退学届けと思い出の薔薇園―3

「……これで良し、と」


 その日の晩。

 私は学院の寮で親友達への手紙を書き終え、ペンを置いた。

 パメラは王都の孤児院へ、マリアは実家の屋敷へ、それぞれ外泊していて明後日まで不在。私が……嫁ぎ先へ出向くのは明日だから、あの子達と顔を合わす間はないだろう。

 丁寧に封筒へ手紙を入れ、座ったまま窓の外をを見つめる。

 普段は夜であっても、学生の姿が見えるけれど、冬季休暇前、最後のまとまった休暇な為か、今晩の内庭はとても静かだ。

 少しだけ物悲しい。

 嘆息し、ベッドの上の小さな鞄へ視線を向ける。

 元々、私物は多くない。両親の遺産は、学院の学費分と母のネックレスを除いて全て叔父夫婦に奪われてしまった。

 これが先方へ持ち込む私の全てだ。


「……制帽と制服は、どうしようかしら」


 ぽつりと呟く。

 退学届けはもう提出した。受理されれば、二度と着る機会もないけれど。

 ぼんやりとそんなことを考えると、心臓が軋んだ。涙で視界が滲む。


 本当は……本当は、大学校へ進学したかったっ!


 あの薔薇が一年中咲き誇る植物園で、色々なことを学んで、将来は夢で見るような美しい花園を再現してみたかったっ!!

 でも――……もう、その夢は叶うことはない。


「…………」


 丸机に広げた叔父の書簡へ視線を落とす。

 末尾の空白には乱雑な走り書き。


『既に、アニエス商会会頭アレックス・ライトとの婚姻については、王宮へ届け出を済ませている。失敗は許されない。賢いエリナならばこの意味、理解出来るな?』


 こういう時だけは動きが早い叔父らしい。

 今の時代であっても貴族と平民の婚姻は、何かと面倒事になりがちだけれど……王宮にも報せているのなら、私が抗弁する場はもう。


「…………ッ」


 目をぎゅっと瞑る。

 『アニエス商会』のことは、少しだけ知っている。

 ここ十年程で急成長し、王国の名だたる大商人達を抜き去った新興の大商家。

 扱っている品々は多岐に渡り、食料品、服飾品、宝石や鉱物類。

 そして……様々な武器。

 ここ最近では、軍と旗艦用の超大型飛空艇建造契約を結んだことが新聞の一面を飾り、経済に詳しいマリアが興奮していた。


『プライドばっかり高い軍関係者が、民間に飛空艇建造を頼むなんてあり得ないことよっ! 私達は歴史の転換点を目の当たりにしているのっ!!』


 普段はお澄まし顔な親友を思い出し、私は少しだけ心が和らいだ。

 あの子があそこまで言っていたのだから、本当に凄いことだったのだろう。

 ただ、そんな歴史の教科書に載るような出来事を成し遂げた、アニエス商会会頭――私の旦那さまになる予定の、アレックス・ライト様の顔を見た者はいない。

 いや、あれ程の大商会会頭だし、きっといるのだろうけど、少なくとも表舞台には出て来ていない。

 聴こえて来るのは『売国奴』『金貨に魂を売った怪物』といった悪い噂ばかり。


「…………はぁ」


 不安に耐え切れなくなった私は溜め息を吐き、席を立った。

 こういう晩に行くべき場所は一つだけだ。

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