退学届けと思い出の薔薇園―4

 大学校の植物園では、多種多様な花々が今晩も咲き誇っていた。

 学生寮に程近い総硝子張りのこの建物は、約二百年前に造られて以降、少しずつ規模を拡大。今では大陸屈指の規模となっている。

 幻想的な魔力灯の下、私は煉瓦が敷き詰められた道を歩いていく。

 本来、魔法学院の生徒が夜間に入るのは禁止なのだけれど、私は大学校の教授達から特別に許可をいただいている。

 一度理由を尋ねてみたところ、


『君は余りにも熱心に此処の薔薇を観に来ていたからね』


 と、言われ赤面したのを思い出す。

 親友達にもからかわれたし……私は自分が思っている以上に、思っていることが顔に出易いのかもしれない。

 人気のない道を進んで行くと、目的地が見えてきた。


「…………」


 少しだけ歩を早め――最後には駆け出し、立ち止まる。

 広がっていたのは、水路の流れる見事な薔薇の花園。

 教授からお聞きした話によると、植物園を約二百年前に大学校へ寄付した篤志家が、この区画だけは自ら設計図を引いたらしい。


 ――亡き妻を儚んで。  


 目を少しだけ瞑り、清浄な空気を吸い込む。

 この場所は、私が時々夢で見る花園に少しだけ似ている。

 まだパメラやマリアと仲良くなる前は、偶々見つけたこの場所を何度も何度も訪れては泣いていた。

 ……それも今晩で最後。

 明日以降、私の行動を決めるのは、顔も知らない大商人の旦那さまだ。

 ふと、黄色の薔薇へ手を伸ばし――


「おや? こんな時間に学生さんがいるとは珍しい」

「きゃっ!」


 耳朶を打った若い男性の声に字義通り跳び上がる。結果、体勢が崩れた。

 あ、まずい。転んでしまう。混乱した私は簡単な魔法を使うことも出来ない。

 地面が迫り――左手に温かさ。


「おっと、危ない」

「あ……」


 私の腕を掴んでいたのは、赤茶髪で私よりも頭一つは背の高い男性だった。

 植物園に似つかわしくない上質な外套姿で、年齢は二十代後半に見える。大学校の教授や講師、出入りしている人なら顔見知りだけれど、この人は知らない。

 私は、父や古くから仕えてくれていた者達の他に、男性と殆ど話したことがないけれど……とても整っている顔だと思う。まじまじと見つめてしまう。

 すると、赤茶髪の男性は出来事を面白がっているかのように微笑み、私から手を放した。


「大丈夫だったかな?」

「! は、はい……あ、ありがとうございました」


 慌てて頭を深く下げる。

 初対面の男性の顔を見つめて、御礼を言うのが遅れるなんて……。

 羞恥心で頬が火照る。

 すると、男性は私から視線を外し、薔薇を愛おしそうに見つめ、楽しそうに聞いてきた。


「まさか、こんな時間に学生さんと出会うとは思わなかったな。この薔薇園は、僕のお気に入りでね。時々、こうしてやって来るんだ。悩み事がある時にね。もしかして――学生さんも同じかな?」

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