思った。それだけだ」

 ダマスはドアを振り返って「飯、食う?」といった。

 ドアのそばの床に、水が入ったガラス瓶とグラスが載ったトレイが置かれていた。

 捕虜の女が不審な真似をしたのだ。暴力を振るわれてもおかしくないが、ダマスにはそういう雰囲気がなかった。

 くたびれた軍服に包まれた長身をかがめて、「なんだ、それ?」とシルリアが見つけた木製タイルを覗きこみもした。

「お願い、見逃して!」

 思わず、叫んだ。

 途端に、とめるまもなく涙があふれた。

 朝からの出来事がよみがえって、急に怖くなった。

 解放軍の捕虜になって見知らぬ男のところに連れてこられる、というとんでもない目にあっているが、夜中にたたき起こされてから、シルリアはずっととんでもない目にあい続けたのだった。

「解放軍の攻撃開始は早朝だ」

 AZ電信会社の通信技師が、解放軍の通信を傍受したのだそうだ。

 軍部に知らせ、夜明け前の暗いうちに「すぐに街から脱出を」と一家は荷物の整理をはじめたが、父は青ざめてこういった。

「警報は鳴らないそうだ」

 ならず者が街を襲うなら、街に駐留する政府軍は警報で民衆に危機を知らせるべきだ。しかし――。

「軍がいうには、解放軍のアジトを突き止めたらしい。戦闘員がタシェに入れば後方が手薄になる。先に背後に回って壊滅させるそうだ」

「なによ、それ。タシェを囮につかうってこと? そのあいだに人が殺されても、作戦のためだから仕方ないっていうの?」

「いけ好かない連中だ。安全圏においておきたい奴……今後も利用したい奴には、電話して避難を呼びかけてるんだろう。うちみたいに」

「そんな――」

 襲撃がどこからはじまって、どこに逃げれば良いかだけでも知らされれば、大勢が戦火に巻き込まれずに済む。

 知らなかったらシルリアも両親と避難しただろうが、知ってしまったからには、街に出るしかなかった。

 両親の目をすり抜けて車で早朝の街を走って、スピーカーで呼びかけた。

「みんな、西へ逃げて。西へ!」

 すぐに銃声がきこえはじめ、銃撃の的になった。とうとう囲まれて、運転席から力ずくで引きずり出された。

「女だ。若いぞ」と下劣な目で見られ、腕や首にあった宝飾品をひとつ残らずはぎ取られた。

 アジトへ――助けを呼べないところへ連れていかれる恐怖を味わって、ついには褒美として見知らぬ男の部屋に放り込まれた。

(怖かった――)

 思いだすと、悔しいくらい涙がつぎつぎ溢れてくる。

 そのあいだずっと、ダマスは正面に立ってシルリアを見下ろしていた。

 嗤うでも、慰めようとするわけでもなく、ダマスはとくに表情も変えなかった。

(なによ。見るな。勝手に)

 泣き顔を見られていると思うと腹が立って、手の甲で涙をぬぐった。

(いまも怖い。でも、状況は最悪じゃない)

 助けを呼べない場所に監禁されたが、裏を返せば、ダマスとふたりきりになったということだ。

 なら、交渉というカードがまだ手元に残っている。

 カードがあるなら、使うべきだ。

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