第24話 恋をするひと



「さあ、次はこっちみたいなよォ〜」

 そうヨナルテパズトーリの間の抜けた声がして、黙々と後ろに連なって歩くガーゴイルと小夜子は、先ほどの、ガーゴイルが小夜子の頭を愛撫するかのように撫でる様を見たヨナルテパズトーリの放った一言にすっかりやられてしまっていた。


「ン〜、二人は恋人同士なんねェ〜」


 それまで互いが互いを意識しながらもそこから目を背けていた二人なのに、第三者に改めて口に出されてしまうと、かろうじて保たれていたようなバランスが崩れて、どうしたら良いのか分からなくなってしまったのだ。小夜子は恥ずかしさの余りガーゴイルを見られないし、ガーゴイルもまた然り。ヨナルテパズトーリはそんな二人の心情を知ってか知らずか「オラのことは気にせんでええんよォ〜ふたり仲良くが一番よォ〜」などと謳うように宣っている。

 そもそもガァちゃんは私のことを好いていてくれているのだろうか。

 己が誰かに愛されているとか好かれているとかそう云った感覚を意識下に持って来ることが出来たことのない小夜子は、これまで数々の宝石よりも星空もよりも美しい言葉をガァちゃんから贈られたけれど、それを『好意』とは受け止められても『愛』とか『恋』と云う感情に置き換えるには、あまりにも己の心の中にそれらが掴みどころなく泳いでおり捕らえることが出来ず、また、己がそう思われていると思うことすら自意識過剰なのではと偽りの盾を立てて、その隙に心の檻に鍵をかけてしまいそうになる。小夜子は他人と(仮令それが妖怪でも)深く関わり合おうとする度にその場から走って逃げて、蓋をして閉じ籠ってしまおうとする自分を心の底から恥じた。小夜子は弱い。弱いのだ。弱虫で臆病だ。一番肝心なところで怖がってしまう。怖がらない私を見て欲しいとあんなにも強く願ったのに。


「臆病者が一番いけない。自分が傷付くことを恐れる余り、相手の心をいとも容易く傷付ける者だから」


 何処かで読んだ誰かの台詞が頭の中にふいに降って来て、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた小夜子は、足を踏ん張り二度三度と頭を振って、姿勢良く襟を正した。

 恥ずかしさとか怖気とか、そう云ったものに振り回されて互いを見られなくなるには、私たちにはあまりにも時間がなさ過ぎる。小夜子はガァちゃんが小夜子に寄せる想いがただの好意だとしてもそれだけで充分嬉しい自分に気付けたし、自分が臆病者であるが故に彼の人を傷付けるのだけは絶対に嫌だった。

 それでも腕を組むでもなくブラブラとさせてくれている彼の人の指を、温もりが伝わるようゆっくりと握った小夜子は、顔色は変わらないけれどきっと照れているであろう彼の人の、気まずげに降りて来た視線を柔らかく捕らえて「私、ガァちゃんが好きよ」と伝えた。


 思わず立ち止まったガーゴイルと小夜子を目の端で微笑んで見守っていたヨナルテパズトーリは、ゆっくりと二人から距離を置いた。ここいらで、一人休憩もいいかもねェ。


 ガーゴイルはその鈍色の鱗を赤く染めることはなかったが、出来得ることならば全身を火龍が如く朱へと染めていただろう。全てを消し炭へと変えると云う、極炎すら吐けそうなほどに。ガーゴイルは小夜子からの好意は分かり過ぎるほどに伝わっていたし、その好意を受け止める度、己の心臓の主張の激しさに驚かされていた。鼓動など、味わったことはなかったのだ。今までは。  触れればもろもろと崩れてしまいそうなほどに繊細な、しかし芯に強さを秘めた好奇心の塊のようなこの娘を、誰が好きにならずにいられようか。くるくるとよく笑い、時にほとほとと悲しみ、あやかしの思いにすら寄り添える、陰日向に咲く一輪の花雫。ガーゴイルは小夜子を救うためならば己の全てを差し出しても余りあるほどであったし、その言種すら陳腐に聞こえるほどでもあった。しかしガーゴイルはこの感情の名を知らぬのだ。


 小夜子とガーゴイル、愛を与えられたことのない二人にはその形が分からなかった。


 ガーゴイルは一瞬躊躇ったのち、小夜子の薄鳶色をした何処までも無垢なる瞳をはっきりと見つめながら、「どんな形をしている?」 と、小夜子に問うた。

「小夜子のオレへの想いはどんな形を取っている?」


 小夜子は一瞬キョトンとした表情を取ったけれど、すぐさま、「私の想いは、ガァちゃんの形をしているわ」と答え、唇の形を上弦の月へと変えた。


 ガーゴイルは少しく目を見張った後、弧の形に瞼を細め、「オレもだ。オレの小夜子への想いは小夜子の形をしている」と述べた。


 小夜子は、この小夜子の心の中にあるガァちゃんをかたどった想いが『愛』と呼ばれる感情ならば、愛とはなんと美しい姿形をしているのだろうと、そうして、ガァちゃんも小夜子と同じ想いを胸に秘めていてくれているのならば、自分はガァちゃんに愛されているのだと思い至ったが、『愛された』記憶のない小夜子には、自分のガァちゃんへの想いと、ガァちゃんの自分への想いがどうしても繋がらず、それでもこれまでの道のりで時折ガァちゃんが口にしてくれた言葉や柔らかい物腰を思い出し、その度に胸に去来した今までに感じたことのない温かなぬくもりをきっと『愛』と呼ぶのであろうと、思い出したぬくもりと、今感じた新しいぬくもりを逃さないよう己の身体をぎゅうと抱きしめた。


 私だけのぬくもり。


 ガーゴイルの胸の内にかたどられた小夜子の形は、そのまま小夜子自身へと重なって、小夜子の心と身体を充分に温めた。それはきっと母親の羊水に浸る赤児よりも安心感に満ちた、小夜子だけの場所だった。

 ガーゴイルはそんな小夜子を両翼でそうっと覆い、長い首を前のめりにして小夜子の髪に口付けた。ガーゴイルの鼻腔を甘いシャボンの香りが微かに掠めては消えた。


 ヨナルテパズトーリは敢えて二人の所作を見ないよう、そっぽを向いていた。精霊的勘とでも呼ぶのであろうか、二人の時間は余り少ないように感じていたのだ。そんな二人の道中に(決して己の意思ではないけれども)携わることとなってしまい、申し訳なくも思っていた。二人がどう云う経緯でこの地と関わることになったのかヨナルテパズトーリには詳しくは分からなかったけれど、この辺境の地で、少しでも二人に幸せな時間や瞬間が持てるよう、記憶に残るよう、祈った。何に対して祈れば良いのかは到底分からなかったけれど。

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