第25話 侵されしモノ



 じくじくとした振動とずるずると云う不快な軋みを際立たせながら、紺碧の岩地をボソボソとした土くれへと変え、ソレらは侵攻を続けていた。へどろの沼地を思わせる深く濃い緑色の体は自ら放つ毒に因って所々黒ずんだ紫色へと姿を変え、やがて溶けては土くれへと染み込みせっかく築いた大地すらをも穢して行く。

 これではただ、毒の沼地を作って行くことと変わりはないのに彼らには分からない。『生きること』『繁殖すること』『子孫を残すこと』それらが彼らの本能的欲求であったし、毒に侵されながらも生き続ける理由であった。


「哀れよの」


 古木の老爺はソレらを相変わらずよく分からない朧げな表情で見つめながら呟いた。

 老爺が年古し年月を過ごし精霊と化したのか、神の依代として崇め奉られた際に精霊と成ったのかは余りにも年月が過ぎて老爺にもよく分からなかったが、生き物の生に対する執着をとうに分からなくさせるほどには存在してしまっていた。

 なので老爺にとっては生に固執する生き物はただただ滑稽な存在としてしか映らなかった。この様に自らを蝕まれながらも生に固執する生き物はその最たるもので、老爺にしては珍しく哀れみすら覚えるモノであった。何故にそんなにも生に執着するのか。こんな辺境の地に行き着いてまでも。


「お主らは…」 


 と、問いかけた老爺であったが、彼らが言の葉を発することが出来ぬと悟り、「そうだったな、では主らに言霊を授けよう」と彼らに向かって手をひらひらと泳がせた。

 植物たちは一瞬ビクッとしたのち、一斉にワナワナと震え始めた。


 最初に言の葉を発したのがどの茨だったかは定かではない。


「イ…ク…、ス、スム…」

「ハ…ビコ…ル…」

「フエ…フエル…エル…エル…」

「イタ…イタイ…イタイ…イタ」

「ドウシテ…ドウ…シテ…」


 茨たちは泣いているようであった。

 己の身の不遇を嘆くのか。

 自らが望むべく魔の力を取り入れたのであろう、 その身にぴったりの所業ではないか。

 何を嘆くことがある。


「ワレワレハ、タシカニ、生きるコトヲ、ノゾンだ」

「生きトシ生けルモのナラ、だれシモが持つ望みダ」

「だが、ソレはこんなにも苦しいオモイをしてまデ」

「手にイレルほどのモノだったのかイマとなっては」

「分からない、ワレワレには、もう、分からない…」


 それでも進軍を止められないのは既に茨の身体を魔の毒が蝕み支配しているからであろう。


「哀れよの」


 老爺は同じ台詞をもう一度吐き、「それでも主らは諦めたのだろう。一瞬でも。生き抜くことを諦めた、甘美なる諦観に溺れたのだ。その隙に魔がつけ込んだ。本当に生を望むなら、「こんなところで蔓延ってなど居らぬはずだ」


「自業自得とは正にこのこと」


 おおおおおおう、と云う茨たちの嘆きの声が彼の地に響き、蒼い岩肌へと跳ね返っては消えた。彼の地の地肌も岩肌も、決して彼らの嘆きの声を吸い込むことはなかった。


 溶けても、融けても、補うように凄まじい速度で新しい芽は紡がれて、棘で大地を己の身をも傷付けながら蝕まれ、蝕まれ進んで行く。もう進みたくはない!そう誰かが叫んでも、行軍は止まらない。


「コの…この、苦しみを、乗り切った先に生なる喜びを感じることが出来るのですか」「貴方がもしも神ならば教えてください。我々は…これほどの痛みや苦しみに値する罪を犯したのでしょうか」「生きることを諦めるのはそんなにも罪なことなのですか」


 老爺はそれでもゆうるりと進軍を続ける茨の群れを能面のような表情で見遣り、


「ワシは神などではないが…「『諦めること』は悪いことでも罪でもないと、そして決して逃げることでもないと、そう思ってはいるがの。ただ、『地球上の生き物』として生きるなら、罪なことではあろうがの。だが諦めて死ぬものなど地上にも仰山に居る。お主たちはただ運が悪かっただけだ。「そしてこの先を生き抜いたとて、そのような身では生なる喜びとやらも感じられぬだろうな」


 茨の群れから悲鳴や怒声が上がり、むわっと咽せるほどの毒気が立ち上った。「だから先ほどから哀れんで居る。生きることの喜びなどワシにも知ったことではないが、お前たちはこの地を蝕むために利用された、単なる駒のひとつに過ぎぬのだ。そのような邪なるモノにお主たちの苦しみなど、余程知ったことではなかろうよ」


 茨たちは最早嘆息のひとつも出来ないほどに疲弊していた。己が身体をじくじくと腐らせる毒と、老爺の悲観的な白話に、絶望の一言だけが臭気と共に周囲を漂っていた。茨たちは個が全であり全が個であったから、誰が誰を責めることなども出来ず、ただ放心していた。ヒソとも発しなくなった茨を見詰め、老爺は、「ただひとつだけ救いがある」と云った。

 小夜子のことは伏せておこうとも思ったのだが、老爺にしては珍しく憐憫の情が深過ぎた。これもあの小夜子とか云う小娘の影響しわざだろうか。どうもあの娘と行き合ってから調子がおかしい。普段の老爺だったらわざわざ茨の進行具合なぞ見に来ぬし、言葉まで与えようとも思わなんだ。老爺は小夜子のことを思うと胸がざわつく自分に若干の戸惑いも覚えたし、そんな自分自身に戸惑ってもいた。やはりあのまま隠してしまうべきだったか。


「救い…!救いとは…!?」

「一体何があるのです!?」

「お教えください、どうか…どうか…」


 茨たちから一斉に縋る言葉が湧き出でて、ハッと現実に戻されたような感覚を得た老爺は、やはり自分の『らしくなさ』に充てられて、小夜子に対する靄を色濃くさせた。


いずれ、お主たちの元に『救うもの』が現れる」

「否、『現れるかも知れぬ』と云い替えた方が良いかな」


 老爺は『ワシが隠してしまうかも知れないからな』の一言を伝えようか迷って止めた。


 茨たちは「救うもの…」「救世主様…」などと囁き合い、喜びに打ち震えている。そんな小夜子を隠すなどと云ったらあの醜悪な毒気に充てられるやも知れぬ。まあそんなヘマは犯しはしないが。 老爺は欲しくなってしまったのだ。小夜子を。

 己の欲の為ならばこんな茨もこの地もどうでも良くなるほどに、老爺は執着していた。

 善意もなく、悪意もなく、気に入る気に入らぬに拘らず気分によって子を隠す。何百年も昔からそう過ごして来た。しかし欲しくなったのは初めてだ。


「さて、それではいつ隠すかの」


 もう茨たちには微塵の興味も失った老爺はそう呟くとフッと茨たちの前から姿を消した。 残された茨たちの救世主を待ち望む希望と嘆きの声だけが彼の地に谺しては消えた。

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