第3話
ボロシャツの男性は店仕舞いを始めていた。
今日もそれなりに儲けが出た。
やっぱり嬉しい。こんな詐欺みたいな屋台でも、楽しんでくれる人がいるのだ。
それだけで嬉しくなってしまい、ボロシャツの男性はにやけた笑みが零れる。
「さてと、帰りますかな」
ボロシャツの男性は路地の裏へと消えて行く。
この先には何もない。あるのはただの壁だ。
と思わせておいて、ボロシャツの男性は壁に向かって消えて行く。
なんと魔法の壁で、ボロシャツの男性はそこを潜ると身なりが一変、黒の背広を着た裕福そうな男性へと生まれ変わる。
「うん。この格好になると、シャキッとしますな!」
男性はこの国でも裕福な貴族家系の当主だった。
本当は屋台なんてしなくても財はある。
けれど貴族の男性は好きで屋台をやっていた。もちろん得られた金も自分で使う気は無いのだ。
「さて、どんな調子でしょうな」
貴族の男性はその足で屋敷に帰ることはしなかった。
むしろ屋敷から離れて行き、気が付くと高台にやって来ている。
こんなところに何があるのか。視線の先には大きな建物があった。
「あっ、院長先生」
エプロン姿の女性は貴族の男性のことをそう呼んだ。
貴族の男性は軽く手を挙げると、エプロン姿の女性に合図を送る。
「院長先生、今日も来てくださったんですね」
「ええ、当然来ますよ。それより子供達は?」
「みんな楽しそうに遊んでいますよ。これも院長先生のおかげです」
エプロン姿の女性は孤児院の職員として奮闘していた。
対して貴族の名を隠し、男性は院長先生として孤児院を経営していた。
そう。ここにある施設のほとんどは国からの援助。けれど残りは貴族の男性のポケットマネーから出ていた。
「あっ、少し少ないですが。こちらを受け取っていただけますかな?」
「また援助していただいて……いつもすみません」
「いいんですよ。これも私のしたいことですのでな」
貴族の男性は子供が好きだった。
それもそのはず、貴族の男性の家では、昔から孤児院を経営していた。
その過程でたくさんの孤児院を見て来た。
楽しそうに生活をする子供達も居れば、悲しく人を恨めしそうに見る子供達も居たのだ。
そんな光景を幾度となく見て来た。
だからこそ貴族の男性は、子供達が伸び伸びと過ごし、不幸を目の当たりにすることがないよう配慮を務めてきた。
しかしそのためには今の貴族としての地位だけでは足りなかった。
だからこそ、ぼったくりにも近い商売を陰ながらするしかなかった。
自分が良くないことをしていると分かっていながらも、貴族の男性はその業を噛み締めていた。
「あれ? 院長先生、この銀貨はなんですか?」
「ん? ああ、それは今日貰ったものですな」
「今日ですか? 不思議な銀貨ですね。真ん中に星の刻印が施されていますよ?」
「そうですな。不思議な銀貨です」
貴族の男性はエプロン姿の女性が星屑の銀貨をジッと見ていて気になってしまった。
何処で使われているものなのか。正直に言えば貴族の男性も見たことがない。
かなり古い代物なのか、もしかすると骨董品としての価値があるのかも。
貴族の男性は博物館にでも寄贈すれば、鉱石から貴族の爵位も上がるのではと、浅ましいことを考えてしまう。
「いえ、そんなことを考えてはいけませんね」
貴族の男性は首を横に振って考えないようにする。
するとエプロン姿の女性は首を捻った。
視線の先、そっと目を逸らすと、高台の孤児院に誰かやって来る姿が見えた。
「院長先生、誰か来られましたよ?」
「誰ですかな。あっ、あれは!?」
貴族の男性は目を見開いた。
それもそのはずのことで、現れたのはこの国の監察官。
貴族の不正や汚職を検挙している監察官で、護衛の騎士を二人率いていた。
「どうして監察官がこんなところに」
「な、なにかあったのでしょうか?」
貴族の男性とエプロン姿の女性は焦る。
それもそのはず孤児院の経営を行うにあたり、国からの援助を貰っていた。
それを不正に利用していると疑われているのではないだろうか。
それとも貴族の男性が詐欺まがいに行っている露店がバレてしまったのか。
ゴクリと喉を鳴らすと、目の前には監察官の姿が控えていた。
「ど、どうしましょうか。どうしよましょうか」
酷く焦っていた。額からも蟀谷からも汗が滲み出る。
ここから逃げ出してしまいたい気持ちはやまやまだが、それをする前に監察官は貴族の男性に声を掛けた。
「ほぅ、報告にあった通り真面目に孤児院を経営しているな」
報告とはなんのことか。貴族の男性は知らない。
まさか裏切り者がいる? そんなことは信じたくなかったが、貴族社会とはそういうものだ。
他の貴族を蹴落とし、上へ上へと登り取り入る。その標的に遭ってしまったものとばかりビクついていると、監察官は貴族の男性に更に投げ掛ける。
「経営は順調かな?」
何と答えればいいのか。分からずに心臓の鼓動が強まる。
しかし貴族の男性は何も不正は行っていない。
そう自負しているためか、不安を押し切り本当のことを呟いた。
「順調とは言えません。身銭を切ってやっとのことですな」
「ほぅ。それはなんとも感慨深い」
監察官の声が抑揚を伴っていた。
無性に重くのしかかるのは気のせいだと信じたい。
気分を向上させ、一気に叩き落とす。そんな未来を創造し、息が上手くできないでいると、監察官は貴族の男性の肩を掴んだ。
「ところでだ。君は貴族の爵位に興味はあるかな?」
「えっ!?」
「良くいるんだよ。善意と見せかけ、実際には弱者を蝕んで自分の懐を温める不届き者がね。君はどちらかな?」
ゾクリと背筋を走った。
貴族の男性はピタリと止まると、目だけで監察官を追った。
「善意ですよ。私は善意でやっているんです」
「本当ですかね?」
「もちろんですとも。私は子供が好きなんです。もっとも子供達に好かれているかは分かりませんがな」
貴族の男性は勝手な自己満足で孤児院を経営しているだけだった。
だから子供達のために本当になっているのかは分からない。
けれど貴族の男性は信じていた。きっと気持ちは伝わっているはずだ。
「ほぅ、そう答えますか。そうですかそうですか……では」
監察官の手がナイフのように冷たかった。
貴族の男性の腕を掴もうとすると、まともな神経ではいられなくなる。
終わったと悟った。貴族の男性はギュッと目と瞑ると、エプロン姿の女性は貴族の男性のことを思い、星屑の銀貨を差し出そうとする。
「あの、待ってください」
「それは?」
「銀貨です。どうかこれで見逃してはいただけませんか?」
エプロン姿の女性は星屑の銀貨を握らせようとする。
すると訝しい目をして監察官は睨みを利かせた。
「なにをやっているんですか!」
「……賄賂ですか」
「そう受取って貰っても構いません。ですが院長先生は本当に子供達のために一生懸命なんです。どうか、どうかお見逃していただけませんか?」
エプロン姿の女性は騎士達が見ている前でやってはいけないことをした。
けれどこうなったのは全部自分の責任だと、貴族の男性は唇を噛む。
何もしていないとは言わない。だけどここまでやって来たことは全て善意なのだ。
それだけは伝わって欲しいが、この際如何でもいい。
「私は本当に善意で孤児院を経営させていただいております。ですが信じて貰えないというのでしたら、せめて私だけでご勘弁願えませんかな」
「ほぉ、こちらの女性を庇うと」
「はい。それが私にできることでしたら」
貴族の男性はエプロン姿の女性を庇った。
この人は全く悪気が無い。自分のことを思ってくれたのだ。
それが伝われば尚更この行動に迷いは無かった。
「院長先生……」
「大丈夫ですよ。それが私の
私は監察官に連行される道を選んだ。
しかし連行されなかった。
代わりにナイフのような手が離れると、手のひらの中に一枚の紙が握り込まれていた。
「こ、これは?」
「読んでみてはどうですか?」
監察官はそう促し掛けた。
緊張した様子で貴族の男性は紙を開いた。
すると中には赤い朱印で刻印されていた。たくさん文字が書かれているが、まとめるとこうだった。
「男爵から伯爵に!?」
「えっ、ええっ!?」
まさかの爵位の格が上がるなんて。こんなことがあるのか。
貴族の男性とエプロン姿の女性は互いに驚きあった。
「これは……?」
「書いてある通りですよ。ここに来たのもそれを渡すため。最も、嘘を付き真実を誤魔化すようならこの書類は渡さずに、連行していましたがね」
選択肢を間違えていたら大変なことになっていた。
首筋がヒヤリを通り越し、ゾクリとした。
痛い。心が潰れそうになってしまったが、無事に切り抜けられて良かった。
心に落ち着きを取り戻すと、監察官は銀貨を返した。代わりにこう答える。
「いい子供達に恵まれていますね。それだけの優しさがあるのなら、その銀貨で美味しいものでも食べさせてあげなさい」
「はっ、あ、ありがとうございます!」
貴族の男性は頭を下げた。
監察官は冷たい手をしていたが、心は温かい人だった。
「フッ」と笑みを浮かべると、高台から去っていく。後姿を貴族の男性とエプロン姿の女性は追ってみると、騎士達と共に役目を終えて、満足そうに去っていくのだった。
「本当に良い人でしたな」
「そうですね。それより院長先生は貴族だったんですか! 初耳なんですけど!?」
「そう言えば言っていませんでしたな。ですがそんなこと今はどうでもよいではないですか。ささっ、子供達のために美味しいものを買いに行きますぞ」
「あっ、待ってください!」
貴族の男性はエプロン姿の女性の話を無視した。
その足で高台を下りて行くと、子供達のために美味しいものを買いに行く。
星屑の銀貨のおかげで大きなものを得られた。嬉しくなった貴族の男性は銀貨に微笑みかけるのだった。
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