箱入り娘と傭兵
円堂 豆子
overture-1
「ここだ、入れ」
背中を押しやる大きな手は傲慢で、シルリアは逆らうようにわざと足を止めた。
でも、そうするうちに、いきなり身体が前によろけた。
「とっとと入れよ。おら」
悔しい。こんな、奴隷みたいな扱いを受けるなんて、悔しい。
ぎっと歯を噛みしめても、男は知らん顔をしている。
男が着る傭兵部隊の軍服は、汚れていた。
その男が開けたドアの向こうは、書斎。
白いカーテンがかかった窓は隙間があいていて、布地が宙を泳いでいる。
懐古調の棚やテーブルセットは品がよく、床に敷かれているのは、異国風の絨毯。
端にベッドが置かれていたが、天蓋付きの上等なものだ。でも、繊細な造りに似合わないほど、部屋にあるカーテンも絨毯も、なにもかもが薄汚れている。
ベッドの上には、男がいた。若くて、軍服を着崩してくつろいでいる。黒い革靴をはいたままベッドに寝転んで、煙草をふかしていた。
髪の色は、シルリアと同じ黒。
軍人らしく、耳の上あたりで無造作に短く切られている。
「よう、英雄。お望みの品をもってきたぞ。金も地位もいらないから、珍しい酒か女をもってこいっていってたろ?」
兵士は、男の反応を誘うような言い方をしたが――。
(お望みの品? 珍しい酒か、女? ということは――)
シルリアが顔をひきつらせたのが面白いのか、兵士はわざわざ顔を覗きこんで気味悪く笑った。
「朝の戦闘で捕まえたんだが、おまえ用ってことで、誰も手を出してねえから」
「なら、さっさと置いて出ていけよ。そういうことならなおさら、おまえがここにいると邪魔なんだが」
煙草をふかしていた男は口喧嘩を吹っ掛けるような言い方をしたが、冗談を言い合うように笑っている。
「はいはい、英雄。ごゆっくり」
兵士は「入れ」とシルリアの背中を乱暴に押しやり、部屋を出ていった。
再び、ガチャッと扉が閉まる音。
廊下の絨毯の上を、かつ、かつ……と足音が遠ざかっていく。
だんだん凝り固まっていく静寂――。人の気配も遠ざかった。
喚こうが叫ぼうが逃げようがない場所に――ベッドでくつろぐ若い傭兵と二人きりの場所に、シルリアは置き去りにされてしまった――。
若い傭兵が、寝転んだままちらりと顎を傾ける。
「名前は?」
「――シルリア・シス・エーゼットラント」
問われるままに名乗ると、ベッドでくつろぐ男は目をまるくする。
横顔を向けて、やれやれとこめかみを振った。
「呼びにくいな。そんな名前、二度と名乗るな。おまえは今日から、シルだ」
「シル?」
「シルリアっていうんだろ? だから、シル。おまえは俺のものになったんだから、俺が名づけてもいいだろう? 犬を拾ったら名前をつけるだろう。猫をもらっても……」
「わたしは犬や猫じゃ……!」
「知ってる。人間の女だろ。いくらメスでも、犬猫のペットを褒美にもらう趣味は俺にはないね」
若い傭兵は、舌舐めずりをするように笑った。
不気味な笑顔と会話に、シルリアは気が遠のきかけた。
――おまえは、俺のものになったんだから。
(つまり、やっぱり。わたしがここに連れてこられたのは――)
青ざめて立ちつくしたシルリアを、傭兵は呼び寄せた。
「こっちへ来い。隣に座れ」
男が起きあがって、ベッドの端に腰掛ける。
たぶん、怖かったのだと思う。
男の目には異様な力があって、眼光に絡めとられたように、シルリアの足はふらりと動いた。
操り人形が糸を引かれるようにそばへ行き、隣に腰を下ろすと、顎に手がかかって上を向かせられる。
男は、きれいな顔をしていた。
軍人らしく日に焼けていたり、こめかみに小さな傷があったりするが、目鼻立ちのバランスが悪くない。顔や表情には知性も見えた。すくなくとも、シルリアをここまで連行した男たちより、よっぽど話が通じそうに見えた。
おずおず見上げていると、顎にかかっていた男の手が浮いて、耳に向かう。
頬にかかる黒髪を耳にかけられたが、指先の動きにぞっとして、飛び上がるようによけた。
「触らないで!」
「おいおい」
傭兵の男は馬鹿にするように笑った。
「なんのために俺の部屋に連れてこられたのか、わかってないのか? それとも、そういう趣向で俺の気をひこうとしてる?」
「気をひこうとなんか……」
「ふうん。黒髪に、藍色の目に、白肌――。ゼス地方の古典的な顔だが、美人だと思うよ。あいつらは、おまえの顔が俺好みだと思ったんだろうな。仲間思いのいい連中だよ。泣けてくる。――で、齢は?」
「齢? なんでわたしが――。興味があるなら、あなたがまず教えるべきでしょう!」
「威勢がいいな。おお怖い」
男は、芝居がかったふうに笑った。
「俺の齢なら、二十四だ。ついでに名前は、ダマス」
「ダマスって――本名?」
ダマスというのは、ゲームの名称だ。
ゼス地方ではかなりメジャーで、盤と駒のセットはたいていどの家にもある。
「まさか。ここにいる連中で本名を名乗ってる奴のほうが珍しいんじゃないか?」
ダマスの印象は、そこまで悪くなかった。
ここ――武装勢力のアジトに連れてこられるまでに見た兵士たちが、野蛮で下品過ぎたのかもしれない。
怖がって叫ぶのを面白がってわざと乱暴に引っ張る兵士や、人間とも思っていないのか、麻袋を運ぶように荷台から引きずり下ろした男もいた。
そういう男たちと比べれば、ダマスは紳士だった。
とはいえ、この状況に納得できるわけもない。
「ふうん、ダマスね――。わたしがあなたへの捧げものなら、ダマス様って呼ぶべき?」
睨んで皮肉をいうと、ダマスは冷笑して喧嘩を買った。
「おまえはペットだろ? ペットからは『ご主人様』って呼ばれるほうが好みかな」
「――あなた、最低ね」
軽蔑で声のトーンが落ちる。
ダマスがくくっと笑った。
「冗談だ。好きなように呼べよ。それで、飯は食ったか?」
「飯?」
「朝の戦闘で捕まったんだろ? 早朝だったはずだ。いまは昼。俺は腹が減った」
ダマスが立ちあがるので、ベッドのバネがギッと音を立てる。
「飲み物くらいは欲しいだろ? ここで待ってろ」
そういって、扉を開けて出ていった。
シルリアの住む街、タシェは、ゼス地方の東端にあるが、ひと月のあいだに景観は様変わりした。
大統領の殺害を公言した武装勢力のアジトが、街の近くに移ってきたのだ。
武装勢力を排除しようと政府軍がタシェに駐留し、掃討作戦をはじめた。
とくにここ数日の戦闘は酷かった。銃撃戦で街の建物にはおびただしい数の穴があき、大勢が怪我をして、死んでしまった人もいる。
今朝シルリアは、隣街へ避難するべきだといった父の目をすり抜けて街にいた。
父は通信会社を経営している。
軍隊以外では、おそらく、ゼス地方で一番早く情報を得られる人だ。
大規模な作戦がはじまるなら、隣街に避難すべき。
シルリアにも異論はなかった。でも。
その情報が得られない人が、街には大勢いた。安全な場所への行き方を知らない人も、交通手段をもたない人も大勢残っている。
だからシルリアは、通信アンテナ車に乗りこんで破壊された街の中心へ向かった。
民衆の避難を手伝って、そして、敵の標的になった。
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